2015年9月29日(火)
昨日、自然人の場合も法律行為を行う前に自然人を”登記”(戸籍のことです)をしなければならないように、
明治三十二年商法の会社も商行為を行う前に本来は登記をしなければならないはずだ、と書きました。
今日は、中国の商業登記に関する記事を紹介します↓。
2015年5月15日(金)日本経済新聞
中国、登記改革で企業増 監視体制にばらつき
(記事)
明治三十二年商法の会社について一言だけ追記をします。
出資者は全員”登記”されている(戸籍を持っている)わけです。
ですから、出資者1人1人がそれぞれ個人として商行為を行う分には、既に主体が明確であるため行為者の登記は不要であるわけです。
しかし、「複数の自然人が1つの器に共同でお金を出し合って商行為を行う」ということを行いますと、
その商行為の主体が途端に明確ではなくなるわけです。
ですので、法理的にはやはり、商行為の主体すなわち会社の商号と所在地、目的物の引渡しを行った者=代金を受け取った者、
出資者とその出資金額、を登記をする必要があると思います。
概念的かもしれませんが、明治三十二年商法においても商行為の主体は会社なのです。
確かに、実際に目的物の引渡しを行ったり代金を受け取ったりするのは、出資者(の1人)である自然人です。
しかし、その商行為を、厳密な意味で「その自然人の商行為」と捉えてしまうと、
そこでの所得はその自然人本人に全額が帰属する、という考え方になってしまうわけです。
ですから、その商行為を、「その自然人の商行為」ではなく「会社の商行為」と定義しなければならないわけです。
そのために、会社の登記が本来は必要であるはずだ、と思うわけです。
明治三十二年商法の会社は法律上法人ではなかったのだからその商行為は自然人の行為だ、と捉えるのは間違いなのだと思います。
法律上法人とは呼んでいなかっただけであり、会社の商行為は少なくとも自然人その人の行為ではないわけです。
実際に目的物の引渡しを行ったり代金を受け取ったりした人物は、あくまで会社を代表して行っただけだ、
という見方をしなければならないのだと思います。
結局のところ、明治三十二年商法の会社の場合も、
現代の会社法では会社のことを「法人」と捉えるのと、概念的には実は非常に似ていることになるのだと思います。
現代における「法人」と呼ばれる存在も、結局のところは極めて概念的な存在ということではないでしょうか。
会社が法人なのか法人ではないのかには、概念的には実は極めてあいまいな部分があるように思えます。
例えば裁判に関しても、現代では”法人を相手取り”などと言ったりしますが、実際には法人は登記簿の世界にしかいないわけでして、
何と言いますか、現代においても会社(法人)は、事業の器・利益計算のための器・名目上の主体、という位置付けであると思います。
明治三十二年商法の会社では所有と経営が分離していなかったとは言いますが、
明治三十二年商法の会社でも、出資者の財産=会社の財産ではなかったわけです。
敢えて言うなら、各出資者の財産の一部が会社の財産であった(所有財産の一部を会社に拠出=出資していた)わけです。
所有と経営が分離していない商行為などというならば、現代のいわゆる個人事業の方が明治三十二年商法の会社よりも
はるかに分離はしてないわけです。
なぜなら、個人事業主の財産=会社の財産(事業で用いる財産)、であるわけでですから。
結局のところ、「複数の自然人が1つの器に共同でお金を出し合って商行為を行う」という時点で、
会社という存在が概念的な存在になってくるのだと思います。
結局、それは現代でいう法人と極めてよく似た特徴・性質・概念を持ったもの、ということになるように思います。
「出資者が業務を執行する」という意味では、明治三十二年商法の会社では確かに所有と経営は分離していなかったわけですが、
「出資者の財産の全てが会社の財産を構成しているわけではない」(出資者は商行為で用いるお金を分離している)という意味において、
明治三十二年商法の会社では出資者と会社とが一体だったわけではない、と表現することができると思います。
In the beginning was the Registry.
始めに登記ありき。
And the Registry was with Laws, and the Registry was Laws.
登記は諸法と共にありき、登記は諸法であった。
Correct information is not registered.
Information which is registered
is correct.
正しい情報が登記されるのではありません。
登記された内容が正しいのです。
The information is recognized as correct by means of registry.
登記によってその情報は正しいと認識されるのです。
Registry indicates public, not private.
登記というのは、公であることを意味します。私であることは意味しません。
Registry prevails a chat.
力説よりも登記の方が強いのです。
Form surpasses substance.
形式は実質に勝る。
To be visible is all-around.
To be invisible is inside.
目に見えると万能です。
目に見えないと心の中だけです。
Something invisible has a very wide variety of expressions to
require.
Something visible has nothing to add.
目に見えないと、非常にたくさんの表現が求められます。
目に見えれば、それ以外何もいらないのです。
商法と言えば、次のような記事がありました↓。
2015年3月12日(木)日本経済新聞
商法改正へ中間試案 運送ルール
時代に対応
経路が多様化 空輸に規定新設
過失なければ 船主の責任減免
(記事)
記事で言っている「商法」に関しては、2015年3月2日(月)にコメントしています。
2015年3月2日(月)
http://citizen.nobody.jp/html/201503/20150302.html
念のため結論部分だけを引用しますと、以下のようになります。
>明治三十二年に制定された「商法」(厳密な固有名詞としての「商法」。その後の改正も含みます。)は、
>基本的には、2006年5月をもって全面的に現在の「会社法」に移行された、というふうに理解してよいと思います。
>つまり、2006年5月をもって「商法」は廃止になった、というふうに理解してよいと思います。
>「商法」は完全に廃止になり、「商法」は完全に現在の「会社法」に移行になった、
>というふうに理解するのが正しいと思います。
>他の言い方をすれば、自然人や会社が商行為を行うに当たり、現在では「商法」が適用されることは全くない、
>ということだと思います。
A country isn't under the rule of law. On the contrary, a country covers
insufficiency of law.
国が法の統治下にあるのではありません。話はその正反対であり、国が法で網羅し切れない部分をカバーしているのです。