2018年3月16日(金)



2018年3月16日(金)日本経済新聞
日本トイザらス ネットと持久戦 米社は清算発表 735店閉鎖へ 小型店で生き残り
(記事)




2018年3月16日(金)日本経済新聞
民事再生法の適用申請 児玉カントリー倶楽部
(記事)

 

「投資家が所有している上場株式を市場で売却するためには、出されている売り注文と同じ価格でその上場株式を購入したい
と考えている別の投資家が、その時に偶然にも市場にいることが必要だ。」という点と、
「『証券投資に関する平等性』が証券制度上求められるのは、投資家ではなく、発行者の方ではないだろうか。」
という点について書いた昨日のコメント↓

2018年3月15日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201803/20180315.html

 


【コメント】
米国のトイザラスは、事業の再生を行うために、昨年9月に連邦破産法11条(日本の民事再生法)の適用を申請したのですが、
事業の買い手が見つからず、また、債務の再編も難航したため、会社を清算することを破産裁判所に届け出た、とのことです。
日本には、日本トイザらスという会社があり、小売店である「トイザらス」が日本国内で運営されているわけですが、
日本トイザらスは現在、事実上米国のトイザラスの子会社であるわけです。
現在のところ、日本の「トイザらス」は米国本社の破綻以降も平常通り営業を続けているとのことです。
記事には、この点について次のように書かれています。

>米国と日本は別法人で、日本の店舗はこれまで通り営業していく

日本トイザらスの現在の株主は、株式の保有のための特別目的会社であるLLC1とLLC2の2社であるわけですが、
実際には中間持株会社がトイザラス・グループ内にはあったりするのですが、事の本質部分は同じですので、話の簡単のために、
ここでは、米国のトイザラス本社(米国法人)が日本トイザらス(日本法人)の株式の全てを所有しているとしましょう。
この時、米国のトイザラス本社(米国法人)が清算の手続きを進めていきますと、会社財産の処分の過程で、
日本トイザらス(日本法人)株式を誰かに譲渡をすることになるわけですが、買い手が見つかればよいのですが、
仮に買い手が見つからない場合は、米国のトイザラス本社(米国法人)はこれから解散する(法律上この世からいなくなる)以上、
「日本トイザらス(日本法人)に株主がいない。」、という事態が発生するわけです。
仮にそうなりますと、日本トイザらス(日本法人)も現実的には清算をすることになるでしょうし、
その際の残余財産も誰に分配すればよいか分からない(残余財産分配請求権者が1人もいない)、ということになるわけです。
このような事態を鑑みますと、法人が株式を所有することは理論的・元来的には間違いなのだろうと思いました。
理論的・元来的には、「株式を所有できるのは自然人だけである。」、という考え方になるのだろうと思いました。
なぜならば、理論的・元来的には法人には当然に清算が予定されているからです。
ただ、昨日は、証券投資にまつわる「人の寿命」について、次のようにも書きました。

>証券投資の理論上は、人に感情や人付き合いや日々の生活や引退や寿命はないのですが(これらは理論の範疇外のことでしょう)、
>現実の証券投資には、人に感情や人付き合いや日々の生活や引退や寿命があるわけです。

極端に言えば、理論上人の寿命を度外視しているから自然人は株式を所有できるに過ぎない、という言い方ができると思いました。
なぜならば、実際上は、株主(自然人)が死亡した場合は会社に株主がいないという事態が現実に発生してしまうからです。
会社が清算期日を定める場合は、期間の長さは当然に「会社の存続期間<人の寿命(株主が死ぬまでの期間)」であるわけですが、
会社が清算期日を定めない場合は、期間の長さは途端に「会社の存続期間>>人の寿命(株主が死ぬまでの期間)」となるわけです。
会社が清算期日を定めない場合は、逆に、法人が株式を所有することは何らおかしくない、という結論になると思いました。
「法人が、自法人の清算期日を定めているにも関わらず、株式を所有する。」ということには、
何か違和感(会社制度との矛盾)を感じます。
その法人が清算した後、清算前に所有していた株式(つまり、出資先企業の事業運営等)は一体どうなるというのでしょうか。
「会社から株主がいなくなる。」という事態を、そもそも会社制度は想定していないわけです。
一般的な財産であれば、法人が財産を所有することは問題はないと言えると思います。
なぜならば、所有権に人(相手方)はいらない(自分が財産を所有するというだけで全ての取引は完結している)からです。
しかし、株式に関しては、所有することで、人(相手方、すなわちこの文脈では会社)と債権債務関係が発生するわけです。
一般的な財産は廃棄処分ができるのですが、株式に関しては、会社との債権債務関係がある以上、廃棄処分はできないのです。
法人が清算期日を定める場合、法人は一般的な財産は所有できるが株式は所有できない、という結論になると思います。

 



上記の議論を踏まえた上で、さらに理論的・元来的なことを書きますと、
会社が清算の手続きを進めていきますと、清算手続きの過程の中で、実務上は会社財産の処分を行っていくことになるわけですが、
このたびの米国のトイザラスの事例がまさにそうであるように、
会社は事業の再生を試みたが事業や資産の買い手が見つからず失敗に終わる、ということが現実にはあるわけです。
清算人が会社財産の処分を行っても、会社財産の買い手が見つからない、ということが現実にはあるわけです。
理論的・元来的には、清算手続きに関して、「会社財産の買い手は見つかる。」ということは前提としてはならないのだと思います。
最も理論的・元来的には、結局のところ、「会社は財産を一切所有してはならない。」という結論になるのだと思います。
また、上記の議論と関連する論点となりますが、ゴルフ会員権が理解のヒントになるかもしれないなと思いました。
ゴルフ会員権には、施設利用権を表象する有価証券(会員権の類型)として、@株式とA預託保証金の2種類があるわけですが、
この2種類のうち、A預託保証金に関しては、会員が請求をすれば返還されるわけです。
会員は預託者(depositor)という位置付けになると思います。
A預託保証金というのは、ゴルフ会員権に特有の考え方であるわけです。
一方、@株式に関しては、返還を請求するという概念はないわけです。
会員は出資者(investor)という位置付けになるわけです。
@株式の形式を取るゴルフ会員権は、一般的な株式会社と全く同じ取り扱いになるわけです。
会社では、出資者に株式の返還はなされないわけですが、会社が清算される時、出資者には残余財産が分配されるわけです。
しかし、「出資者への残余財産の分配」は「株式の返還」や「出資の払戻し」とは全く異なります。
会社が清算される時、会社は出資者へ出資を返還しているのでありません。
会社の清算手続きにおいては、会社に「出資」や「資本金」という概念はもはやないのです。
会社は純粋に「残余財産」を出資者に分配している、という考え方になるのです。
「残余財産」を受け取ることが出資者の権利だ、というだけなのです。
出資者の「出資金額」と出資者が受け取る「残余財産分配金額」との間に、関係や関連性は一切ないのです。
他の言い方をすると、出資者の「出資金額」と出資者が受け取る「残余財産分配金額」との間に、「差額」という概念はないのです。
出資者の立場から見ると、株式の「取得原価」と株式の償却に伴い受け取る「残余財産分配金額」との間に、
関係や関連性や「差額」はないわけです。
金銭債権であれば「額面金額」と「弁済金額」との間に「差額」という概念がありますが、実は株式にはその概念はないのです。
税務上は、株式の「取得原価」がそのまま(全額が)損金、「残余財産分配金額」がそのまま(全額が)益金、というだけなのです。
「金額」という意味では、「出資」と「残余財産の分配」との間に関係や関連性は一切ない、という考え方になるのです。



In theory, a juridical person has its own future liquidation date in it,
whereas a natural person doesn't have his own future decease date in him.

理論上は、法人には将来の清算期日というものがありますが自然人には将来の死亡期日というのはないのです。

 

Equity isn't paid back to an investor, whereas a deposit is paid back to a depositor.

資本が出資者に払い戻されることはありませんが、預託金は預託者に払い戻されます。