2015年1月7日(水)

2015年1月7日(水)日本経済新聞 公告
第11回欧州投資銀行米ドル・円金利差額変動利付(当初固定利)円貨債券(2010)償還公告
欧州投資銀行
(記事) 

 

 



【コメント】
2015年1月3日(土)に、物価が上がると元本も増える国債である「物価連動国債」を題材にして元本額の変動についてコメントしました。
この時のコメントでは、税務理論上は「元本の価額は決して変動しない」、と書きました。

2015年1月3日(土)
http://citizen.nobody.jp/html/201501/20150103.html

では、債券の元本ではなく利息(利率)が変動する場合はどのように考えるべきでしょうか。
端的に一言で説明することはできないのですが、現行の民法その他の規定ではなく、元来的・法理的なことについて書きたいと思います。
まず、「利息(利率)が変動する」こと自体は、当事者間で自由に決めてよいことです。
利息(利率)は一定でなければならないなどということはないわけです。
より一般化して言えば、貸借型契約においては、その利息(貸借の対価)に関しては当事者間で全く自由に決めてよいことです。
いつどのような形でどのような金額(利率)で利息を支払うことも自由です。
毎月月末に少しずつ支払おうが3課月ごとに支払おうが1年に1回支払うことにしようが目的物の返還時にまとめて支払うことにしようが、
利息(貸借の対価)の支払方法については当事者が契約締結時に自由に決めてよいことです。
ただ、1つ頭に入れておかねばならない重要なことがあります。
それは、元祖会計理論上(税務理論上)は、利息(貸借の対価)の支払いは損金算入されない、ということです。
一方、元祖会計理論上(税務理論上)は、利息(貸借の対価)の受け取りは益金算入されます。
貸借型契約の利息(貸借の対価)は、元祖会計理論上(税務理論上)は、支払う側・受け取る側双方にとって非常に不利なことなのです。
その理由についてですが、端的に言えば、「目的物を貸借したことによる果実が明確ではないから」です。
借主がある目的物を貸主から借りたとします。
その目的物を借りたことにより、借主はいくらの収益を得たでしょうか。
この論点は、現代でいう給与・賃金や研究開発費の支払いと同じです。
給与・賃金や研究開発費を支払ったこと自体により、
会社はいくらの収益を得たのか(給与・賃金や研究開発費の支払いによりいくらの売上高を実現できたのか)は全く明確ではないでしょう。
それと同じで、借主はその目的物を借りたこと自体により、いくらの収益を得たかは全く明確ではないわけです。
ですから、元祖会計理論上(税務理論上)は、利息(貸借の対価)の支払いは損金算入されないわけです。
極端に言えば、借りても全く意味や価値のない目的物を契約上借りたことにして、借主から貸主に寄附ができるわけです。
その貸借型契約に意味があるかどうかは当事者間にしか分からないことです。
その貸借型契約に金額を付けることなどできないでしょう。
ですから、元祖税務当局としては、利息(貸借の対価)の支払いについては損金算入を認めるわけにはいかないのです。
確かに、目的物の貸し借りは無償でなければならないのか、無償で貸し借りをする方がおかしいのではないか、という意見もあると思います。
しかし、貸借行為と利息(貸借の対価)の金額に関する透明性・公平性・客観性を担保するためには、致し方ない考え方だと思います。

 



では次に、2015年1月3日(土)にコメントしました国債や今日の銀行が発行する債券について、関連することを書きます。
債券の発行や引き受け(購入)というのは、煎じ詰めれば、「お金の貸し借り」です。
1つの債務(目的物・現金)に対し債権者が複数いるから債券と呼んでいるだけであり、
債券と呼ばれるものの実態は結局のところ借入金・貸付金と同じなのです。
本来は1つの借入金・貸付金に関しては債務者1人・債権者1人であるわけですが、
借入金・貸付金を小口に分割するという考え方を行うことにより、1つの借入金・貸付金に関して債権者を複数にしたものが債券なのです。
債権債務関係が交錯しないようにするためには、本来は1つの借入金・貸付金に関しては債務者1人・債権者1人でなければなりません。
では以下、1人対1人の間で「お金の貸し借り」を行うことを考えてみます。
いわゆる「お金の貸し借り」のことは、現行の民法上は「金銭消費貸借契約」といいます。
文字通り、「金銭(目的物)を貸主と借主との間で消費貸借する契約」であるわけです。
「消費貸借契約」について現行の民法の教科書の記述を引用します。

>消費貸借とは、金銭その他の代替物を借りて、のちにこれと同種・同等・同量の物を返還する合意をし、
>実際に金銭等を受け取ることによって成立する契約である(587条)。
>例えば、金銭などを借りた場合、借りた金銭は消費し、別の金銭でもって返済するといった場合である。

現在、多くの企業の貸借対照表には「借入金」勘定があるかと思いますが、
「金銭消費貸借契約」を企業と銀行等との間で締結し、企業が銀行等からお金を借り入れたものが「借入金」勘定であるわけです。
「金銭消費貸借契約」は当たり前のことであるかのように思われているわけです。
しかし、元来的・法理的なことを言えば、消費貸借(契約)と呼ばれるもの自体がそもそもない、わけです。
その理由は、元来的・法理的には、仮に目的物を消費をしてしまったら返還できないからです。
元来的・法理的には、貸借型契約において貸借を行うことができる目的物とは、「有体物」だけだと思います。
借主が貸主からある有体物(目的物)を借りる、そして、借主は貸主から借りた有体物そのものを貸主に返還する、
というのが本来の貸借型契約であるわけです。
現行の民法の教科書には、消費貸借契約、使用貸借契約、賃貸借契約の3つを貸借型契約という、と書かれていますが、
元来的・法理的には、貸借型契約には、消費貸借契約、使用貸借契約、賃貸借契約といった区分はないわけです。
敢えて言うなら、借りた有体物は何らかの形で借主が使用するでありましょうから、使用貸借契約といった言い方になるだけであり、
有体物の貸借に際し借主から貸主に利息(貸借の対価)を支払うでありましょうから、賃貸借契約といった言い方になるだけなのです。
考え方としては、目的物を消費してしまうという考え方がおかしいと思います。
借主は、借りた物そのものではなく、同種・同等・同量の物を返還すれば貸主にとっては同じことではないか、というのは、
やはり法理としては屁理屈に近いわけです。
借主が借りた物そのものを紛失してしまったので、借主は借りた物と同種・同等・同量の物を別途買って返還しなければならなくなった、
という事態・場面は、貸借行為の過程で発生し得る、というだけのことであり、基本的考え方は借りた物そのものを返還する、なのです。

 



法理上消費貸借契約というものはない、となりますと、当然「金銭消費貸借契約」も法理上はないわけです。
簡単に言えば、元来的・法理的なことを言えば、「お金の貸し借り」については、
民法上は全く想定していなかった(「お金の貸し借り」という行為自体がないと民法は考えていた)、ということなります。
では、「お金の貸し借り」については、元祖会計理論上(税務理論上)はどのような考え方になるでしょうか。
先ほどは、利息(貸借の対価)に関して、
元祖会計理論上(税務理論上)は、利息(貸借の対価)の支払いは損金算入されない、
一方、元祖会計理論上(税務理論上)は、利息(貸借の対価)の受け取りは益金算入される、と書きました。
元祖会計理論上(税務理論上)、「お金の貸し借り」の元本についてはどのような考え方になるでしょうか。
法理上「お金の貸し借り」という行為自体がないわけですから、
仮に借主が貸主からお金を借りたとしたら、元祖会計理論上(税務理論上)は、それはそのまま貸主から借主への寄附になります。
貸主が借主に渡したお金は「後に返還される元本」という見方はしないわけです。
当然、元祖会計理論上(税務理論上)は、”元本”部分については、
貸主にとっては損金算入されませんし、一方、借主にとっては全額がそのまま益金算入されます。
利息(貸借の対価)に関しては、上の方に書いた通りの取扱いになります。
そして、”元本”部分を返済した場合は、
借主にとっては損金算入されませんし、一方、貸主にとっては全額がそのまま益金算入されます。
元祖会計理論上(税務理論上)は、「お金の貸し借り」については、貸主と借主との間でその都度純粋にお金の寄附をし合っただけ、
という考え方(益金の補足の仕方)になるわけです。
この理由についてですが、例えば、借入期間は100年、利息(貸借の対価)は返済時に支払う、
という内容の”金銭消費貸借契約”を思い浮かべてみればその理由が分かるでしょう。
民法上、”金銭消費貸借契約”に借入期間や利息の支払い方法に制限はないでしょう。
この内容の”金銭消費貸借契約”ですと、借主は貸主にお金を返さない、と言っているようなものでしょう。
もちろん、貸主も、お金を返してもらおうと思ってこの内容の”金銭消費貸借契約”を借主と締結するわけではありません。
貸主は、はじめから借主にお金を寄附するつもりでこの内容の”金銭消費貸借契約”を借主と締結するわけです。
元祖税務当局としては、”金銭消費貸借契約”を隠れ蓑として受け取った寄附の益金不算入を認めるわけではいかないのです。
民法上の概念から言っても、元祖会計理論上(税務理論上)の概念から言っても、
法理上消費貸借契約という考え方などはなく、そして、貸借の目的物がお金そのものという考え方もない、ということになるわけです。
法理上は、純粋に私人間で有体物の貸借を行うこと自体は自由であろう、というだけなのです。

 


ただ、有体物を貸借しますと、有体物の劣化・価値の減少は必ず生じてしまいます。
一方で、貸借の結果として生じた有体物の劣化・価値の減少の程度に関しては、金額で表現できるものではないわけです。
利息(貸借の対価)の支払いが損金算入されない理由は、別の説明方法としてこのようにも説明できるでしょう。
ただ、借主に貸すことなく貸主がそのままその有体物を所有し続けていた場合でも、
有体物の劣化・価値の減少は必ず生じるわけです。
損金算入されない理由を、貸借の結果として生じた有体物の劣化・価値の減少の程度云々で考えるのは法理的には少し違うのかもしれません。
例えば、有体物を所有しているだけで、有体物の劣化・価値の減少具合は時間の経過と共に損金算入されるでしょうか。
現行税法上は、有形固定資産に関してはその劣化・価値の減少具合は時間の経過と共に損金算入される、
と考えますが(いわゆる減価償却手続き)、元祖会計理論上(税務理論上)はそのような考え方自体がないと考えなければならないわけです。
このことを踏まえた上で、利息(貸借の対価)の支払いが損金算入されない理由を説明しますと、次のようになると思います。
例えば、譲渡であれば、同一の有体物に関して、譲渡価額は明確であり取得価額も明確です。
譲渡価額が獲得した収益であり、取得価額が支出した費用です。
それに比べると、貸借の場合は、借主にとっては当然譲渡価額などないわけです。
つまり、借主にとっては獲得した収益というのはない(明確ではない)わけです。
そしてさらに、借主にとっては、取得価額はない中で、支出した費用の金額だけは明確、という状態であるわけです。
要するに、支出した費用の金額だけは明確ではあるものの、譲渡でいうところの取得価額と譲渡価額との対応・関係に比べると、
借主が支出した費用の金額というのは、収益との対応性が低いわけです。
譲渡の場合は、獲得した収益は明確(譲渡価額のこと)、だから、それに対応した支出した費用(取得価額)が損金算入されるわけです。
それに比べると、貸借の場合は、借主が獲得した収益は明確ではないわけです。
ですから、貸借の場合は、利息(貸借の対価)の支払いが損金算入されないのです。
最初の方で、貸借の場合、利息(貸借の対価)の支払いが損金算入されない理由として
「目的物を貸借したことによる果実が明確ではないから」と書きましたが、その背景を書けば以上のようになるわけです。
譲渡と対比させて考えてみると分かるのではないでしょうか。
現代の企業会計でいう「費用・収益対応の原則」の考え方を応用して考えてみると、私が何を言いたいか分かるかもしれません。
元祖会計理論上(税務理論上)においても、現代の企業会計でいう「費用・収益対応の原則」と同じ様な考え方が
その基本にあったのだと思います。
ただ、当時の株式会社の会計処理に関しては、「費用・収益対応の原則」なおかつ「現金主義会計」であった、というだけだと思います。



2015年1月5日(月)に、”続きは明日書きたいと思います。”と書いておきながら昨日は書かなかった内容がありました。
今日は一言だけ書きますと、基本的考え方は、株主にとって「出資は行ったが自分の意思は全く会社に反映されなかった」
という事態を避けるために(利益の分配が保有株式に比例するだけでは株主の権利保護としては不十分である)、
全ての議案に関して「総株主の同意」が必要だ、となろうかと思います。