2017年12月10日(土)


2017年12月7日(木)日本経済新聞
NHK受信料「合憲」 最高裁、契約義務で初判断
春秋
(記事)


2017年12月7日(木)日本経済新聞
NHK 受信料支払い 圧力増す 一方的徴収には歯止め
Q&A 未契約・滞納どうなる 支払い義務 裁判で確定 敗訴なら設置日に遡り
(記事)


2017年12月7日(木)日本経済新聞
NHK受信料 最高裁「合憲」 ネット時代 公平さ課題 「受信設備」とは示さず
元東京高裁判事の升田純・中央大法科大学院教授(民事法) 徴収争う余地なくなる
立教大の砂川浩慶教授(メディア論) 公共放送の今後触れず
「番組作り支え」「必要性感じず」 視聴者賛否
(記事)


2017年12月7日(木)日本経済新聞
NHK受信料訴訟 最高裁判決の要旨
(記事)


2017年12月7日(木)日本経済新聞 社説
受信料合憲でも課題山積だ
(記事)



放送法により受信料契約を義務付けることは憲法が保障する「契約の自由」に反するか否か(に関する裁判)についてのコメント

2017年12月4日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201712/20171204.html

 



【コメント】
いわゆる「NHK受信料訴訟」に決着が付いたようです。
裁判でも最大の争点となった放送法により受信料契約を義務付けることは憲法が保障する「契約の自由」に反するか否か、
というについてですが、最高裁判所が下した結論(判断)は、放送法の規定は「合憲」である、でした。
この争点に関する私個人の見解は、2017年12月4日(月)のコメントの最後に書いた通りです。
端的に言えば、人は、受信料契約の義務を負うことを分かった上で(承諾した上で)受信機(テレビ)を購入・設置するものだ、
という考え方になる(民放のみを視聴する目的で受信機(テレビ)を家に設置するという考え方はない)、と私は思います。
普段NHKを見るか見ないかは全く関係がなく(普段NHKを見ないこと自体は自由というだけ)、
受信機の設置=受信料契約の受諾、という捉え方になるのだと思います。
判決日の次の日(2017年12月7日(木))の記事を計5つ紹介していますが、様々な考え方があるんだな、と思いました。
また、インターネット上にもこの裁判に関する記事がたくさんありまして、
これらもまた様々な考え方があるんだな、と思いました。
このたびの裁判で争点となったのは受信料の徴収に関してであったわけですが、記事を読んでいて、私は、
NHKの収入源云々というよりも、「放送のための費用は誰が負担をするべきか?」、という点が気になりました。
紹介している1つ目の記事には、NHKの受信料制度について、次のように書かれています。

>財政面で国などの影響を受けずに国民の知る権利を充足する公共放送の目的にかなう合理的なもの

このたびの裁判でも争点(考慮すべき論点)の1つとなったのではないかと思うのですが、
「そもそも『公共放送』とは何か?」という点について私は考えさせられました。
たとえば、大規模な自然災害が発生し人が被災をした時、被災者はNHK(テレビとラジオ両方)の放送(人への案内)を聞いて、
安全な場所へ避難をしたり政府等からの公的な援助を受けたりすることがあるわけです。
NHKにはそういった役割(公共の利益のための放送をすること)が社会的に求められているわけです。
しかし、そうしますと、逆から言えば、「受信料を支払っていない人は災害発生時にNHKの放送を聞く権利がない。」、
ということになってしまうわけです。
このたび敗訴した男性のように、家にテレビを設置しておきながら受信料を支払わなかったというのならともかく、
そもそも家にテレビを設置していない人は、受信料を支払っていないのですから、
災害発生時にNHKの放送を聞く権利がない(どこに避難すればよいかについての放送はお前は聞くな、という話になる)わけです。
しかし、それでは公共放送の趣旨に反するわけです。
端的に言えば、公共放送というのは、いつ誰が聞くことになるか分からない、という特徴があると思います。
逆から言えば、公共放送というのはいつ誰が聞いても構わない(いつ自然災害が発生しても構わない)、
という状態でなければ、いざという時に公共放送に求められている役割が果たせないわけです。
「公共」というのは、「家にテレビを設置している人か否か」では線は引けないはずです。
むしろ、全国民が聞くべきことを聞けるようにすることが公共放送には求められているはずです。
引用している文中には、「国などの影響を受けずに」と書かれていますが、現代は戦前の大本営発表ではないわけです。
むしろ、「国が国民に伝えたいこと」をテレビやラジオで放送することを「公共放送」と呼ぶのではないでしょうか。

 


結局のところ、NHKが放送する内容(公共放送の内容)というのは、テレビを設置しているか否かとは無関係に、
「全国民が聞いたり知っておかなければならないこと」と定義されると私は思うわけです。
自然災害発生時には、被災者の安全を第一に考えた放送に重点を置く(放送時間を割く)、というだけのことだと思うわけです。
テレビを設置していない人は被災しない、というわけでは全くないわけです。
有事の際には、誰もがNHKの放送を聞く(そして安全に避難したりする)わけです。
NHKの放送を聞くことに関しては、テレビを設置している設置していないは関係がないわけです。
簡単に言えば、NHKというのは、音声や映像がある「官報」だと思えばよいわけです。
NHKというのは「官報」なのです。
国民が知っておかないといけないこと・国民に知っておいてもらいたいことを、国が音声や映像を交えて伝達する、
それが「公共放送」なのです。
このたびの最高裁の判決文の中にも、「国民の知る権利」という言葉が何回も出てきています。
「国民の知る権利」にも様々な意味合いがあるとは思いますが、少なくとも「公共放送」という文脈では、
「国が国民に伝えたいこと・伝えなければならないこと」という意味になるのではないでしょうk。
その意味において、公共放送と民間放送は、その目的からして根源的に異なるわけです。
したがって、公共放送は全国民に関係があることなのですから、その放送のための費用は全国民が負担をするべき、
という考え方になるわけです。
それが公共放送のための「公平な負担」だと思います。
したがって、「公共放送」は全国民に関係があることですので、そのための費用は、テレビ設置者のみが支払う受信料ではなく、
端的に言えば全国民が負担する「税金」の類で賄うという考え方が正しいと私は思うわけです。
紹介している2つ目の記事には、海外の公共放送の受信料制度として、次のように書かれています。

>NHKと同じく受信料収入のみで運営しているBBCのある英国では、147ポンド(約2万2千円)で
>1年間有効の受信許可証がないとテレビを購入できない仕組み。
>徴収率は93%で、違反者には最高1千ポンド(約15万円)の罰金が科せられる。
>イタリアや韓国は公共放送の受信料は電気料金と一緒に徴収している。

家電リサイクル料金と同じように、テレビの購入時に受信料をテレビ代金と一緒に小売店が徴収する、
というのは1つの案ではないかと私は思っていたのですが、イギリスがまさにそうであるようです。
また、イタリアや韓国では受信料は電気料金と一緒に徴収する仕組みになっている、ということで、
電気がないとテレビは映らない(受信できない)わけですから、その徴収方法は私には思いつきませんでした。
他には、インターネット上の記事には、放送に「スクランブル」をかけておき、
受信料を支払わないとその「スクランブル」を解除できないようにすることは技術的に容易にできる、
という記事がありまして、NHKの放送を有料放送と同じような位置付けにすることも現実にはできるようです。
ただ、私としましては、公共放送のための費用は、全国民が公平に負担する、という考え方をすることが、
公共放送の目的に一番合致するように思います。
したがって、先ほど書きましたように、公共方法のための費用は全国民が負担する「税方式」の類が一番制度に適うと思います。
公共放送のための新しい財源の名称は、「公共放送負担金」("Charge for the public broadcasting")、
というのはどうでしょうか。
災害等に遭うのは所得水準とは無関係ですから、住民税と一緒に全国民から一律に負担金を徴収するというのはどうでしょうか。
普段はNHKは受信しなくても、有事の際は全国民が公共放送を受信することになる(近隣の住民から受信内容を聞くこともある)、
という点を鑑みれば、公共放送のための新しい財源の名称は、住民税に類する負担を全国民に求めるべきだと思いました。