2018年9月9日(日)
2018年8月26日(日)日本経済新聞
テスラ、株非公開化を撤回 マスク氏、誤算の17日間
(記事)
2018年8月28日(火)日本経済新聞
テスラ やまぬ現金流出 MBO撤回、累計100億jに 次の調達策 市場注視
(記事)
2018年8月29日(水)日本経済新聞
カネ余り時代 企業と市場の溝 上
世界の上場企業数 頭打ち 成長資金の需要縮小
(記事)
2018年8月30日(木)日本経済新聞
カネ余り時代 企業と市場の溝 中
焦る取引所、ルール緩和 種類株解禁 規律に懸念も
(記事)
2018年8月31日(金)日本経済新聞
カネ余り時代 企業と市場の溝 下
緊張感失う経営者 株主軽視の案件にも資金
(記事)
「『投資家に比べて情報優位にある当事者』は、実は証券制度上は真の意味で情報優位にあるとは必ずしも言えない。」、
という点について指摘をした昨日のコメント↓。
2018年9月8日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201809/20180908.html
【コメント】
紹介している記事を題材にしつつ、2018年9月5日(水)と2018年9月7日(金)と2018年9月8日(土)のコメントを踏まえた上で、
これら3日間のコメントに追記をしたいと思います。
紹介している2018年8月26日(日)付けの日本経済新聞の記事を読んでいただきたいのですが、
米国の上場企業テスラが、一旦は株式の非公開化を計画しその旨市場では認知されていたのですが、
わずか17日後に株式非公開化の計画を撤回すると発表した、という内容になります。
このたびの事例における「株式非公開化の計画」の公表の方法に関してなのですが、
テスラのCEOが非公開化の計画を個人のツイッターアカウント上で表明する、という公表方法であったわけです。
記事には、公表方法の是非について次のように書かれています。
>情報開示の手法について米証券取引委員会(SEC)が調査を始めたほか、
>「資金は確保した」という投稿内容が虚偽であるなどとして、一部の投資家が訴訟を起こし始めていた。
事の論点を一言で言えば、
「会社のCEOが個人のツイッターで表明した情報は、会社の正式な情報開示と見なされるのか?」
となろうかと思います。
この議論については、現実には非常に線引きが難しい論点が含まれている(現実には誤認したとしても無理はない)のですが、
結論を一言で言えば、「会社のCEOが個人のツイッターで表明した情報は、会社の正式な情報開示ではない。」となると思います。
その理由は、最も元来的・理論的には、一言で言えば、
「投資家が信頼してよい情報は財務局に提出された法定開示書類だけだからである。」、となるわけですが、
現代では、例えば報道機関による報道も重要な投資判断の根拠・材料とされているわけです。
会社制度・証券制度の初期の頃と比較して、M&Aの規定や手続きが複雑化している現代では、
「法定開示書類の提出」一本では投資判断ができない部分もあるわけです。
例えば、ある上場企業を現金を対価として株式交換により完全子会社化することを計画している買収者は、
たとえ完全子会社化する意思決定をしても、株式交換に関する記者会見や何らかの情報発信は行うかもしれませんが、
金融商品取引法上は何らの法定開示書類も提出しないわけです。
しかし、計画されている株式交換は公開買付と同じように投資家の投資判断に非常に大きな影響を与えるわけです。
今後実施され得る上場企業における株式交換について、証券制度上の手当てが現実には必要だ、と言えるわけです。
それで、証券制度上の公表の方法や情報発信の方法についてですが、結局のところ、
「法令で定められた所定の方法での公表が証券制度上の真の公表である。」と公表方法を定義するしかないと思います。
「それ以外の方法による情報発信は全て証券制度上は真の公表ではない。」、と発表された情報の真偽を区分するしかないわけです。
たとえ会社の社長本人から直接に社長室で他の重役らが同席する中で「これは正しい。」と会社に関する情報を聞いたとしても、
それが「法令で定められた所定の方法での公表」ではないのなら、それが虚偽だとしても投資家は文句は言えない、と考えるのです。
一言で言えば、証券制度上は、情報の真偽に関しては、「公表方法を法令で明確に定める。」という規制方法しかないのです。
The only information which you can trust is a legal disclosure document
submitted to a local financial bureau.
信頼できる唯一の情報は、財務局に提出された法定開示書類だけなのです。
In theory, there are only two pieces of information in the market.
One is
information which is guaranteed to be true and the other is information which is
not guarantted to be true.
The former is a legal disclosure document
submitted to a local financial bureau.
The latter is, for example,
conversations with executives in a conference room of a company,
talks with a
CEO of a company at his own house, chats with employees of a company in an
izakaya(a Japanese-style bar),
analyses on an issuer known by report at a
securities investment seminar sponsored by a securities company,
an
intra-office document of an issuer picked up on the roadside (i.e. a lost
article), etc.
Even detailed explanations on management illustrated by
executives themselves of a company can't be trustworthy
as long as the
explanations are not published.
In the last analysis, whether information is
published or not is a critical criterion for trustiness.
Information posted
up on a twitter, a blog, and a web site opened by executives and employees is
very subtle.
The information above is certainly published in the
market
(i.e. all investors in the market can read it as soon as it is posted
up),
but those means of communication of information are not outstanding at
least on the securities system.
That is to say, a place where information is
published should be concentrated.
In practice, the number of places where
information is published is at the most two.
One is a local financial bureau
and two is a news medium.
An accompanying means to complement a legal
disclosure document is an official gazette.
And, in practice, a more
realistic means for notifying investors in the market of a submission of a
document
is a daily newspaper.
Therefore, in practice or on the modern
securities system, all investors in the market check out everyday
is
basically, after all, a daily newspaper.
In Japan, until about the
1980's, information which investors in the market must receive
used to be put
together down to Nihon Keizai Shimbun.
That is to say, Nihon Keizai Shimbun
used to be a single means for notifying investors in the market.
For
investors in the market, Nihon Keizai Shimbun used to be
a necessary and
sufficient means for initial receipt of information.
Needless to say,
investors in the market must visit a local financial bureau after that.
Lay
the old age aside.
In any securities system of all ages, places where
investors in the market become aware of and receive information
must be
consolidated into one (or, if impossible in practice, at the most two).
To
put it simply, places where information is published (including legal
disclosure) must always be consolidated.
In conclusion, information posted
up on a twitter, a blog, and a web site opened by executives and employees
must not be trustworthy at least on the securities system.
理論的には、株式市場には2つの種類の情報しかありません。
正しいことが保証されている情報と、正しいことが保証されてはいない情報です。
前者の情報とは、財務局に提出された法定開示書類です。
後者の情報とは、例えば、会社の会議室での経営陣との対話や、会社のCEOの自宅でのCEOとの会談や、
居酒屋での会社の従業員とのおしゃべりや、証券会社主催の証券投資セミナーで聞いた発行者に関する分析や、
道端で拾った発行者の社内文書(すなわち、紛失物)などなどです。
公表されていない限り、会社の経営陣自身が説明を行った経営に関する詳細な説明ですらも、信頼することはできません。
結局のところ、情報が公表されているか否かが信頼性の決定的な基準なのです。
経営陣や従業員が開設しているツイッターやブログやホームページに投稿されている情報は非常に線引きが難しいのです。
上記の情報は確かに市場に公表されてはいますが(すなわち、投稿されると同時に市場の全ての投資家はその情報を閲覧できますが)、
それらの情報伝達手段は少なくとも証券制度上は目に付かないものなのです。
すなわち、情報が公表される場所は集約しなければならないのです。
実務上は、情報が公表される場所の数は最大でも2つです。
1つ目は財務局であり、2つ目は報道機関です。
法定開示書類を補完する付随的な手段が官報です。
さらに、実務上は、市場の投資家に書類の提出を通知するより現実的な手段が日刊新聞紙になります。
したがって、実務上はすなわち現代の証券制度上は、市場の投資家が毎日チェックをするのは、基本的には、
結局のところ、日刊新聞紙だけということになります。
日本では、約1980年代までは、市場の投資家が受け取らねばならない情報は、日本経済新聞に集約されていました。
すなわち、日本経済新聞は、市場の投資家に通知をする唯一の手段であったわけです。
市場の投資家にとっては、日本経済新聞が最初時点の情報受領のための必要十分な手段であったわけです。
言うまでもなく、市場の投資家はその後に財務局に赴かなくてはならなかったわけです。
昔のことは脇に置いておきましょう。
いつの時代のどの証券制度においても、市場の投資家が情報に気がつき情報を受け取る場所は、
一本化しなければならないのです(実務上それが不可能なら、最大でも2つに集約しなければなりません)。
簡単に言えば、情報が公表される場所(法定開示を含む)は、常に一本化しなければならないのです。
結論としては、経営陣や従業員が開設しているツイッターやブログやホームページに投稿されている情報は、
少なくとも証券制度上は信頼してはならないなのです。