「商人(会社)は、『売り手よし、買い手よし、世間よし、株主よし。』という『四方よし』となる商取引を行うべきである。」、
という新しい経営哲学を考案し、また、
「貸金業法や出資法や利息制限法は借入人保護を目的としている(預金者その他の保護は目的としていない)一方、
銀行法は預金者保護を目的としている(借入人保護は目的としていない)。」、
という点について考察を行い、また、
「理論的には、会計監査人は、与えられた証憑と経営者による意思決定と経営判断を基にして、
定められた会計基準に照らして『仕訳が正しいのか否かを検査する。』だけであり、
『会社が行っている仕訳は会計基準に照らして正しい。』ということのみを理由に、無限定適正意見を表明しなければならない。」
という点について指摘をした昨日のコメント↓。
昨日のコメント↓。
2018年9月3日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201809/20180903.html
【コメント】
昨日のコメントでは、近江商人の「三方よし」を現代経営風に応用・拡張した「四方よし」という新しい経営哲学を考案しました。
「四方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし、株主よし。」と表現されます。
「四方よし」の概念図と簡単な解説を昨日のコメントに書いていますので、読んでいただければと思います。
「四方よし」の特徴の1つは、「株主は現金の分配先であり最後の受益者である。」という考え方であるわけですが、
今日紹介している2018年8月23日(金)付けの日本経済新聞の記事(私見卓見)には、
私が昨日考案いたしました「四方よし」と共通する考え方が書かれていますので、関連する部分を引用したいと思います。
>英蘭ユニリーバや米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)などが社会を最優先する一方、日本は株主を優先する傾向にある。
>これらの企業に共通するのは、社会を最も大事にすることだ。
>顧客や従業員への配慮が続き、最後に株主が登場する。
欧米の一部の企業には、社会を最も大事にするという経営哲学があるとのことですが、
私が昨日考案いたしました「四方よし」では、優先順位は、「@売り手=A買い手>B世間>C株主」となります。
商取引というのはもちろんお客様がいてこそ成り立つわけですが、商取引の一連の流れを踏まえますと、実は、
まずは「商品の仕入先」がいなければお客様に対し商品の販売のしようがない、というのもまた事実であるわけです。
ですので、お客様と商品の仕入先とは会社にとって全く同じだけ重要である(優先順位は全く同じ)と言わねばならないわけです。
ただ、昨日描きました概念図「新説『四方よし』」を見ていただきたいのですが、
「壱:債権者」(@売り手)は、どちらかと言えば、資金面のさらには業務上の「事業の元手」という側面があるわけです。
それに比べると、「弐:債務者」(A買い手)は、「壱:債権者」(@売り手)の「結果」の側面があると言いますか、
「壱:債権者」(@売り手)があってこそ「弐:債務者」(A買い手)が誕生・発生し得る、という関係にあるわけです。
「壱:債権者」(@売り手)がないのに「弐:債務者」(A買い手)がある、ということは商取引の原理上あり得ないわけです。
したがって、各利害関係者に順番・番号を割り振るに際しては、上記の商取引の流れを踏まえ、
「売り手」を「壱」(@)に、「買い手」を「弐」(A)としたわけです(商取引では、売り手がいてこそ買い手がいるわけです)。
そして、「壱:債権者」(@売り手)と「弐:債務者」(A買い手)の両方の利益が満たされてこそ、
会社は利益を得られるわけですから、「世間」の位置付けとなりますと、どうしても売り手と買い手よりも優先順位は低いわけです。
商品代金を支払わず債権者の利益を害しておきながら社会が大事だというのはやはり偽善だ(商取引以前の問題だ)と思いますし、
お客様が欲しいと思う商品を販売し売上代金を受け取ってこそ商取引なのです(顧客満足は商いの中心にあるべきことです)から、
お客様よりも社会が大事だというのもまた経営哲学としてはやはり商取引の本筋からズレているわけです。
「参:世間」(B税務当局)の位置付け(優先順位)はやはり三番目であるわけです。
企業と社会とのかかわりという点では、メセナ活動やフィランソロピー活動が挙げられることがありますが、
どちらも商取引や商いとは異なると言いますか、特にフィランソロピー活動は「利他的活動」と表現されるくらいですので、
明らかに商取引や商いの前提に反するとすら言わねばならない(利己主義でなければそもそも商取引にならない)わけです。
利己主義でなければ(仮に「利他的活動」を優先すれば)、「壱:債権者」(@売り手)の利益を害する場面すら生じるわけです。
企業が行う社会貢献はあくまで商取引の範囲・範疇内で行っていくべきだと思います(現実には、税の納付しかないと思います)。
会社が税を納付しても、「壱:債権者」(@売り手)と「弐:債務者」(A買い手)の利益が害されることは絶対にないのです。
なぜならば、会社が税を納付するのは、「壱:債権者」(@売り手)と「弐:債務者」(A買い手)の利益が満たされた後だからです。
「売り手よし」、「買い手よし」、「世間よし」の3つが実現・達成された後に、「株主よし」が実現・達成されるのです。
結局のところ、商人(会社)は「株主よし」の達成を最終目標に商取引を行うようにすれば、
「売り手よし」、「買い手よし」、「世間よし」の3つも必然的に達成される、という関係にあると言えるのです。