2016年11月9日(水)



2016年11月9日(水)日本経済新聞
将来の二次相続も念頭 名義分散させて節税
(記事)





相続に関する過去のコメント

2016年11月2日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201611/20161102.html

 


【コメント】
”一次相続”や”二次相続”という言葉が記事には書かれています。
法律上は、相続というのは、「ある被相続人とその法定相続人との間のみで」完結する法律行為です。
相続に、被相続人と法定相続人以外の人が関与することはないのです。
相続では、被相続人から法定相続人に財産の相続が行われて、それで終わりです。
つまり、法律上は相続に”一次相続”も”二次相続”もないのです。
相続財産の相続税評価額に関しても、1回の相続毎に目的物に応じて価額が一意に決まる、というだけのことであり、
例えば”二次相続”であれば相続税が優遇される(税率や相続税評価額が低くなる等)、などという考え方は全くないのです
ただ、「先祖代々の土地」の相続といった場面ですと、目的物を中心に相続を見ますと、
その土地は例えば計3回相続が行われた(その土地の所有者は相続により最初の所有者から数えて計3回変わった)、
というようなことはあり得るでしょう。
そのような場合、その土地から見ますと、その相続は”三次相続”だ、という言い方はできると思います。
法律上、相続により、土地の名義人(所有者)が3回変わることは、”三次相続”とは呼ばないと思います。
法律上は、相続に際しては、「その土地の名義人は被相続人である。」ということのみが重要なのであって、
被相続人はその土地をどのようにして所有するに至ったのか(相続により取得したのか現金を対価に他者から取得したのか等)は
全く重要ではない(それは民法や相続税法の範疇外のこと。少なくとも法律上は完全に度外視される関心事)のです。
ですので、法律上は”一次相続”や”二次相続”という概念も言葉もないのです。
そして記事には、相続税の節税方法について書かれています。
相続人が配偶者か子かで相続税の取り使いが大きく変わること、そして、相続税は累進課税になっていることなどを理由に、
将来の”二次相続”のことまで見据えて節税のため”一次相続”を賢く行っていくべきだ、というのが記事の主旨です。
”一次相続”を上手くやる場合と下手にやる場合とで、”二次相続”まで含めたトータルの相続税額が倍も違ってくる、
という具体例が記事には挙げられています。
現実に対する対応という意味では、わざわざ多くの税金を支払うことには意味はないので、
納税者の立場から言えば、税法上節税を行う余地があるのなら、節税を行うことは何ら間違っていないと思います。
ただ、法理的な観点から言えば、そもそも、相続人が配偶者か子かで相続税の取り使い(税控除額)が大きく変わること、そして、
相続税は累進課税になっていること自体がおかしいのだろうと思います。
仮に、相続税法上、法定相続人としての地位に配愚者と子との間に区別はなく、税率も累進課税ではないのだとすると、
子にとってそもそも相続税法上節税の余地など一切ないはずです。
1人当たり「相続後消費すると考えられる財産額」は、年齢を鑑みると、「配偶者<子」となるのは間違いわけです。
そのことは、配偶者よりも子の方により多くの財産を分割するべき、ということを指し示しているように思います。
別の言い方をすると、配偶者よりも子の方がより多くの生活費・扶養金額を今後必要する、ということを指し示しているわけです。
「相続」を少なくとも「扶養」という観点から見るとそういう結論になると思います。
ただ、現代のように、子は子で何らかの形で独立して所得を得ており(金銭的な意味では扶養を受ける必要は全くない等)、
配偶者は夫の所得で生活をしてきた、というような状況下であれば、
逆に子よりも配偶者の方がより多くの財産を相続することに合理性がある、ということになるでしょう。
万が一、相続前から配偶者にも所得があったとなりますと、配偶者と子とは相続税法上完全に同じ取り扱いをせねばならない、
ということになると思います(つまり、配偶者を優遇する根拠がないわけです)。
現代の相続は全く説明が付かない(結果的に、家庭の事情によりケース・バイ・ケースとなる部分が極めて大きくなる)と思います。

 


それから、2016年11月2日(水)のコメントで”相続登記”についてコメントを書きました。
この”相続登記”について一言だけ追記します。
相続が行われるに際し、不動産の相続登記が完了していないとなりますと、不動産に関する対抗要件が問題になろうかと思います。
これは親族間のもめ事というわけではなく、全くの他人が相続財産(不動産)を私の所有物だと主張するというケースです。
このケースは、正確に言えば、”相続登記”を相続と同時に速やかに行わなかったことが原因というよりも、
被相続人が死亡していることそのことが原因ということになるケースです。
どういうことかと言いますと、被相続人が死亡前に第三者である甲さんと不動産の譲渡に関する契約を締結していたとします。
契約締結日は1月1日、不動産の引渡し(移転登記)と対価(現金)の支払日は1月3日、
という内容で被相続人は甲さんと契約を締結していた、とします。
ところが、1月2日になって被相続人が死亡したとます。
すると、1月3日になりますと、甲さんは不動産の引渡しを遺族に請求することでしょう。
この時、遺族は、正確には、その不動産の相続人は、甲さんに対し不動産の引渡しを行う法的義務はあるでしょうか。
話を一般化すると、不動産の所有権が移転すると、その不動産に付随する法的義務も新しい所有権者に移転するのか否か、
といった論点になるかと思います。
この場合、不動産の所有権の移転原因が「相続」にある、というケースになるわけですが。
不動産の買主や相続人は、「そんな契約があったとは知らなかった。」と契約の相手方に主張したいのではないかと思います。
不動産の売主がまだ生きている場合は、現実に対する対応としては、買主との間の不動産の譲渡に瑕疵があったことを理由に、
不動産の譲渡を取り消す、というような形で対応が取れる場合もあるとは思います。
しかし、不動産の前所有権者が既に死亡している場合は、すなわち、相続により所有権者が変わった場合は、
相続を取り消すという考え方もないでしょうし、相続人はやはりこの不動産は私のものだと主張するでしょうし、
契約の相手方は、被相続人が死亡しているのなら相続人が引渡しの義務を履行して欲しいと主張するでしょう。
通常の商取引の場合はともかく、相続の場合は、契約の相手方が死亡したことは契約が無効になる原因にはならない、
すなわち、契約内容は相続人が承継するべき、というふうに私には思えるわけです。
被相続人の義務・債務は相続人の義務・債務(義務・債務を放棄するという考え方は相続にはない)、
という考え方になるように思います。
少なくとも、債権者の立場に立てば、そう主張したくなると思います。
現行民法上は、被相続人の義務・債務は相続人は放棄できるようですが。
債権者から見ると、被相続人と相続人は別の人格ではない(別の人格ではないから相続が規定されているはず)、と見えるわけです。
現代の家の制度では、家族の構成員は事実上皆それぞれ独立している(構成員はそれぞれが別の人格を持った個人である)
にも関わらず、表面上・法律上は家は家族という1つの生活共同体を構成している(家族は独立していない)、
という建前を取っているために、現代の相続は全く説明が付けられないことになっているのだと思います。
他の言い方をすれば、「家の定義」が矛盾・混在しているために、現代の相続に説明が付けられない部分が生じるのだと思います。


An inheritance is inherited from a legal inheritee to a legal inheritor.
What you call inheritance is not more than that nor less than that.

相続財産は、法定被相続人から法定相続人に相続されます。
いわゆる相続というのは、それ以上でもなければそれ以下でもないのです。