2016年7月15日(金)
2016年6月30日(木)日本経済新聞
やさしい経済学
早稲田大学教授 根来
龍之
シャアリングエコノミーを考える B 民泊、互いに信頼できるシステム
(記事)
関連コメント
2016年7月14日(木)
http://citizen.nobody.jp/html/201607/20160714.html
【コメント】
「ニュース一言」の記事によりますと、京王電鉄は、
>民泊や相部屋付きの「シェア型複合ホテル」といった新しいかたちの施設を相次ぎ展開。
と書かれています。
しかし、これは「民泊」の定義から完全に外れるのではないでしょうか。
なぜならば、「民泊」というのは、「一般住宅」に宿泊客を泊めることであるわけですが、
企業が宿泊施設を提供した時点で、それは「一般住宅」ではないからです。
外見が一般住宅を模している宿泊施設を新たに建設しようが、空き家となっている一般住宅を宿泊用に購入しようが、
企業がそれを手がけた時点で、それは「民泊」とは呼ばないのではないでしょうか。
一般人が宿泊のためのスペースを貸すから「民泊」と呼ぶのではないでしょうか。
企業が宿泊のためのスペースを貸すのならば、それは「民泊」ではなく「商泊」とでも呼ぶべきではないでしょうか。
企業が「民泊」を展開する、と聞いて、言葉が矛盾しているな、と思いました。
それから、昨日2016年7月14日(木)
に、資本的支出と収益的支出の違いについて書きました。
そのコメントの中で、法理的には資本的支出という考え方などはない理由として、
>On the principle of law, a tangible fixed asset presupposes that it
endures until the end of a term of its
depreciation.
>法理的には、有形固定資産は、減価償却期間の最後まで耐用する、ということが前提となっています。
と書きました。
この点について法理的な観点から一言だけ追記しますと、「取得後、減価償却期間の最後まで一切変動しない」のは、
法理的には、物理的な耐用や稼動(状態)だけではなく、減価償却期間そのものや資産の目的も含まれる、という点です。
結局のところ、有形固定資産というのは、取得の時点で、その何もかもが決まっている、と法理的には考えるのだと思います。
そうでないと、法理的・理論的には、減価償却手続き自体を行えないからです(途中で変動すると考えると減価償却の前提が崩れる)。
有形固定資産は減価償却期間の最後まで稼動状態も目的も変動しない、という法理的前提が、資本的支出という概念を排除するのです。
If a company provides general residence for accommodations, it has not already been called "Minpaku."
企業が宿泊するための一般住宅を提供するというのは、それはもはや「民泊」とは呼べません。
"Minpaku" is not a business.
「民泊」というのは、商売ではありません。