2017年10月14日(土)



2017年10月14日(土)日本経済新聞
私の履歴書 斉藤 惇 L 89回債巡る発言 
「公定歩合 市場が決める」 日銀「野村から始末書 一筆を」
(記事)




【コメント】
「公定歩合は市場が決める」、という台詞が書かれていますが、その言葉は矛盾ではないかと思いました。
一言で言えば、公定歩合とは「国定金利」という意味なのですが。
国が決める金利を市場が決めるというのは矛盾でしょう。
金融機関は、国が決めた公定歩合を所与のこととして、預金や融資の業務を行っていかなければならないわけです。
そこに「市場が決める」という概念はないはずなのです。
現在においても、いわゆる政策金利を景気調節の手段としたいと中央銀行が考えているのならば、
従来のように「金利は国が決める」という考え方でなければおかしいのではないか、と思いました。

 

Who determines an interest rate?

誰が金利を決めるのか?


 



2017年10月14日(土)日本経済新聞
顔認証 審査10秒で 法務省、羽田空港で公開 日本人の出入国効率化
(記事)




羽田空港に設置の「顔認証ゲート」はどう使う? パスポートにはスタンプ押されず

法務省入国管理局は、10月18日から羽田空港の上陸審査場に3台導入する、顔認証ゲートの利用方法を明らかにした。
顔認証ゲートを利用できるのは、IC旅券を持つ日本人で、一人で機械の操作ができ、身長が135センチ以上であることが条件となる。
訪日外国人数の増加を受け、日本人の出入国手続きを合理化し、多くの入国審査官を外国人の審査に充てることで、
審査を円滑化することを目的としている。
顔認証ゲートはIC旅券内のICチップにある顔の画像と、顔認証ゲートのカメラで撮影した顔の画像を照合して
本人確認を行うもので、照合で本人が確認できた場合にはゲートを通過することができる。
顔認証ゲートを利用した場合、入国審査官から旅券にスタンプを受ける必要はない。
希望する場合にはスタンプを受けることができる。
(1)旅券の読み取り
青色のLEDが点滅している旅券リーダに、IC旅券の顔写真のページを開き、裏返して置くと、
機械が自動的にIC旅券の情報を読み取る。
(2)顔画像の提供
顔認証ゲートの内蔵カメラで顔写真を撮影する。撮影が終わるまで、しばらくの間、まっすぐ前を向いて静止する必要がある。
帽子、マスク、サングラスは外す必要がある。前髪が目にかかっている場合、照合を妨げる可能性がある。
(3)ゲートの通過
顔認証の処理が完了し、問題がなければゲートが開き、通過することができる。顔認証ゲートを利用した場合には、
入国審査官からスタンプを受ける必要はない。スタンプを希望される方は最寄りの職員に問い合わせる必要がある。
(トライシー 2017年10月13日 2:05 pm)
ttps://www.traicy.com/20171013-HNDpassport


法務省
平成29年10月から顔認証ゲートの先行運用を開始します。
ttp://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00150.html

 

「本人確認の手段」についての昨日のコメント

2017年10月13日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201710/20171013.html

 



【コメント】
出入国審査を機械で行う自動化ゲートが羽田空港に設置される、とのことです。
通常は、審査官(公務員)が出入国審査を行うわけですが、一言で言えば、自動化ゲートでは機械が審査を行うわけです。
記事を読んで、技術も進歩したものだなあ、と思ったわけなのですが、この自動化ゲートについて考えていてふと思いましたのは、
審査官(公務員)による審査であれ機械による審査であれ、結局のところは「顔」で本人確認をしている、という事実です。
このように書きますと、当たり前ではないか、と思われるかもしれませんが、
このことは、究極的には人は「顔」で本人確認をするしかない、ということを端的に示しているように思ったわけです。
甲さんと乙さんを区別する方法は、煎じ詰めれば、「顔」を見るしかない、ということではないでしょうか。
「顔」以外で本人かどうかを確認する方法というのは、煎じ詰めれば、ない、ということではないでしょうか。
昨日書きました表では、「中学校」を例に出し、「顔写真が貼られていない生徒手帳」でも本人確認の手段になる、
という点について書きましたが、大きな視点から見れば、「本人確認の手段」となるその前段階として、
その「顔写真が貼られていない生徒手帳」を間違いなく生徒本人に対して交付する、ということが当然に求められるわけですが、
ではどうやって交付する相手を間違えないようにするのかと言えば、生徒手帳を手渡す際に生徒の顔を見て確認するわけです。
法理上の身分証明書(印鑑証明書等)というのは、そういった現実的な部分を度外視した上で成り立つ証明書なのかもしれません。
以上の議論を踏まえた上で、次のように、昨日作成しました表を少しだけ訂正したいと思います(赤下線部分)。

「訂正版:居住地域の『人口規模』と『人の出入り』から分類した身分証明の手段」


「小学校」について、昨日は、「互いに顔見知りであるため。言わば完全な性善説の社会」と書きましたが、
「互いに顔見知りであるため、身分を偽ることが本質的に不可能な社会 ⇒だから、身分証が必要ない。」に訂正したいと思います。
結局のところ、「小学校」では、皆が互いに顔見知りであるため、身分証がいらないわけです(始めから相手を知っているから)。
また、「小学校」は、互いに顔見知りであるため、身分を偽ることが本質的に不可能な社会である、
と言えるわけです(甲さんが「私の名前は乙です。」と言ったところで、社会の皆が甲の名前は甲であることを知っているから)。
昨日は、「小学校」のことを「完全な性善説の社会」と書きましたが、
ここでは性善説に立っているか性悪説に立っているかは関係がないと思いました。
社会が性善説に立っているか性悪説に立っているか以前に、その社会ではそもそも身分を偽れない、ということになるわけです。
人が身分証を持っていない・持つ必要がない社会だから性善説の(性善説でも通用する)社会だ、というわけではないわけです。
最後に、上記の「本人確認の手段」の議論とは全く関係ありませんが、
出入国の審査を法務省が行っている、というのは、担当職務の範囲を鑑みれば少しおかしいように思いました。
出入国の審査は外務省が行うべきだと思います。
他の言い方をすれば、「入国管理局」は外務省の部局であるべきなのです。
出入国に関する公務なのですから、当然外務省の所管でしょう。
例えば(と言いますか「当然のことながら」と言うべきでしょうが)、パスポート(旅券)の発行官庁は外務省です。
パスポート(旅券)の1ページ目(裏表紙)には、日本国外務大臣から諸外国への要請文が書かれています。
パスポート(旅券)を国民が使用する場面というのは、諸外国の大使館や(総)領事館が関係してきますから、
当たり前のことだとは思いますが、出入国の管理や審査等も外務省が管轄する必要があるわけです。
なぜ法務省が出入国の審査を行っているのだろうか、と思いました。

 


The fact that a photograph of a person's face is put on certain kinds of identification cards represents
the fact that, all things considered, people identify a person by his face.
As one live human, a person can't be indentified as the person himself without his face in real life.
For, even in an "elementary school" on the table above, one pupil identifies another pupil by his face after all.
 
ある一定の種類の身分証明書には顔写真が貼ってあるということは、
結局のところ、人は人を顔で確認している、ということを意味しているわけです。
生きている1人の人間としては、現実には、顔がなければ人を本人であると確認することはできないのです。
というのは、上記の表中の「小学校」においてでさえ、結局は児童は他の児童を顔で確認しているのですから。

 

There is no substitute for a face.

顔に勝るものはない。