2013年9月30日(月)



2013年9月30日(月)日本経済新聞
セブンイレブン、四国進出から半年 地場スーパーも対抗策
(記事)



 


【コメント】
考えてみれば、つい半年前まで、四国ではセブンイレブンのテレビCMは一切行っていなかったのだと思います。
例えば香川であれば大阪のテレビ放送が受信できたりしますから、
結果として香川の人もセブンイレブンのテレビCMを今までに見たことがある、という状況だったとは思いますが、
四国の地方テレビ局がセブンイレブンのテレビCMを流すということは今まで一切なかったのだと思います。
店舗が一店舗もないわけですから、当たり前と言えば当たり前なのでしょうが。
同じ日本なのに、何か不思議な感じがします。

馬の耳に念仏ならぬ、消費者の耳目にCM、と言ったところでしょうか。

 


ところで、「馬の耳に念仏」を辞書で調べていますとおもしろい英語表現がありました。
「彼にいくら説いてもまるで馬の耳に念仏だった」の英訳として、
「Our advice was like water off a duck’s back to him.」という訳が辞書に載っていました。
"like water off a duck's back" は「〈苦言など〉何の効果もなく」という意味の口語表現だそうです。
この英文を見ると、"like water"で一固まりであり、次の"off a duck's back"が宙に浮いているように感じられます。
また、最後の"to him"もどこにかかるのかも少し分かりづらい気がしました。
宙に浮いている語句が並んでいるように思いますが、整理してみると、
"off a duck's back"の off は前置詞(副詞ではない)であり、
"off a duck's back"で「アヒルの背中から離れて、アヒルの背中から離れる」という意味になります。
「off+名詞」は、<前置詞+名詞>の形で名詞(ここではwater)を修飾する「形容詞句」です。
最後の"to him"は、特定の動詞や名詞を修飾しているのではなく、文全体を修飾しています。
最後の"to him"は、water や a duck's back にかかるわけではありません。
以上をまとめ、「Our advice was like water off a duck’s back to him.」を敢えて分かりやすく語句等を補って書き換えれば、

For him, our advice was like water which was off a duck’s back.

となります。
「彼にとっては、我々の助言などアヒルの背中を流れ落ちる水のようなものだった。」
という訳になります。
ここから、「彼にいくら説いてもまるで馬の耳に念仏だった」という訳になるわけです。


おそらくネイティブにとっては、こういった副詞、前置詞、副詞句、形容詞句は極自然に使いこなしているのだと思います。
おそらく、これは副詞だ、これは前置詞だ、これで副詞句だ、これで形容詞句だ、とすら意識しないでしょう。
しかしそれはネイティブだからこそできることであって、
ネイティブではない者は文法から学び、文法から語句や構文を理解していく以外英語を習得する方法はないのです。
「英語の勉強は単語と文法から」、今日改めてそのことを強調したいと思います。

 

 



2013年9月28日(土)日本経済新聞
所在不明株主の株式を処分へ 川崎汽とJフロント
(記事)



 

【コメント】
Raise your hand, or it means praiseworthy.


【参謀訳】
挙手をお願いします。挙手がない場合はありがたいなと思います。

 

【解説】
直訳すると、「挙手をお願いします。さもないと、それはほめられるに値することです。」となります。
praiseworthy(ほめられるに値する)とは会社(ここでの話し手は会社)にとって praiseworthy なのですが、
それはなぜかというと、会社にとっては所在不明株主が名乗り出てくれない方が有利だからです。
所在不明株主の株式を会社が売却しますと、その売却代金は会社に入ってきますし、
結果として株式売却益相当額(株式の簿価は0円)が会計上利益計上されることになるからです。
praise や praiseworthy 自体には悪い意味は全くないのですが、
ここではやや嫌味っぽく、少し株主をバカにしたニュアンスを含めて、会社としては、
「所在不明株主が名乗り出てくれないなら助かるなあ」、「所在不明株主が名乗り出てくれない方が嬉しいなあ」、
という感じを込めて【参謀訳】のように訳出しました。


 

 


2013年9月30日(月)日本経済新聞
米企業、株主還元強める 自社株買い・配当 高水準 IT関連 前向き 株価下支えも
「物言う株主」が存在感 アップルやマイクロソフト
(記事)

 


【コメント】
2013年9月27日(金) のコメントでは、
通常の配当の支払い(の決議)とは異なり、優先株式を買い戻しても普通株主には1円も現金は入ってこないため、
優先株式の買い戻しの際にはその都度株主総会の「承認」決議が必要ではないか、と書きました。

2013年9月27日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201309/20130927.html

通常の配当であれば、普通株主へ配当が入ってくる形ですから「承認」というより単なる株主総会決議という言い方になると思いますが、
優先株式の買い戻しの場合、普通株主への利益とは無関係(むしろ貸借対照表上は直接的なマイナス要因)に株主資本が減少する形ですから、
「承認」決議という言い方になると思います。
通常の配当の場合は、利益剰余金が減少したのと同じ金額だけ株主へ配当が支払われますから、配当支払いは株主の利益に対し中立です。
「配当前の株式の価値=配当後の株式の価値+受け取った配当の金額」という等式が成り立つかと思いますが、
優先株式の買い戻しの場合は、普通株主の利益とは無関係に株主資本が減少することが問題だ(だから承認決議だ)、と言っているわけです。
ただ、これも2013年9月27日(金)に書きましたように、「利益剰余金は誰のものか?」という議論が関連してくるわけです。
利益処分権は普通株式ではなく優先株式にある、と考えれば、もはや承認以前の話かと思います。
優先株式の発行下では通常の配当は禁止されるべき、とすら言えると思います。
このどちらとも決して説明の付かない矛盾を解決する方法は結局のところ、そもそも優先株式を発行しない、ということしかないと思います。
資本金と資本剰余金と利益剰余金は会社に1つしかない以上、会社が発行する株式も1つ(一種類)でないと矛盾が生じるのだと思います。


 



法律論というより概念論になりますが。
株主は会社の所有者なのですが、それは株式の種類が一種類だからこそ成り立つ議論である気がします。
株式の種類が二種類以上になりますと、「会社は私のものだ」、「いや、私のものだ」という
株主間の綱引き(矛盾)が発生してしまうのだと思います。
株式の種類が一種類ですと、その株主間だけで「では株主総会で決しよう」という決着方法があるのですが、
株式の種類が二種類以上になりますと、「どちらの株主総会決議が強いのか」という議論が生じてしまうのだと思います。
二種類の株式や株主総会決議を橋渡ししたり調整したりする会社の機構(システム、メカニズム、仕組み)は存在しないかと思います。
議決権がない優先株主でも、会社(や普通株主)に対して言いたいことは当然あるでしょう。
優先株主の意見はどう会社に取り入れるべきなのか。
配当支払いや償還に関しては優先株式発行時に定めてしまうというのであれば、もはやそれはやはり株式ではない、
という点に話がさかのぼる気がします。
当期純利益を計上し株主資本増加の利益を享受するのが株主です。
一方、当期純損益額や株主資本の増減とは無関係に利益を享受するのが債権者です。
優先株主と普通株主との綱引き(二種類以上の株式間の矛盾)を避けるためにも、
利益剰余金の利益処分権は(当然普通株式に)一本化すべき、が結論だと思います。


 


では、記事にあるような普通株式の自社株買いの場合はどうでしょうか。
理屈では、1株当たりの株主資本額で買い戻せば、他の株式の1株当たりの株主資本額に変化はないため、
その点では全株主にとって、自社株買いは株式の価値に対して中立だ、とは言えるでしょう
(もちろん、債権者保護や資本充実の原則の観点は別途考慮しなければなりませんが)。
しかし、自社株買いを行う企業というのはそもそも上場企業です(非上場企業はまず自社株買いは行わない)。
上場企業が自社株を買い戻すとなりますと、その価格は市場株価になります。
市場株価は通常1株当たりの株主資本額よりも非常に高い価格で推移しています。
そうしますと、上場企業が市場株価で自社株を買い戻すとなりますと、1株当たりの株主資本額は非常に小さくなってしまうわけです。
自社株買いに応じなかった株主が相対的には損をしたことになる、と言えると思います。
こう書くと、次のように反論があるかもしれません。
「それでも上場株式には市場株価が付いているから、自社株買いに応じなかった株主は今後も市場で株式を売却できる。
自社株買いにより市場株価が上昇することだってある。上場企業では1株当たりの株主資本額は事実上株式の価値には関係がない。
だから、自社株買いに応じなかった株主が相対的には損をしたことになるとは全く言えない。」と。
確かに、上場株式は市場株価で株式を売却できますから、市場株価さえ上昇すれば株主の価値は損なわれていない、とは言えるわけです。
また、上場株式は法令により簿価では売買したくても売買できないわけですから、
上場企業では1株当たりの株主資本額は事実上株式の価値には関係がないとも言えます。
しかし、上場企業においてもやはり1つだけ株式と貸借対照表をつなぐものがあって、
それは、市場株価の存在にも関わらず、配当や自社株買いの原資はやはり貸借対照表の利益剰余金である、という点なのです。
市場株価が高いと、何か配当や自社株買いの原資が企業に発生したりする、というのならよいのですが、そんなことは決してないわけです。
「株価が高くても会社には関係がない」と言われたりすることがありますが、それはより正確に言えば、
結局のところ簿価(貸借対照表)と市場株価とは関係がないという意味であり、
市場株価がいくら高くなっても利益剰余金は増加しない、という意味なのです。
相変わらず(=非上場企業のままであった時と同様)、上場企業でも配当の原資は貸借対照表の利益剰余金のままなのです。
つまり、上場企業であっても(=その株式は市場株価でしか売買できないとしても)、
簿価すなわち貸借対照表の利益剰余金の金額や1株当たりの株主資本額の重要性は、
非上場企業のままであった時と何ら変わることはないのです。
1株当たりの株主資本額よりも高い市場株価で自社株買いを行ったということは、
本来各株主に帰属しているはずの株主資本の金額を大きく超えて株式の価値が減少してしまったことを意味するわけですから、
やはり自社株買いに応じなかった株主が相対的には損をしたことになるわけです。


 


もちろん、実際にはそれでも自社株買いに応じなかった株主は今後も市場で株式を売却できます。
自社株買いにより市場株価が上昇した場合は、相対的に損をしたどころか、高い市場株価で売ることもできるようになるわけです。
しかしそれはまさに上手く「売り抜けた」という表現を使うべきであって、
その時新しく株式を買った株主がその損を引き受けただけ、と言わねばならないでしょう。
1株当たりの株主資本額を超える市場株価での自社株買いにより、株式の本質的価値は間違いなく下落しているのですから。
ひょっとしたら、その時新しく株式を買った株主はまた別の株主へその株式を高い市場株価で売却できるかもしれません。
つまり、本質的価値の下落した株式を買ったが前の株主同様売り抜けた結果、損を引き受けずに済む、ということが起こり得るかもしれません。
そしてそれが未来永劫延々と繰り返される結果、最後まで誰もその損を引き受けずに済む、ということが起こり得るかもしれません。
しかしそれは簿価と市場株価の乖離性に原因があることであって、もはや会計理論の範疇を超える議論になると思います。
なぜ市場株価は簿価とは乖離しているのか。
その答えは私には分かりませんし誰にも分からないでしょうし、学問の対象外という気がします。
その時々の投資家間の売買の結果その都度決まっているだけ、それだけのことかもしれません。
どこまで行っても、市場株価というのは合理的な説明は付かないのでしょう。
ただ少なくとも言えることは、1株当たりの株主資本額を超える市場株価での自社株買いは株式の本質的価値を減少させる、ということです。