2016年7月18日(月)



2016年7月16日(土) のコメントに一言だけ追記をします。


2016年7月16日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201607/20160716.html


2016年7月16日(土) に紹介していますプレスリリースとキャプチャーを基に、一言だけコメントとします。
まず、「無償減資」についてです。
2016年7月16日(土) のコメントでは、

>いわゆる「減資」というのは、文字通り資本取引と損益取引の混同なのです。

と書いたわけですが、会計上、資本取引と損益取引は明確に区分しなければならないにも関わらず、
いわゆる「減資」では、資本取引の結果を損益取引の結果であるかのように会計処理を行うわけです。
「減資」という会計処理は、企業会計原則に完全に反していると言わねばならないでしょう。
また、「無償減資」の逆、すなわち、「無償増資」という考え方現代会計ではもあります。
この「無償増資」もまた、文字通り資本取引と損益取引の混同です。
「無償増資」では、損益取引の結果を資本取引の結果であるかのように会計処理を行うわけです。
「無償増資」という会計処理は、企業会計原則に完全に反していると言わねばならないでしょう。
ただ、これら「無償減資」と「無償増資」について改めて考えてみますと、1点だけ大きな違いがあるように思えます。
それは、「無償減資」の場合は、各株主が所有する株式数(投資法人の場合は投資口数)は減少しないのに対し、
「無償増資」の場合は、各株主が所有する株式数(投資法人の場合は投資口数)は増加する、という点です。
同じ「無償」による資本取引と損益取引の混同であるにも関わらず、
「無償減資」の場合は株式数は減少しないのに対し、「無償増資」の場合は株式数は増加するわけです。
私はいつも、商取引を捉える時は「取引の対称性」が極めて重要である、と書いています。
話の簡単のために、議論の都合上、これら「無償減資」と「無償増資」を所与のこととしますと、
@「無償減資」において株式数は減少しないのならば「無償増資」においても株式数は増加しない、と考えるか、
A「無償増資」において株式数は増加するのならば「無償減資」においても株式数は減少する、というふうに考え、
両取引を整理するべきなのではないかと思うわけです。
ただ、両取引をどのように整理するべきかについて考えみますと、理論上正しいと考えられる整理方法はないように思えます。
その理由は、煎じ詰めれば、「はじめから資本の全てが株式に帰属しているから」だと思います。
すなわち、「無償減資」を行おうが「無償増資」を行おうが、資本額は一切増減しないわけです。
したがって、株主の持ち分にも一切変動は生じないわけですから、各株主が所有する株式数にも変動は生じない、
と考えるべきなのだと思います。
ですので、敢えて両取引を整理するならば、
「無償減資」においては株式数は減少せず、また、「無償増資」においても株式数は増加しない、
となろうかと思います。

 



ただ、そもそもの話をしますと、「無償減資」も「無償増資」も、どちらも会計理論的には根本的におかしい会計処理ですので、
「無償減資」においては株式数は減少せず、また、「無償増資」においても株式数は増加しない、
という考え方が正しいと理解するよりも、
「無償減資」も「無償増資」も、会計理論上はそもそもどちらも行うことができない取引である、
というふうに理解をするべきだと思います。
実務上行われている「無償減資」と「無償増資」について考えみますと、
「無償減資」では、資本の全てが株式に帰属していることを前提としている(だから減資に伴い株式数は減少しない)のに対し、
「無償増資」では、資本金のみが株式に帰属していることを前提としている(だから増資に伴い株式数が増加する)、
という違い(敢えて言えば非対称性)があるわけです。
「無償増資」を行った後は「無償減資」を行ってはならない、などという定めはないわけです。
これでは、「無償減資」と「無償増資」を何回も繰り返せば、株式数のみが無尽蔵に増加することになるでしょう。
これが旧商法において「無償増資」が「株式分割」とも呼ばれていた理由かどうかは知りませんが、
例えば、利益の資本組入れと資本金の額の減少を1回ずつ同額だけ同時に行えば、結果、
資本金額と利益剰余金額は一切変動がないまま、株式数だけが増加することになりますので、
単に株式分割を行った場合と全く同じ結果になるわけです。
この辺り、議論の出発点が根本的に間違っています(資本取引と損益取引の混同)ので、理論上正しい答えは見出せないのですが、
敢えて言うならば、資本と株式との関連性に重点を置いて考えるべきであり、したがって、
利益の資本組入れを行っても株式数は増加せず、資本金の額の減少を行っても株式数は減少しない、
が相対的に正しい考え方であろうと思います。
資本金と株式との関連性に重点を置いて考えますと、
利益の資本組入れを行うと株式数は増加し、資本金の額の減少を行うと株式数は減少する、
というふうに考えることもできるとは思います。
しかし、株式というのは、「資本の払い込み」(まさに資本取引)を行ったことを表象する証券であると思います。
利益の資本組入れは資本の払い込みではありませんし、また、資本金の額の減少は資本の払い戻しではないわけです。
その辺りのことをぼやかして”無償”と表現しているのであろうと思います。
”無償”ということは現金は動かない、すなわち、本質的に「払い込まれた資本」に変動は生じないので、
利益の資本組入れを行っても株式数は増加せず、資本金の額の減少を行っても株式数は減少しない、
という考え方が相対的に正しい考え方であろうと思います。
株式というのは、「資本の払い込み」を行ったことを表象する証券である、と先ほど書きましたが、
株主のお金は、会社に払い込みを行った後は、株主のお金ではなくなる(会社(法人)のお金になる)わけです。
換わりに、株主の手許には、株式という名の証券が手渡されるわけです。
株式と資本金との間には、概念的なつながりしかない状態になるわけです。
そうしますと、資本金の額の減少を行っても株式には影響がない(資本金と株式には関係がないのだから)、
という言い方ができるのかもしれません。

 


特に、「株主は会社運営の全てを取締役に委任する」(委任の法理や所有と経営の分離)という点について深く考えてみますと、
極論すれば、会社の資本金や資本金額は株主には全く関係がないのだ、という言い方ができると思います。
会社の資本金はただ単に分配可能額を計算するためだけにあるに過ぎない、という見方をしなければならないのだと思います。
2016年7月16日(土) のコメントで、

>Ultimately speaking, financial resources of a distribution of a company are the debit side, actually.
>The credit side, or equity, is used only for calculating the distributable amount.

>究極的なことを言えば、会社が行う分配の原資は、実は借方なのです。
>貸方、すなわち資本は、分配可能額を計算するために使うだけなのです。

と書きましたが、配当の原資というのは、本質的には借方(資産の部)なのだろうと思います。
会社あくまでも、資産(会社財産、現金)を配当として支払うわけです。
配当支払いの際の現金勘定の相手方勘定科目である利益剰余金は、分配可能額を象徴する概念的な勘定科目に過ぎないわけです。
そして、それら資本金や利益剰余金は、「会社運営の側」の話であって、極端に言えば「株主の側」の話ではないわけです。
株主にあるのは、株式という名の証券だけなのですから。
「払い込み」という行為により、会社のお金や資本金と株主の株式とは切り離されているわけです。
資本金(の金額)は、株主から払い込みを受けた金額を象徴しているだけなのです。
他の言い方をすれば、資本金は、会社が管理しなければならない勘定科目であるわけです。
「委任の法理」に即して言えば、資本金とは、株主から信任を受けて取締役が預かった現金の総額を表しているわけです。
資本金の金額(預かった総額)は、株主には関係がない、という言い方ができるのだと思います。
株主が複数の場合、1人1人の株主から見ると、会社の資本金の金額は、自分には関係がない、と見えるのではないでしょうか。
また、「所有と経営の分離」に即して言いますと、
「出資」という行為に関して言えば、所有とは株式、経営とは資本金でありますから、
「株式と資本金の分離」、というふうに概念的に捉えることができるのではないでしょうか。
以上のように考えても、資本金の額の減少を行っても株式数は減少しない、ということの説明になっているのではないかと思います。

 

From a viewpoint of an "investment" or "paying cash in a company,"
what you call a "separation of ownership and management" means a "separation of shares and a capital."

「出資」すなわち「会社への現金の払い込み」という観点から見ると、
いわゆる「所有と経営の分離」とは「株式と資本金の分離」という意味なのです。