2012年11月23日(金)
2012年11月23日(金)日本経済新聞
オリックス、月内にも発行 2度目のタイバーツ債
(記事)
【コメント】
オリックスがタイバーツを保有しても使い道は何もないのではないでしょうか。
2012年11月23日(金)日本経済新聞
買収先の査定 怠ったHP 成長鈍化への危機感 裏目に
(記事)
【コメント】
株式時価総額とは一体何だろうか、と考えさせられた記事でした。
将来の利益成長(もちろん損失もそして倒産可能性も)も含めてその簿価だと考えれば、
株式の価値に簿価以外のいわゆる株価と言うのがあるのはおかしい、という結論に行き着きます。
将来の利益成長は実現した分ちゃんと簿価に足し算(損失なら引き算)されていくわけですから、
簿価では企業の成長度合いが分からないなどということは決してないわけです。
企業が利益成長を遂げた分はちゃんと貸借対照表の株主資本に加算されていきます。
もちろんそれは1株当たりの価額が増える((簿価での)株式の価格が上昇する)ことを意味するわけです。
そして、貸借対照表の株主資本が厚くなると、将来の損失に対するリスク耐性も高まります。
企業は古来より、そうやって経営を行ってきたのではないでしょうか。
手元の英文会計用語辞典を見てみますと、「時価発行」の英訳として「premium issue」と書いてありました。
premium
は”価格を上乗せした”という意味になりますが、実はこれは誤訳ではないと思います。
時価発行増資とは、貸借対照表の一株当たりの株主資本の価額よりも高い価格(=一応時価なのでしょう)で新株式を発行する、
という意味なのですから、「時価発行」の英訳は「premium
issue」で正しいのです。
もしくは、かつての額面株式のころであれば、額面よりも高い価格(=一応時価なのでしょう)で新株式を発行するという意味だ
と考えても「時価発行」の英訳は「premium
issue」で正しいことになります
(発行価額が簿価と同じなら正確にはpremiumではありませんが)。
簿価を中心に考えると、”価格を上乗せし”て株式を発行すると、新株式を引き受けた株主が損をするだけなのではないか、
ということが簡単に分かります。
premium
と聞くと言葉の響きはいいのですが、実はpremium
でメリットがあるのは会社(と既存株主)の方であり、
新株式を引き受ける株主にはデメリットしかないわけです。
新株式を引き受ける株主がメリットを享受したいなら、discount
issue でないといけないのです(その場合会社と既存株主が損をします)。
会社や既存株主のことだけを考えると「premium
issue」でもいいかもしれませんが、
株式市場の健全性ということを考えるとどうでしょうか。
もう少し考えますと、premium issue
ということはどういうことかと言うと、「利益の先取り」のようなイメージになるのです。
私の造語ですが、時価発行増資とは「未実現利益発行増資」と呼んでもいいくらいです。
まだその一株当たりの株主資本の価額に達していないのにその価額に達したものと考えて増資を行うようなものだ、
と考えることができるのです。
利益がまだ実現していないのなら、(本来の意味とは異なりますが)それは一種の架空増資ではないのか、と言ってもいい気がします。
利益が実現(当期純利益を計上)すれば、その当期純利益は、配当として受け取る場合でも内部留保を行う場合でも、
どちらの場合も当期純利益は全て株主のものなのです。
文字通り、配当と内部留保に株主にとっての差はないのです。
コーポレート・ファイナンス理論はこの点において(簿価で考えるとという意味です)正しいのです。
コーポレート・ファイナンスと聞くと、錬金術かアメリカかぶれか欧米の最新の経営理論かと思われるかもしれませんが、
その考え方は実は逆に極めて古典的です。
旧商法にまで、いや、旧商法どころか、明治期以前の商法が整備されるはるか昔から行われている商慣習に沿ったところが実はあるのです。
会計基準や法律の細かな規定は国によって異なりますが、コーポレート・ファイナンスの考え方は非常に応用が利くのです。
悲しいかな、コーポレート・ファイナンスの教科書では、時価だ時価だと過剰に言っており現実から離れて空回りしている部分があるのですが、
実は時価を簿価と書き直すとつじつまが合うことが多く、コーポレート・ファイナンスは非常にまっとうな理論になるのです。
2012年6月22日(金)
http://citizen.nobody.jp/html/201206/20120622.html
例えばこちらで紹介した教科書ではわざわざ簿価に×印を付けろ、とまで書いてあります。
教科書全体を通じて時価に偏り過ぎているのは確かに問題がないわけではないのですが、それでも基本的考え方は正しいと思います。
時価と書いてあるがここは簿価と考えてみればつじつまが合うな、そう自分で応用して考え理解を深めていくことこそが大切だと思います。
究極的なことを言えば、時価には根拠はあるのか、株式市場という隠れ蓑をかぶった詐欺ではないのか、という話になるのです。
株価に根拠はない、そういう考え方もあります。
なぜ簿価よりも高い価額で発行するのか、「将来そうなるから」だとでも言うのか、という話になります。
法律にのっとった増資だというのなら、その法律が根本的に詐欺を助長しているのではないか、そういう見方もあるのではないでしょうか。
まあここはちょっと暴論っぽくなりましたが。
生まれた時からあるものですから、我々は株式市場や株価を当たり前のものと考え、受け入れています。
しかし、株価にはそもそも根拠はないのだとしたら?
株式市場や株価を中心に考えると、時価発行増資こそが一番フェアに思えますが、
簿価を中心に考えると実は全くフェアではない、ということに気付きます。
簿価を中心に考える場合の増資において、
一番フェアなのは、貸借対照表の一株当たりの株主資本の価額で発行すること(株価より著しく低い価額だとしても)です。
法律で言えば、金融商品取引法では時価発行増資が一番フェアな増資ですが、会社法では時価発行増資は全くフェアではないのです。
また逆に、会社法で一番フェアと考えられている価額(貸借対照表の一株当たりの株主資本の価額)で増資を行うと、
金融商品取引法では全くフェアではない増資(株価よりも著しく低い価額での有利発行)、と見なされます。
この点において、会社法と金融商品取引法は根底から矛盾しているのです。
結論を一言で言えば、「簿価で考えていくと全てのつじつまが合う」、となります。
時価を考える限り、会社法(簿価中心)と金融商品取引法(時価中心)の根底からなる矛盾は永遠に解決しません。
私は現会社法施行前に、そこまでするのなら、証券取引法とできる限り整合性を取る形で「上場会社法」でも整備すればいいじゃないか、
と思っていました。
上場会社では監査をはじめ、商法と証券取引法が二段構えのようになっていましたので(結局今でもそうですが)。
実は今でもそう思っています、商法に戻すべきだと。
ただ、仮に上場会社法を整備するにしても、現金融商品取引法と整合性を取りたくてもどうしても整合性が取れない部分があります。
それこそが、まさに簿価と時価の違いに他ならないのです。
こればっかりはどう整理しようにも整理できない論点だと思います。
何をもって公正とするか、の概念がその根底から異なるのですから。
敢えて言うなら解決方法はただ一つ。
簿価とは別の株価ということを考えないことです(つまり、解決策は「市場では(市場外でも)簿価で株式の売買を行う」です)。
まあもちろん現実には今まで通りの株価というものが存在し続けるのでしょうが。
株式に時価と簿価の両方の価格がある限り、矛盾(会社法と金融商品取引法との矛盾、簿価と時価との矛盾)は永遠になくならないと思います。
大いなる矛盾を抱えたまま、人も会計も法律も、生きていかねばならないのでしょう。
最後にもう一度だけ言います。
簿価で考えていくと全てのつじつまが合うのです。
会計もそして法律も。
このことだけは忘れないでほしいと思います。