2018年9月7日(金)



昨日は書けなかったのですが、2018年9月5日(水)のコメントに一言だけ追記をします。

2018年9月5日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201809/20180905.html

2018年9月5日(木)に書きましたコメントの趣旨は、
「業績予想を行うのは投資家であり、発行者自身や金融庁や報道機関は業績予想を行うべきではない。」、であったわけです。
この理由についてですが、紹介している教科書の124ページに書かれています次の説明が理由というわけではありません。

>業績予想をめぐっては、実際の業績が予想を大きく異なった場合に、虚偽の情報開示によって損害を被ったとする投資家から
>損害賠償を請求されかねない問題が想定される

この点について言いますと、簡単に言えば、「記載している数値はあくまでも予想であり実際の業績と異なっていても
責任は一切負えません。」と注記をしておけば、損害賠償の問題は避けられるわけです。
では一体何が理由なのかと言えば、法律上の理由ではなく、純粋に証券制度上の理由です。
すなわち、「投資家に比べて情報優位にある当事者」が作成した業績予想が市場に発表されることが問題なのです。
紹介している教科書の124ページには、次のように書かれています。

>投資家に比べて情報優位にある会社が作成した業績予想は、投資判断に影響を与える重要な情報だとして、
>多くの投資家は、業績予想を取りやめることに反対しています。

一読すると、投資家も「投資家に比べて情報優位にある当事者」が作成した業績予想を求めている、と思ってしまいます。
確かにそのような投資家が世の中にいるのは事実でしょうが、実はそのような投資家は証券投資が全く分かっていないのです。
確かに、投資家にとって、他の人物が作成した業績予想を自分の投資判断の参考にするということはあるわけですが、
投資家が参考にする業績予想の作成者はあくまで「自分(投資家)と同じ情報量を有している人物」でなければならないわけです。
自分の業績予想と「自分(投資家)と同じ情報量を有している人物」が作成した業績予想とを比較するからこそ、
その比較には意味があるわけです(同じ判断材料を根拠にして業績予想をしているからこそ、その2つは比較が可能なのです)。
両者の間で判断材料そのものが異なっていれば(すなわち、一方は他方よりも豊富な情報に基づいて算定を行う場合は)、
業績予想の数値が異なるのは当たり前なのです(その場合は、同一人物が業績予想を行っても2種類の数値が算定されるわけです)。
率直に言えば、「投資家に比べて情報優位にある当事者」が作成した業績予想は、市場の投資家にとって、
投資判断の上では何の参考にもならないのです(その業績予想が自分の業績予想とは異なっているのは当たり前だからです)。
「投資家に比べて情報優位にある当事者」が作成した業績予想は、自分の業績予想よりも、
より正しいかもしれませんしより間違っているかもしれない、というだけなのです。
通常は、より情報量が多い分より正確だ、と言えるだけなのです。
少なくとも、その業績予想は市場の一般の投資家にとって参考にならないのだけは確かです(判断材料自体が異なるから)。
紹介している教科書の124ページには、証券会社のアナリストが発行者側と直接接触して情報を入手し予想の精度を高めていた、
と書かれていますが、市場に開示された情報だけで業績予想を行うよりも非開示の情報をも加味して業績予想を行う方が
その精度が高いのは当たり前ですが、それを言うなら、そもそも業績予想というのは市場に開示された情報だけで行うものです。
煎じ詰めれば、「市場に開示された情報だけで業績予想を行える」のは、「市場の投資家」だけです。
概念図に書きました当事者の中で、「市場の投資家」以外は、どうしても市場に開示された情報以外の情報を受領してしまうのです。
「投資家に比べて情報優位にある当事者」は業績予想を作成してはならない(そして株式の取引を行うべきではない)のです。
一言で言えば、判断材料が同じなら、後は投資家の投資能力だけの問題となる(投資能力以外の差異があるのはおかしい)のです。