2018年7月2日(月)



2018年7月2日(月)日本経済新聞 公告
公開買付開始公告についてのお知らせ
DCMホールディングス株式会社
(記事)




2018年6月29日
DCMホールディングス株式会社
自己株式の取得及び自己株式の公開買付けに関するお知らせ
ttp://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1606618

(ウェブサイト上と同じPDFファイル)




H30.07.02 11:23
DCMホールディングス株式会社
公開買付届出書
(EDINET上と同じPDFファイル)


H30.07.02
DCMホールディングス株式会社
公開買付開始公告
(EDINET上と同じhtmlファイル)


「証券投資のまさに真ん中にあるものは、『フェア・ディスクロージャー・ルール』ではなく、
実は株式の本源的価値の算定である。」、という点について書いた昨日のコメント↓

2018年7月1日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201807/20180701.html

 

 


DCMホールディングス株式会社が公開買付により自己株式の取得を行う、という事例です。
簡単に言えば、この公開買付は、DCMホールディングス株式会社は創業者からDCMホールディングス株式会社株式を
買い取ることのみが目的であり、市場の一般の投資家による応募は想定していないことから、
買付価格は直近の株価水準よりも低い価格に設定されています。
これは公開買付による自己株式の取得(自己株式の公開買付)の事例であるわけですが、話を一般化して考えてみたいのですが、
「自己株式の取得」については、会社制度上(会社法の規定上)もいくつかの条件や制約があるわけですが、
理論上の話になりますが、証券制度上はどのような条件や制約を課するべきだろうかと思いました。
上場企業が「自己株式の取得」を行うとなりますと、真っ先に思い付く問題は「情報格差」であるわけです。
市場の投資家は発行者から開示された情報のみを材料に株式の本源的価値を算定する一方、
発行者はまさに会社全体の情報を基に株式の本源的価値を算定することができるわけです。
株式の本源的価値の算定の精度(正確さ)は、当然のことながら、市場の投資家よりも発行者自身の方がはるかに高いわけです。
そうしますと、発行者自身が発行者の株式の取引を行うとなりますと、当然有利な条件で取引を進めていくことができるわけです。
では、証券制度上は上場企業は「自己株式の取得」を一切行うべきではないのかと言いますと、そうではないと思いました。
公開買付者(すなわち発行者)と株主(市場の投資家)との間には明らかな「情報格差」があるということを分かった上で、
株主が公開買付に応募するという分には、投資家の利益は害されないと思いました。
たとえ買付価格が直近の株価水準にプレミアムを付けた価格であるとしても、発行者から見ると株式の本源的価値よりも
まだ低い価格に過ぎない(だから発行者=公開買付者に有利な取引になってしまう)、という場面が生じ得るわけですが、
それでも、市場の投資家には現実には"expire"(満了)はなく"exchange"(交換)という選択肢しかないわけですから、
直近の株価水準にプレミアムを付けた価格で所有株式を買う人物がいるのなら、投資家の利益は害されていないと思うわけです。
公開買付者(すなわち発行者)と株主(市場の投資家)との間に「情報格差」がある状態で公開買付を実施することは、
「フェア・ディスクロージャー・ルール」には明らかに反するわけですが、
必ずしも「投資家保護の趣旨」には反しない、という言い方ができると思いました。
公開買付者(言わば株式の買い注文を出している人物)は発行者自身であるということを明確にしてさえおけば、
株主(市場の投資家)は公開買付者との間に「情報格差」があることを承知の上で応募の意思決定をするわけですから、
必ずしも「投資家保護の趣旨」には反しない(「情報格差」を鑑み株主は公開買付に応募しないという選択をすることができる)、
という考え方になるのではないかと思いました。
株主(市場の投資家)は、公開買付者(発行者)が算定した株式の本源的価値は設定された買付価格よりも高い、
ということを理解・自覚した上で、公開買付に応募をする、ということになるわけです。
この取引は、昨今話題の「フェア・ディスクロージャー・ルール」には明らかに反するわけですが、
投資判断の上ではアンフェアとは言い切れない(あくまで提示された買付価格による買い付けが行われるから)わけです。
簡単に言えば、「あくまでも『情報格差』があるということを分かった上で、株主は提示された買付価格に同意・納得をして
公開買付に応募したに過ぎない。」、という考え方になると思いました。
この点、確かに市場取引でも証券取引システム上は株式の受け渡しや決済(代金の受領)は安全かつ円滑に行われるわけですが、
市場取引では「買い手と売り手との間には『情報格差』が存在する」ということが明らかにならないわけです。
なぜならば、市場取引では買い注文を出している人物の名前と売り注文を出している人物の名前は
市場の参加者には分からないからです(市場取引では、「板」の上では匿名による取引になります)。
取引の安全性の問題ではなく、「取引に際して買い手と売り手との間には『情報格差』がある。」ということを
制度上明記できるか否かの問題であるわけです。
確かに、市場取引では買い手はあくまで提示された売り注文の価格に同意・納得をして約定をするわけですから、
市場取引による「自己株式の取得」が行われてもある意味投資家の利益は害されていないわけですが、
「投資家は『情報格差』があることを承知の上で株式の取引を行っているのか否か?」がこの論点の本質部分だと思いました。

 



What are necessary conditions for the "acquisition of treasury shares?"
The essentail difference at issue is that
the tender offer is face-to-face, whereas the market transaction is faceless.
The awareness of a disparity in information by investors can justify
the participation in a trade of shares by an issuer itself.
Now that investors in the market have no choice but to choose not "expire" but "exchange" in reality,
one idea is that the securities system permits the "acquisition of treasury shares"
in the case whare they are fully aware that there exists a disparity in information between them and an issuer.
That is to say, the "acquisition of treasury shares" is permitted only when it is made through the tender offer.

「自己株式の取得」のための必要条件とは何でしょうか?
この問題点における本質的な相違点は、公開買付は顔が見える一方、市場取引は顔が見えない、ということなのです。
投資家は情報格差のことを分かっているということが、
発行者自身が株式の取引に参加をするということを正当化する場合があります。
市場の投資家は、現実には"expire"(満了)ではなく"exchange"(交換)を選択せざるを得ないわけですから、
1つの案は、自分達と発行者との間には情報格差が存在することを投資家が十分に分かっているという場合には
証券制度が「自己株式の取得」を認める、というものです。
すなわち、「自己株式の取得」は公開買付を通じる場合のみ認められるのです。

 

The disclosure of a disparity in information can vanish the unfairness of such a trade of shares.
People say, "A law is a law, however undesirable it may be."
Even an unfair transaction can turn to a fair transaction by means of some kind of desirable "disclosure."

情報格差があることを開示することが、その種の株式の取引をアンフェアではないとすることができるのです。
「悪法もまた法なり。(たとえ悪法でも法は法である.)」と言います。
アンフェアな取引も、ある種の望ましい「ディスクロージャー」によってフェアな取引に変わり得るのです。

 

The prohibition of the "acquisition of treasury shares" sometimes deprives investors in the market,
who have no choice but to choose not "expire" but "exchange" in reality,
of an opportunity for selling their shares.

「自己株式の取得」を禁止することは、時に、
市場の投資家―市場の投資家は現実には"expire"(満了)ではなく"exchange"(交換)を選択せざるを得ないのですが―から
所有株式を売却する機会を奪うことになるのです。