2018年1月1日(月)
2017年8月27日(日)日本経済新聞
物言う株主 再び存在感 経営改善提案、上期485社 水準、過去2番目 世界でカネ余り
(記事)
2017年9月14日(木)日本経済新聞
タカ派株主、日本に的 選択と集中「優等生」狙う
(記事)
2017年12月5日(火)日本経済新聞 社説
企業は物言う株主と正面から向き合え
(記事)
「ファンド」に関する記事を多数紹介した時のコメント↓
2017年12月22日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201712/20171222.html
神戸開港150年記念事業
ttp://www.kobeport150.jp/
神戸開港150年双六
ttp://www.kobeport150.jp/img/sugoroku.pdf
次に、2017年9月14日(木)付けの日本経済新聞の記事についてです。
この記事では、「物言う株主(アクティビスト)」のことを「タカ派株主」と表現しています。
この記事では、アメリカのファンドであるエリオット・マネジメントの活動状況について書かれてあるわけですが、
特に、日本の日立国際株式の保有について書かれています。
エリオット・マネジメントの活動状況に関しても、
アメリカの「物言う株主(アクティビスト)」が日本企業を対象に活動をしている、と言っていいわけです。
日本の「物言う株主(アクティビスト)」が日本企業を対象に活動をしている、
という話を最近は全く聞かないな、と改めて思いました。
記事を読んでいて気になったのが「バンプトラージ」という言葉です。
記事には、「バンプトラージ」とは、「M&A(合併・買収)を材料としたさや取り」のことだと書かれています。
2017年12月22日(金)に紹介した2017年12月20日(水)の記事にも、「バンプトラージ」という言葉が書かれています。
「バンプトラージ」という言葉は初めて聞きましたので、グーグルで検索してみたのですが、9件しかヒットしませんでした。
リンク先のほとんどは日本経済新聞の記事やその引用なのですが、唯一次の記事がヒットしました↓。
オアシス・マネジメントのサイト上の「日経ヴェリタス 2017年3月5日号」の記事
ttps://oasiscm.com/wp-content/uploads/2017/03/Nikkei-Veritas-article-re-PanaHome-March-4-2017.pdf
(ウェブサイト上と同じPDFファイル)
>エリオットのとった手法は、M&A(合併・買収)を材料とした一種のさや取りで、「バンプトラージ」と呼ばれる。
>「バンプ(上昇させる)」と「アービトラージ(裁定取引)」を組み合わせた造語で、最近はよく見かけるようになった。
英語ではどのような綴りになるのだろうかと思って検索してみますと、これまたほとんどヒットしなかったのですが、
どうやら、"bumptrage"(bump
+ arbitrage)
という綴りになるようです。
日本でもアメリカでも、「バンプトラージ」"bumptrage"という言葉は現時点ではほとんど使われていないようです。
ところで、2017年12月22日(金)に紹介した2017年12月20日(水)の記事には、
日本のファンドの株式保有状況について書かれているわけなのですが、
日本のファンドが日本企業の大株主になっているのは確かだとは思いますが、
「大株主になっている」というだけでは「物言う株主(アクティビスト)」とは呼ばないと思います。
株主提案その他、企業に対して何らかの要求をしていく株主のことを「物言う株主(アクティビスト)」と呼ぶのだと思います。
たとえあるファンドがある企業の支配株主(株式の過半数を保有)となっていようが、
そのファンドが会社提案の議案に賛成票を投じる方針を持っている(会社側に提案行為を行う意向は全くない)場合は、
そのファンドは全く「物言う株主(アクティビスト)」ではないわけです。
「株式の保有」や「保有比率」というだけでは、「物言う株主(アクティビスト)」であるとは決められないわけです。
そして、一連の記事を読んで、日本企業を対象とした(日本における)「物言う株主(アクティビスト)」というのは、
現在のところ、ほとんどがアメリカを中心とした海外のファンドである、というふうに思いました。
この社会は、低能者向けに準備された社会だったんだ。
母が興信所雇ったから、助かっただけだ。
そして、この社会は、所詮そんな所だったっていうのは・・・
これからずっと俺についてまわる問題だろうな・・・一生
I could not have been relieved without the detective agency hired by my mother.
母が雇った興信所がなかったら、私は助からなかったでしょう。