2018年10月19日(金)



2018年10月19日(金)日本経済新聞
春秋
(記事)





公証制度について(日本公証人連合会)
ttp://www.koshonin.gr.jp/system/s03/s03_01

>公証制度とは、国民の私的な法律紛争を未然に防ぎ、私的法律関係の明確化、安定化を図ることを目的として、
>証書の作成等の方法により一定の事項を公証人に証明させる制度です。

 

公証事務(日本公証人連合会)
ttp://www.koshonin.gr.jp/business/

 

 

「『和解』をするのは人と人とであって、当局と人とが『和解』をするという考え方はない。」、
という点について考察を行った昨日のコメント↓。

2018年10月18日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201810/20181018.html

 

 

A notarized deed is a "proof."

公正証書というのは「証拠」なのです。

 

 


【コメント】
昨日のコメントに一言だけ追記をします。
昨日コメントを書き終わった後も、民事と刑事の違いについて頭の中であれこれ考えていたのですが、
「究極的にはこのような考え方になるのではないだろうか。」、と自分の中である結論に辿り着きました。
その結論とは、「民事裁判というのは実はない。」という結論です。
もちろん、日本の現在の司法制度には「民事裁判」があるわけですが、理論的には民事裁判というのはないと思いました。
司法制度を大きな視点から見ると、裁判が行われるのは刑事に関してだけであって民事に関しては裁判は行われない、と思いました。
昨日のコメントでは、 「判決というのは『証拠』("proof")である。」、と指摘をしました。
法律上は、裁判所から下された判決がもはや争いようがない「証拠」("proof")であるという取り扱いになるのです。
と同時に、法律上はもう1つ「証拠」("proof")があります。
それが「公正証書」です。
「公正証書」も「証拠」("proof")なのです。
「公正証書」は事前の「証拠」("proof")であり、「判決」は事後の「証拠」("proof")であると言えます。
民事と刑事の違いを「証拠」("proof")に関して整理すると次のようになります。

○民事における「証拠」("proof")→「公正証書」
○刑事における「証拠」("proof")→「判決」

民事には裁判はなく民事にあるのは「公正証書」だけだ、という考え方が現実的なことを鑑みますと正しいように思います。
検察官にはある事柄が事実であることを調査する公務上の権限があるわけですが、
私人にはある事柄が事実であることを調査する権限というのは現実にはないわけです。
刑事裁判では、検察官がある事柄が事実であることを証明することができますので裁判が成り立つわけですが、
民事裁判では、私人がある事柄が事実であることを証明することが現実にはできませんので、
裁判自体が現実には成り立たないように私は思うわけです。
端的に言えば、裁判の成立と捜査権は一体不可分なのではないかと思います。
当事者に捜査権が与えられているからこそ、裁判というの成り立つのではないでしょうか。
刑事裁判では、被告人には当然捜査権は与えられていませんので、
捜査権がある検察官がある事柄が事実であることを証明できなければ、被告人は無罪となるわけです。
刑事裁判とは、捜査権を行使して入手した証拠を基に検察官がある事柄が事実であることを証明する過程なのだと思います。
翻って、民事では、原告にも被告人にも捜査権はありません。
どちらの言い分が正しいのかについて法廷で争おうにも、現実には水掛け論になってしまうでしょう。
捜査権がないとはどちらの言い分が正しいのかについて調査のしようがない、ということではないでしょうか。
したがって、どちらの言い分が正しいのかを示すことができる「証拠」("proof")は、
民事では現実には「公正証書」以外にないわけです。
「公正証書」を見せられた方は黙るしかない(「公正証書」に記された内容を相手方は決して否定できない)わけです。
刑事とは異なり、民事には「公正証書」という公的に「証拠」("proof")を作成する手段が用意されているわけですから、
始めから当事者達は公証役場に赴き「公正証書」を作成するようにするべきなのです。
約束をする際に「公正証書」を作成しないから後でトラブルが起きるのです。
人と人とである約束事をする際には、「約束事を『公正証書』の形にしましょう。」と相手方に提案をするべきなのです。
本当に誠意がある人物であれば、そう提案された時、「もちろんです。是非そうしましょう。」と恵比須顔で応じることでしょう。
始めから「証拠」("proof")があるのか事後的に裁判を通じて「証拠」("proof")を得るのかの違いは実務上は決定的なのです。