2016年11月14日(月)



昨日、消費税の理論的背景についてコメントを書きましたが、消費税理論について一言だけコメントします。

2016年11月13日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201611/20161113.html

ます、今日書きたい論点とは全く関係ありません(現行の実務上の取り扱いに過ぎない)が、
消費税に関する会計処理について、教科書をスキャンして紹介します。

 


「取引別 仕訳ガイドブック」 会計処理研究会 編集 (新日本法規出版)

 

第2章 税金や社会保険料に関する取引

第4節 消費税に関する取引
消費税等の中間納付
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「スキャン2」 

「スキャン3」 


消費製等の確定申告と納付
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「スキャン2」 

「スキャン3」 

 


第8章 経費の支払いに関する取引

第10節 その他の経費に関する取引
対価のない輸入
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「スキャン4」 

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「スキャン6」 

「スキャン7」 

 



昨日のコメントでは、物品税と比較しながら、消費税の問題点についてコメントを書きましたが、
消費税の理論面に関して一言だけ追記をします。
今日書きたい論点は、理論的には「サービス(役務)に関しては消費税を観念することができない。」となります。
以前私は、消費税が5%から8%に引き上げられる時の話題として、
「消費税率が引き上げられても、鉄道などの運賃が値上げされるのは理論的にはおかしい。」という趣旨のことを書きました。
その理由として、「運輸はサービス(役務)であり、運輸には仕入れに相当するものがないからだ。」という趣旨の理由を書きました。
このコメントを書いた後、すぐに訂正のような形で、運賃にも本体部分はあるので、消費税が値上げされたら運賃も値上げされても、
おかしいとは言えないのかもしれない、というようなことを書いたかと思います(現在の運賃に(8%÷5%)をかければよい、と)。
しかし、1年以上経って改めて考えてみますと、理論的にはやはり最初に書いた内容の方が正しいと思うようになりました。
運賃に限らず、話を一般化しても、先ほども書きましたが、
理論的には「サービス(役務)に関しては消費税を観念することができない。」が理論上の結論であると思います。
その理由は、実は「消費税の概念」そのもの(消費税に関する根源的な話)なのだと思います。
国や時代や文脈によっていわゆる消費税は様々な呼ばれ方がされますが、理論的には消費税は「付加価値税」と呼ぶべきなのです。
一方で、かつて日本にありました「物品税」(サービスも含む)は理論的には全く「付加価値税」ではありません。
話を簡略化して言うと、AさんはBさんにある目的物を100円で譲渡したのだが、その後Bさんはその目的物をCさんに120円で譲渡した、
という場合、「『BさんからCさんに譲渡されるという流れ』の中で、目的物には20円の価値が付加された。」と表現するわけです。
「BさんからCさんに譲渡されるという流れ」の中で、目的物は20円だけ価値が増加した、それを「付加価値」と呼ぶわけです。
BさんがCさんにその目的物を仕入価格と同じ100円で譲渡した場合、目的物に価値は1円も付加されていないのです。
「川上から川下に至る過程の中で、目的物はどのように価値が増加していったのか」を「価値の連鎖」と呼ぶわけです。
端的に言えば、「目的物の価値が増加していく(付加されていく)」ことがまさに付加価値税理論の核心部分なのです。
目的物の価値が増加しないならば、そこに付加価値税を認識する部分というのは一切ない(観念できないと言っていい)わけです。
この観点から見ますと、「サービス(役務)に関しては消費税を観念することができない。」のは根源的に明らかかと思います。
なぜならば、サービス(役務)に関しては価値が増加するということが一切ない(それこそ全く観念できない)からです。
サービス(役務)というのは、AさんからBさんに提供して終わりであるわけです。
Aさんから提供を受けたサービス(役務)を、BさんがCさんに提供する、などということはできないのですから。
サービス(役務)というのは、提供を受けた人がその場で消費して終わりであるわけです。
サービス(役務)には、バリューチェーンの次の段階(次の流通段階、川下の人)というのは根源的にないわけです。
サービス(役務)には「付加価値」と呼ばれる部分はない(サービス(役務)が次の流通段階に進むということはない)のです。
「目的物がどのように価値が増加していくか」に着目して税を認識する(付加価値額部分に課税する)のが付加価値税なのです。
付加価値税は、譲渡可能な目的物に関してのみ認識できるものなのです。
譲渡不可能なもの、すなわち、サービス(役務)に関しては、付加価値税はそもそも認識できないものなのです。

 


甲さんが家の庭で拾った石(当然、取得価額0円、仮払消費税0円)を近所の人乙さんに100円で売ったとします。
この取引を通じ、この石には100円の価値が付加されました(0円から100円へ)ので、
乙さんは甲さんに「100円×付加価値税率」の付加価値税を支払い、甲さんは受け取った付加価値税を税務当局に納付します。
これが付加価値税です。
この例(甲さん)は、最上流の事業者(最も川上の事業者)にそのまま当てはまる課税関係です。
そして、乙さんがその石を丙さんに120円で譲渡したとします。
その取引を通じ、この石には20円の価値が付加されました(100円から120円へ)ので、
丙さんは乙さんに「120円×付加価値税率」の付加価値税を支払い、
乙さんは丙さんから受け取った付加価値税「120円×付加価値税率」から甲さんに支払った付加価値「100円×付加価値税率」を控除し、
税務当局に納付します。
目的物を譲渡した側(目的物の対価を受け取った側)が目的物の価値の増加額に付加価値税率を乗じた金額(付加価値税)を
納付する、これが付加価値税です(付加価値税は「価値の増加に課税する」のです)。
付加価値税は、事業者が納付するのです。
これが付加価値税の意味です。
もちろん、付加価値税は消費者が負担するのですが、消費者は目的物の価値が増加したことを意識・認識することはないのです。
消費者には、事業者がその目的物をいくらで仕入れたのかは知る由もない(商取引の上でもそれは関係のないこと)のですから。
「目的物の価値が増加したこと」を認識しなければならないのは、事業者なのです。
付加価値税と聞きますと、消費者への負担といったことが議論になりますが、実は付加価値税の主役・主体は事業者なのです。
極端な言い方をすれば、付加価値税は消費者には全く関係がないのです。
消費者は事業者と合意した価格で目的物を買うだけなのですから。
ただ、その消費者が購入した目的物を他者に譲渡する場合は、その消費者は途端に事業者になります。
その意味において、付加価値税では事業者と消費者との間に区分はない(誰もが事業者(になり得る)と言える)のです。
敢えて言うならば、目的物の価値を増加させたならば事業者、目的物の価値を増加させずそのまま自己で消費したならば消費者、
という区分けに結果的になるだけだ、と言えるでしょう。
付加価値税では目的物に関する価値の連鎖(価値の増加)を理論上の前提としているのですから、
この人は事業者、この人は消費者、という具合に、目的物の消費に先立ち決める(定義する)ことはできないのです。
目的物が消費されて初めて、誰が事業者であり誰が消費者かが決まる、ということになります。
他の言い方をすれば、付加価値税は誰もが事業者になり得る(誰が事業者になってもよい)、ということを前提にしているのです。
物品税では逆に、誰が事業者であり誰が消費者であるかは始めから明らかであった(そうでないと課税できない)わけです。
物品税と付加価値税(消費税)は、根源的に異なる理論から成り立っているのです。
消費者の立場から見ると一見どちらも同じような課税に見えるだけであり、事業者の立場に立てば根源的に異なる課税関係なのです。
改めて付加価値税について考えてますと、サービス(役務)の場合は、以上書きましたような価値の増加は観念できないわけです。
サービス(役務)の提供を受ける側は必ず消費者なのです。
サービス(役務)の提供を受ける側が事業者になることは絶対にないのです。
サービス(役務)の提供の場合、サービス(役務)の価値が0円からサービス料金の価格まで増加した、という見方はしないのです。
付加価値税理論から見ると、その理由は、「サービス(役務)は価値が連鎖していかないからだ。」と言っていいと思います。
サービス(役務)に関しては、付加価値税理論の前提が始めから崩れていると言っていいと思います。
サービス(役務)の場合は、「その価値を増加させたら税を納付して下さい。」ということが決して起きないわけですから。
以上が、サービス(役務)全般に関し、理論的には「サービス(役務)に関しては消費税を観念することができない。」理由です。