2015年10月2日(金)



2015年10月2日(金)日本経済新聞 公告
地震保険基準料率算定公告
損害保険料率算出機構
(記事)

 

 



2015年10月2日(金)日本経済新聞
背任罪見直し 議論に熱 具体性欠く「任務違反」
(記事)



 

【コメント】
昨日も書きましたように、「会計分野・商法分野では自分は頂点に立った。」、と思っておりまして、
会計分野や商法分野に関しては書き尽くした感が自分の中にあります。
「人は頂点に立った後、一体どうなるのだろうか?」と思って生きてきましたが、
頂点に立つとはこういうことなのか、会計分野や商法分野に関しては若干モチベーションが下がっております。
会計分野や商法分野に関しては議論・論点は概ね出尽くしているのかもしれないな、と思っておりまして、
次は刑法でも勉強してみようかな、と思っているところです。
憲法は観念論ですし、訴訟法は基本的には裁判の手続きを定めたものなのだろうと思いますので、
それらを除けば、いわゆる六法のうち、自分が全く学んでいないのは刑法だけだ、と思っているところです。
ただ、まだ会計分野や商法分野でも自分の理解が浅い部分は当然ありますし、
日々様々な記事を読んでいて新たな理解のきっかけとなる気づきを得ることはまだまだあります。
ですので、刑法の勉強は将来の楽しみのために取っておくとして、
今後とも、会計分野や商法分野を中心にコメントを書いていきたいと思います。

 



それで、紹介している記事についてですが、韓国における背任罪についての記事になります。
この記事では、株式会社の取締役の業務上の背任についていっているのだと思いますので、
日本でいうと、「特別背任罪」に該当すると思います。
以下、インターネット上の記事等を参考にしながら、日本の法律の場合について一言だけ書きたいと思います。
まず、日本には、「背任罪」と「特別背任罪」の2つがあります。
条文上は、「背任罪」は刑法に定められています。
一方、条文上は、「特別背任罪」は会社法に定められています。
それぞれの違いなどはインターネット上に解説記事がたくさんありますので、そちらを参考にしていただければと思いますが、
法理的な観点から私が思うのは、「背任」というのは、結局のところ、
私人間の信頼関係を損ねてしまった、ということではないか、と思うわけです。
背任の「任」は、任務、委任、信任の「任」だと思います。
背任というのは、俗っぽいたとえをするならば、結婚をしている奥さん(正式な配偶者)に浮気された、というようなものでしょう。
結婚をしている奥さんとは、婚姻という契約をしているということになるわけですが、
奥さんが浮気をしたというのは奥さんが契約違反をしたということです。
これが一種の背任と言えるでしょう。
婚姻を例に出したのは少し的外れだったかもしれませんが、要するに、背任とは、お互いの信頼関係が相手方から崩されてしまった、
ということであるように思えるわけです。
背任とは、信頼していた友達から裏切られた、というようなことではないかと思うわけです。
そうしますと、純粋に私人間の人間関係の話ですから、犯罪ということではないのだから、
刑法で「背任罪」という形で定めるのはおかしいのではないか、という気がするわけです。
問題は「本人に財産上の損害を加えたとき」であるわけですが、これは単に横領罪と定義すればいいのではないでしょうか。
要するに、現行刑法の「背任罪」は「横領罪」に一本化する、ということでいいのではないでしょうか。
全く見ず知らずの人のお金100円を横取りするのと、友達のお金100円を信頼関係を崩して横取りするのと、
どちらが罪が重いのか、というと、確かに一人の人間としては難しい部分がありますが、
法理的には、「人のお金100円を横取りした」という一点で罪の重さを判断するしかないのではないか、という気がします。
信頼関係を崩したのだからより罪が重い、というのは、確かに意味は分かるような気もしますが、
始めから罪に情状酌量が含まれているような感じがするといいますか、
それをいうなら、信頼関係を崩したのにも理由があるのではないか、などという話にもなるわけでして、
やはり法理的には、信頼関係云々の事柄は度外視し、「人のお金100円を横取りした」という一点で罪を決めるしかないと思います。

Everyone has his own circumstances. (誰にだって情状はある。)

と言います。
私個人の結論としては、「背任罪」が刑法に定められているのはおかしい、なります。

 



ただ、先ほど、婚姻を例に出したのは少し的外れだったかもしれません、と書きましたが、
私が以上書きました内容も、実は相対的な違いに過ぎない部分があるわけです。
例えば、戦前の旧刑法では、「姦通罪」が定められていました。
簡単に言えば、奥さんが浮気をするのは刑法上の犯罪であった(牢屋に入らないといけなかった)わけです。
現代とは異なり、奥さんの浮気は非常に重い犯罪であったわけです。
現代では、浮気はただ単に夫婦間の信頼関係を損ねた(単なる私的な契約違反)というだけであるわけです。
少なくとも浮気は刑法上の犯罪ではないわけです。
これは結局のところ、「夫婦間の信頼関係を保つためには、浮気を特段に犯罪と定義する必要がある。」という考えから、
戦前は旧刑法に「姦通罪」が定められていた、ということであるわけです。
夫婦間の信頼関係を損ねることも、友達から裏切られたということ同様、私人間の信頼関係を損ねたに過ぎない、
という見方もできなくはないわけです(現行刑法はこの立場に立っている)。
しかし、婚姻という特別な人間関係であったがゆえに、旧刑法では敢えて浮気を犯罪と定義したわけです。
この考え方の延長線上に、特別な信頼関係に関しては、その信頼関係を損ねることは犯罪だ、
と定義することもまたできる、ということになると思います。
それが「特別背任罪」ということではないかと思います。
現行会社法では、戦前における夫婦関係同様、会社と取締役との関係は通常の信頼関係以上の特別な関係だ、と定義している、
ということだと思います。
それで、取締役が会社との信頼関係を損ねた場合はより罪が重い、というふうに定められているわけです。
ただ、旧刑法で「姦通罪」が定められていたように、現行会社法の「特別背任罪」は刑法に定めなければならないのではないか、
と思います(例えば、「婚姻」自体は(旧)民法だったわけですが「姦通罪」は旧刑法だったわけですから)。
会社と取締役との信頼関係を損ねることは、私人間の契約違反ではなく犯罪だ、と定義しているということは、
「特別背任罪」は会社法ではなく刑法に定めなければならない、ということになると思います。
定義・条文の位置関係を整理しますと、

現行刑法の「背任罪」 → 「横領罪」に一本化(現行の「背任罪」は廃止)
現行会社法の「特別背任罪」 → 会社法ではなく刑法に「特別背任罪」を定める(定義・内容は同じなままでよい)

ということになります。
簡単に言えば、会社法で罪を定めるのは、法体系としてはおかしい、ということです。
法律を参照する上では、取締役の罪も含め、会社法にまとめて書いてくれた方が利便性は高いわけですが、
犯罪の定義は刑法で行うというのが各法律の担当・役割であることを鑑みれば、「特別背任罪」は刑法に定めるべきなのです。
旧民法に「姦通罪」を書いてもよかったと思いますが、「姦通罪」は犯罪だから刑法に書きました、ということだと思います。
旧刑法は旧民法を前提にしていた(「夫」や「有夫ノ婦」自体は民法で定める、という法体系になっている)、と言えるでしょう。
また、仮に現行の「背任罪」を廃止するとしますと、現行の「特別背任罪」は(新)「背任罪」とでも罪名を変更した方がいいでしょう。
「背任罪」がないのに「特別背任罪」があるのはおかしいと思いますので。

 



それで、「背任罪」や「特別背任罪」の説明が長くなってしまったのですが、
記事の内容に関して一言だけコメントしますと、「特別背任罪」(この記事でいう「背任罪」)の問題は、
一言で言えば「『経営判断』とは何かは全く明確ではない」という点だと思います。
取締役が業務執行に関する意思決定を行い赤字となった場合、それは取締役が会社に損害を与えた、ということになるのでしょうか。
取締役を委任した株主からすると、取締役には別の業務執行を行って欲しかった、と思う場面はあると思います。
しかし、取締役が株主の意向とは異なる業務執行を行ったことをもって、それは背任であるなどと言い出すならば、
株主はそもそも業務執行に関する判断を取締役に委任することなどできない、ということになるわけです。
結局、何が会社に損害を与える判断であり何が会社に損害は与えない判断なのかは、全く不明であるわけです。
敢えてこの点に解決策を見出すならば、「取締役は株主が指示を行った通りの業務執行を行う」ということになると思います。
これならば、取締役が株主が指示を行った通りの業務執行を行った場合は背任ではない、
取締役が株主が指示とは異なる業務執行を行った場合は背任である、というふうに明確に線引きができるわけです。
「委任を受けた取締役が自分の意思で判断を行う」ということを株式会社制度上の前提としている時点で、
「その経営判断はおかしい」と主張する権利を株主を始めとする利害関係者は放棄しているのだ、と言わねばならないでしょう。

 


Whether certain conduct is an aggravated breach of trust or not depends on
the fact that a director conducts exactly as he is directed by shareholders.

ある業務執行が特別背任に当たるかどうかは、取締役が株主から指示された通りに業務を執行したかどうかで決まります。

 

"Trust" menas "Please do exactly as I direct you instead of me."
"Please make a decision and do it instead of me." isn't "trust."

「委任」とは、「私の代わりに私が指示する通りに行って下さい。」という意味です。
「私の代わりに意思決定をしそして行って下さい。」は「委任」ではありません。

 

When shareholders trust a director, they surely say "Please make a business judgement."

株主が取締役に委任をする時、株主はきっとこう言うでしょう。「経営判断をして下さい。」と。

 


取締役の背任に関連して、「多重株主代表訴訟」についての記事を紹介します。


2015年8月31日(月)日本経済新聞
改正会社法 3分ゼミ E 多重代表訴訟
子会社の取締役の責任追及
(記事)



「多重株主代表訴訟」についてはこれまでに何回かコメントしましたが、
2012年9月19日(水)のコメントが一番分量としては多いと思います↓。

2012年9月19日(水)
http://citizen.nobody.jp/html/201209/20120919.html

2012年9月19日(水)のコメントを今改めて読みますと、当時はまだ現行の条文をどこか気にしながら書いておりまして、
現在とは異なり、「法理」に徹してコメントを書いていなかった(どこか現行の定めに重きを置いてしまっていた)ように思います。
今2012年9月19日(水)のコメントを読みますと、当時の自分は改正前の会社法から議論を出発させていたんだな、と感じます。
2012年9月19日(水)のコメントにはやや稚拙な点があるわけですが、3年が経って改めて「多重株主代表訴訟」について考えてみました。
すると、2012年9月19日(水)のコメントとは正反対のある結論に行き着きました。
それは、「株主代表訴訟を是とするなら、『多重株主代表訴訟』の考え方もあり得る。」という結論です。
結局、株主代表訴訟とは、委任者(株主)が受任者(取締役)を訴えることなのです。
そうしますと、委任関係において委任者が受任者を訴えてよいとなりますと、
結局のところ、元々の委任者は、受任者に委任された受任者も訴えてよい、という理屈が出てくることになるわけです。
子会社の取締役は、結局のところは、親会社の株主から委任を受けた親会社取締役から委任を受けているわけです。
委任者(甲)から委任を受けた受任者(乙)は、甲と乙との関係と全く同じ関係でもって、新たな受任者(丙)に委任を行うわけです。
甲と乙との関係は、乙と丙との関係と同じであるわけですから、委任が論理的に連鎖していると言えるわけですから、
甲には丙を訴える権利があるように思うわけです(委任の委任も委任だ、受任者は委任者の分身だ、と表現できるでしょうか。)。
甲が最初に任せた事柄は、乙が丙に委任することで、現在丙が負っているわけです(甲が丙に委任したのと同じ、という理屈)。
甲が任せた事柄に関して乙を訴えてよいなら、甲は丙を訴えることもできる、という理屈が出てくるように思いました。


If a trustor can bring a lawsuit against his trustee,
then a trustor can also bring a lawsuit against a trustee who is trusted by his trustee.

委任者が受任者を訴えてよいのなら、委任者は、その受任者に委任された受任者を訴えてもよいということになります。