2015年1月16日(金)



2015年1月16日(金)日本経済新聞 公告
新設分割公告
羽田タートルサービス株式会社
合併公告
学校法人修道学園
学校法人鈴峯学園
(記事)



 

学校法人制度の概要
ttp://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/001.htm

 

私立学校法
ttp://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/001/001.htm

 



【コメント】
学校法人の合併とは初めて聞きました。
学校法人は私立学校法に基づき設立される主体であり、私立学校法とは私立学校を運営していくための法律のようです。
私立学校は私人の寄附財産等によって設立されます。
学校法人は、寄附行為によって設立されます。
学校法人の業務の決定は、寄附行為に別段の定めがないときは、理事の過半数をもって行われる、と定められています。
理事とは、株式会社でいう取締役のような位置付けの役員のことです。
学校法人は寄附行為によって設立されるということですが、わざわざ寄附というくらいですから、
学校法人への寄附はいわゆる出資とは異なるものなのだと思います。
寄附というのは、見返りや果実や対価のようなものは一切求めない行為であるわけです。
ですので、そもそもの寄附という言葉の定義に従えば、
学校運営に関する意思決定は全て理事(会)が行う、というのが法理的な考え方になると思います。
つまり、株式会社でいう株主とは異なり、学校法人では寄附者は法人に対する意思決定は全く行えない、
というのが法理的な考え方だと思います。
ただ、元来の寄附という言葉の定義とは異なり、学校法人における寄附では、寄附行為に別段の定めを置けば、
寄附者も学校運営に関する意思決定に参加できるようです。
また、学校法人が法律的に解散する場合は、解散した学校法人の残余財産については、私立学校法の規定では、
寄附行為の定めるところにより帰属すべき者に帰属し、また、これによっても処分されない財産は国庫に帰属することになっています。
株式会社では、会社の残余財産は当然に株主に帰属するわけですが、
学校法人では、法人の残余財産は任意に誰に帰属するのかを定めることができるようです。
もちろん、法人の残余財産は寄附者自身に帰属する、と定めることもできるようです。
法人の残余財産は誰に帰属するのかを定めていなかった場合は、法人の残余財産は国庫に帰属することになっているようです。
以上の私立学校法の規定を考えますと、学校法人に対する寄附は、結局のところ、
株式会社に対する出資に非常に近いものなのではないか、という気がします。
元来の意味の寄附であれば、寄附者は学校法人に対する権利も義務も全くない状態でなければならないのではないかと思います。
寄附の結果、学校運営に関する意思決定を行う権利を有したり、残余財産を受け取る権利を有することになるのであれば、
それは元来の意味での寄附ではないと思います。

 



明治三十二年商法及び当時の所得税法と対比させて考えてみると、出資と寄附との違いが明確になると思います。
明治三十二年商法における株式会社を例に考えてみましょう。
当時の商法制度では、株式会社を清算して残余財産(現金)を受け取っても、株主にとっては所得税法上益金不算入になるわけです。
その理由は、株主は「利益分配の仕組み」として株式会社に出資をしただけだからです。
残余財産(現金)を受け取りは、株主にとっては「利益分配の仕組み」を終了しただけのことに過ぎません。
株主は株式会社に対して確かに出資はしているものの、その出資とは「利益分配の仕組み」に過ぎないため、
株式会社の財産は出資後もある意味株主に帰属しているもの(出資後も株式会社の財産はある意味株主に帰属したまま)であったわけです。
出資と言えば出資ですが、それは右のポケットから左のポケットへお金を移しただけというとやや言い過ぎかもしれませんが、
出資とは右のポケットから株主共同の財産を入れておく袋にお金を入れただけ、という状態に過ぎなかったわけです。
ですので、株式会社の残余財産を受け取ったとは言っても、そのお金はある意味はじめから株主個人の財産であったわけです。
つまり、株式会社の残余財産を受け取っても、株主は何らお金や収益は受け取ってはいないことと同じであるわけです。
ですから、当時の商法制度では、株式会社を清算して残余財産(現金)を受け取っても、株主にとっては所得税法上益金不算入だったわけです。
もちろん、出資そのものは損金不算入です。
その理由は、出資は寄附と同じだと見なされていたというより、正確に言えば出資の果実は価額としては明確ではないからだと思います。
所得税法としては、出資について損金算入を認めるわけにはいかないわけです。
出資は損金不算入、株式会社の残余財産を受け取りは益金不算入、ということで、辻褄が合うかと思います。
ただ、株式会社が赤字を計上している(資本の欠損がある)状態ですと、残余財産の受け取り額は出資額よりもその分小さくなります。
その差額(一種の会社清算損)は、所得税法上、損金算入はされません。
その理由は、株主は株式会社を通じて(株主共同の財産を入れておく袋から)寄附を行ったからだ、と見なされるからです。
では、現代に戻ってきまして、学校法人に対する寄附はと言いますと、現代の所得税法上もその寄附は損金不算入なのは間違いないでしょう。
では、学校法人の残余財産の受け取りはと言いますと、寄附者にとってはその受取額は益金算入になります。
現代の所得税法ではどうかは分かりませんが、少なくとも、所得税法の法理から言えば学校法人の残余財産の受取額は益金算入です。
その理由は、学校法人の財産は、あくまで学校法人という法律上の人その人の財産であるからです。
寄附者は学校法人へ財産の寄附を行ったわけです。
その財産は、名実共にその学校法人のものです。
寄附者は全く関係ありません。
全く関係がない人が解散に伴い学校法人の残余財産を受け取った、だから、残余財産の受け取りは益金算入なのです。
たとえ、残余財産を受け取ったのが、かつて学校法人に寄附を行ったまさにその人本人であろうともです。

 


明治三十二年商法における株式会社では、会社の財産はある意味株主の財産でした。
しかし、現代の学校法人では、学校法人の財産は完全に学校法人の財産です。
参考までに書きますと、では、現代の株式会社制度では、株式会社の財産は誰のものかと言うと、
株式会社の財産は第一義的にはやはり株式会社の財産です。
ただ、配当金は、株式会社が自身の財産を改めて株主に対して分配したものですから、配当金は受け取ってしまうと株主の財産です。
ただ、分配する前は、株式会社の財産は株式会社の財産です。
そして、株式会社が解散をする場合は、残余財産は全て株主のものです。
その理由は、解散により、株式会社という法人そのものが消滅するからです。
現代の株式会社制度では、株主と株式会社は法の主体が別ですので、残余財産の受け取り自体は株主にとって益金算入になると思いますが
解散により株式が全額償却されます(その償却は損金算入)ので、結果としてはその差額(会社清算損)は損金算入されることになります。
残余財産の受け取りにより、会社清算損となるのか会社清算益となるのかは、株主の出資額(1株当たりの株式取得価額)によります。
株式会社の解散が、ある株主には会社清算損となり他の株主には会社清算益となるわけです。
概念的には、株主の1株当たりの株式取得価額は全株主で同じでなければならないように思います。
この点から考えると、あることが思い起こされます。
2015年1月11日(日) に、明治三十二年商法における株式会社の増資方法について書きました。

2015年1月11日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201501/20150111.html

この時のコメントでは、明治三十二年商法における株式会社では、
「全社員の同意」により意思決定を行う場合は増資方法は全く自由だ、と書きました。
つまり、この結論では、「全社員の同意」があれば、1株当たりの株式取得価額は株主によって異なってよい、ということになります。
しかし、上記のように、「株主の1株当たりの株式取得価額は全株主で同じでなければならない」という点を鑑みますと、
「全社員の同意」があろうとも、全く自由に増資を行ってよいわけではないことに気が付きます。
「全社員の同意」があろうとも、株主割当増資のみしか認められない、という考え方になると思います。
もしくは、明治三十二年商法における株式会社の設立の容易さや解散の容易さを考えれば、
増資自体を認めない、というところまで踏み込んでも法制度としてはよいかもしれません。
株式会社の資本金額を大きくする必要が生じた場合は、株主は新たに株式会社を設立し、以前の会社は解散する、
ということを行うべきなのかもしれません。
株式会社の概略図としては、増資自体を認めない、ということが法理上の1つの結論かもしれません。

 



仮に、明治三十二年商法における株式会社では、法制度上増資は行えなかったのだとすると、
当時の株式会社は経営がどんなに順調であろうとも会社の解散を本当に相当程度前提としていたということになる気がします。
ただ、そういった会社の具体的な運営のことよりも、株式会社の概略図としては、やはり、
「株式会社には資本金を増加させるという考え方自体がそもそもない」、
というのが、法理上の(概念図としての)正解なのかもしれません。
この考え方は裏を返せば、株式会社には資本金(額)は1つだけだ、ということになります。
株式会社の資本金を設立後増加させる、というような考え方自体がない、ということになります。
株式会社という事業の器と資本金額は1対1であり、事業の器は同じままなのに資本金額だけが大きくなるなどということはない、
ということになります。
現在の資本金額では株主が思うような事業は営めないということであれば、
その事業は現在の株式会社そのものの運営能力を超えたものである、という考え方になり、
その事業を営みたいのであれば、別の株式会社を設立する必要がある、という考え方になる、
ということなのだと思います。
このことは、英語で言えば、株式会社固有の「capacity」(収容能力、 最大限の収容力、生産能力、容量、能力、資格)に関する
概念上の問題なのかもしれません。
株式会社の「capacity」は会社設立時に一意に決まる、設立後株式会社の「capacity」を増加させることは(概念上)できない、
という考え方になるのかもしれません。
株式会社と「capacity」とは1対1である、と考えるべきなのかもしれません。
明治三十二年商法における株式会社では、株式会社が今よりも概念的なものではありますが、敢えて有体物で例えるなら、
建物や乗り物などの収容能力(最大限の収容力)は建築時・製造時に決まってしまうように、
株式会社においても、その「capacity」は会社設立時に一意に決まるものでありその「capacity」はその後は変動しないものだ、
というふうに株式会社のことは捉らえないといけないのかもしれません。
「capital」(資本金)とは、事業の元手、利益の元・源泉という意味ですが、株式会社の「基本性能」は変わらないものなのでしょう。
仮に、株主が株式会社の「capacity」を変えたいと思うのなら、株主は株式会社そのものを変えなければならない、ということになります。
ここで言う”株式会社の「capacity」を変えたい”は、ほとんどの場合は増加でしょうが、
株主が皆年をとってしまって今後はこぢんまりやっていこうと考えている場合などは、減少もあり得るでしょう。
現代の株式会社制度では、債権者保護の観点から、増資は認めれていますが減資は(本来は)認められていません。
しかし、明治三十二年商法における株式会社では、増資も減資も認められていなかったのでしょう。

 



”明治三十二年商法における株式会社では、法制度上増資は行えなかった”と推測し、あれこれ考えてみますと、
なるほど、そちらの考え方の方が、株式会社の概略図・設計図・基本概念図としては正しいかもしれないな、と思っているところです。
2015年1月11日(日) は完全に正反対のことを書いてしまいました。
2015年1月11日(日) に書きましたことは訂正しお詫びしたいと思います。
ただ、今日書きました”明治三十二年商法における株式会社では、法制度上増資は行えなかった”ということも、
実はまだ未確認でして、間違っている可能性もあります。
ただ、こちらの考えの方が、とことん骨格のみを捉えればと言いますか、
株式会社の姿として拡張をしない基本部分だけを取り出して考えてみると、こちらの考え方の方が筋が通っているように思いますので、
”明治三十二年商法における株式会社では、法制度上増資は行えなかった”でまず間違いなく合っていると思います。
”明治三十二年商法における株式会社では、法制度上増資は行えなかった”という言い方は歴史を逆に遡った言い方になると思います。
正確に言えば、「概念上、本来は、株式会社には資本金を増加させるという考え方自体がない。」と言わねばならないと思います。
学校法人と私立学校法の話から、非常に話が大きくなってしまいました。
明日、もう少しだけ追記をしたいと思います。