2012年9月22日(土)
論叢本文
ttp://www.nta.go.jp/ntc/kenkyu/ronsou/70/03/03.pdf
2009年12月16日
日本公認会計士協会
会計制度委員会研究報告第13号「我が国の収益認識に関する研究報告(中間報告)−IAS第18号「収益」に照らした考察−」の改正について
ttp://www.hp.jicpa.or.jp/specialized_field/13ias18_1.html
【コメント】
私個人としましてはIFRS絶対反対、IFRSは全面的に廃止すべし、との意見を持っています。
これまで何回か2003年当時の会計基準にしてはどうかと書いてきましたが、もっと根本から会計理論との整合性を重視するならば、
国際会計基準の差異をなくすだコンバージェンスだと言い出すもっとはるか以前(1997年以前?)にまで企業会計基準を戻す、
ということも真剣に考えていくべきだ(IFRSとの差異が著しいなら日本基準との並行適用・並行開示しかないと思います。
両方の財務諸表を決算短信や有価証券報告書には記載し、どちらを見るかはそれこそ各投資家の判断に委ねるべき話でしょう)と思いますが、
私の意見は置いておいて、まず基本的なことから整理しますと、開始時期はともかく任意にせよ強制にせよ仮にIFRSを適用するとしても、
それは連結財務諸表に対してのみ、ということはほぼ決定していることかと思います(連単分離ですからこれはこれで大問題ですが)。
個別財務諸表にはIFRSは適用しないのです。
つまり、益金や損金といった国内企業の課税所得の話にははじめからIFRSは一切関係がないのです。
さらに言うならば、理屈ではIFRSの連結財務諸表を作成するためには、
日本の親会社単体にもIFRSを適用し、また、日本もしくは海外の子会社にもIFRSを適用した上で
それらを合算・連結修正仕訳を行うことになりますので、細かいことを言えば
確かに連結財務諸表の作成過程で個別財務諸表にもIFRSは適用するわけです。
しかし、それを言うなら、個別財務諸表及び連結財務諸表の作成過程自体にはじめから日本基準とIFRSとで差異は全くないわけです。
会計基準に従って個別財務諸表を作成し、税務上の益金・損金の調整を行って課税所得を計算する、という点では
日本基準とIFRSとでは何ら差異はありません。
税務基準とは会計基準とは違いがある、という点では日本基準とIFRSとでは何も違いはないのです。
日本基準であろうがIFRSであろうが、会計基準と呼ばれるものは企業の利益を計算する手段であって課税所得を計算する手段ではないのです。
そういう意味では、日本基準からIFRSへ変更すると課税所得がどう変わるのか、という議論は何か根本的に的外れであるようにも感じます。
IFRSと整合性を取る形で税務基準が変更になるというのなら分かりますが、
IFRSはイギリスをはじめとする海外で基準が策定・改正されていきますから、
そのたび毎に日本の租税各法を国会で改正するとはとても思えせんが。
紹介した国税庁(税務大学校)からの「収益認識に関する一考察−法人税基本通達に与える影響−」には
課税所得や益金や損金の話が山と出てきますが、
日本公認会計士協会からの「我が国の収益認識に関する研究報告(中間報告)−IAS第18号「収益」に照らした考察−」には
課税所得や益金や損金の話はほとんど出てきません。
それは一方が税務当局側の立場であり他方が企業会計側の立場だからではなく、
そもそも会計基準と課税所得計算とは全く関係がないからなのです。
率直に言えば、課税所得額、益金額、損金額は原理的・根本的に会計基準に一切左右されないのです。
精読はしていませんが、素読してみただけでこの論文には時々首をひねりたくなることが書いてあります。
一例を挙げますと、6/75ページに
>特に、IFRSのような新たな会計基準については、企業会計に導入されたことをもって直ちに公正処理基準とするのではなく、
>課税の公平・適正を害すものが含まれないかといった観点から検討していく必要があると考える。
とありますが、これは完全にずれているといいますか、会計基準や課税所得計算が根本から分かっていないのではないかと思われるのですが、
会計基準導入に関して言えば、話は完全に逆であり、IFRSは公正処理基準と認められたから企業会計に導入されたと考えるわけです。
IFRSが公正処理基準と認められないのであれば企業会計に導入してはいけないわけです。
もしここでの公正処理基準という言葉の意味が課税所得計算の上での計算基準という意味なのであれば、
そもそもIFRSは課税所得計算の上での計算基準ではありません。したがって、IFRSは公正処理基準ではないでしょう。
また、税務基準から見れば、現在でも、日本基準はここでいう公正処理基準ではありません。
会計基準がここでいう公正処理基準となることは決してないのです。
同じ流れで、7/75ページには、
>当事者間の契約において、出荷時点で製品に対する支配が移転するとしている場合には、出荷基準が適用されると考えられ、
>そうすると、IFRSを適用したとしても法人税基本通達2-1-2に影響しないとも考えられる。
とありますが、これも何か原因と結果が逆と言いますか議論の流れが逆転しているように感じます。
まず同じ指摘の繰り返しになりますが、IFRSを適用しようが日本基準を適用しようが、法人税には影響しないのです。
どの会計基準を適用しようが課税所得には一切影響しません。
ですから、どのような取引に対しても、IFRSを適用したとしても法人税基本通達2-1-2に影響しないのは当たり前です。
また、この文の前半を読みますと、会計基準のことが全く分かっていないのではないかと思われます。
IFRSでは、そもそも「出荷時点で製品に対する支配が移転する」とは見なさいわけです。
ですから、IFRSでは出荷基準を適用することを認めないわけです。
出荷基準のことを書くということは着荷基準のことも頭にあるということだと思いますが、
IFRSでは着荷基準しか認めないわけですから、IFRSを適用しながら出荷基準を適用するということが根本的にあり得ないわけです。
文自体に矛盾があるわけです。
なお、念のため書いておきますが、結局同じ結論の繰り返しになりますが、
IFRSを適用し着荷基準を適用したとしてもどちらせによ法人税基本通達2-1-2に影響しません。
他にも、9〜10/75ページには、
>IFRSの考え方を公正処理基準によりそのまま課税所得の計算に用いることは、(中略)
>適正・公平な課税の観点からは問題があり、IFRSが我が国の企業会計において導入されてとしても、
>直ちにこれを公平処理基準と認めることには疑問がある。
とありますが、IFRSが根本的に一般に公正妥当と認められた企業会計基準ではないのは当然にしても、
この文で問題なのは、IFRSの考え方を公正処理基準によりそのまま課税所得の計算に用いることなどこの世の誰一人として考えていない、
ということです。そうなることは今までも今後も決してあり得ません。
日本基準、IFRS、会計基準、課税所得計算、これらのことが根底から分かっていないのではないでしょう。
全75ページの論文ですが、はっきり言いますと、これは全体的に間違っている論文で既に終わっていると思います。
企業会計と税務会計との関係性についての理解が完全に抜け落ちているからこのような全部が間違っている論文が出来上がるのです。
どこをどう突っ込めばいいか分からないほどですが、「要約」の部分から引用して(2/75ページ)、さらにもう少しコメントしたいと思います。
>我が国の法人税法は、企業利益を基に各事業年度の課税所得を計算する確定決算基準を採用しており、
>収益及び費用等の額は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に基づいて計算されることから(法法22条4項。以下「公正処理基準」という。)、
>企業会計におけるIFRSの導入は課税所得の計算にも影響を与えることとなる。
「要約 1 研究の目的(問題の所在)」にこう書いてあります。
1ページ目の最初の方にこのように書かれているわけですが、結論だけを端的に言えば、
「企業会計におけるIFRSの導入は課税所得の計算には事実上影響を与えない」
となると思います。
大まかに言えば、収益認識基準が変更になると、いわゆる売上高が著しく変化することはあり得ます。
IFRSを適用すると、日本基準では何らかの税金額(たばこ、ビール等)や代理業の単なる仕入れ相当額(総合商社等)を
売上高に計上している場合などに売上高が著しく減少することになります。
ところがこれらの場合、売上高は著しく減少しても営業利益ベースでは日本基準の場合と完全に同じ(1円も減少していない)
ということになります。
なぜなら、何らかの税金額(たばこ、ビール等)を売上高に含めていた場合には販売費及び一般管理費でその税金額は減算されますし、
代理業の単なる仕入れ相当額(総合商社等)を売上高に含めていた場合には売上原価で同額減算されるからです。
売上高は著しく減少しますが、営業利益は全く変わらないのです。
営業利益は全く変わらないとなりますと、後は日本基準とIFRSとで利益計算方法に違いはほとんどありませんので
結局課税所得にも全く差がないことになります。
細かいことを言えば、同じ収益認識基準でも「出荷基準」か「着荷基準」かで売上高は若干変動します。
日本企業の多くは現在「出荷基準」を採用していますが、「着荷基準」に変更すると荷物が相手先が受け取るまで
収益を認識できない(売上高を計上できない)わけですから当然売上高は減少することになります。
2012年4月1日(日)にヤマトホールディングスの例で見ましたように、
2012年4月1日(日)
http://citizen.nobody.jp/html/201204/20120401.html
例えばヤマトホールディングスであれば、着荷基準を適用した初年度だけ2パーセント弱減少するでしょう(2年度以降は元に戻る)。
この場合は売上高ではなく営業利益も着荷基準を適用した初年度だけ減少することになります(2年度以降は元に戻る)。
理屈を言えば、費用・収益対応の原則を厳密に適用するならば、出荷から着荷までの期間の各種費用は来期に繰り越すというような
損益計算をしなければならないと思います。
「着荷基準」を適用した結果、「出荷基準」に比べて売上高の計上が約5〜6日程度分後れるならば、
同じ割合だけ費用も繰り越すことが必要になると思います。
例えば売上高を1.6パーセント繰り延べたならば費用も1.6パーセントだけ繰り越す、といった具合です。
このような損益計算をしますと、営業利益は1.6パーセントだけ減少することになります
(売上高は1.6パーセント減少したが費用は減少しない場合は、営業利益は1.6パーセント以上減少します)。
他にも、細かいことを言い出せばきりがありませんが、「出荷基準」から「着荷基準」へ変更した結果売上高が減少したと言っても、
収益の認識が1日しか後れなかった荷物もあれば10日以上後れてしまった荷物もあるわけでして(平均して1.6パーセントの減少というだけ)、
そのようなことまで勘案していくと、収益の認識が1日しか後れなかった荷物の配送費用は1日分繰り越す、
収益の認識が10日以上後れてしまった荷物の配送費用は10日以上分繰り越す、という損益計算をしなければ正確な計算とは言えないでしょう。
ただ、実際には荷物単位の配送費用など実務上も理論上も正確な計算などできるはずがなく、
仮に費用・収益対応の原則を重視した損益計算をするならば、
売上高を1.6パーセント繰り延べたならば費用も1.6パーセントだけ繰り越すというようなことをするのが実務上は精一杯でしょう。
最終的に全営業費用を1.6パーセントだけ繰り越すというだけなら実務上もそのような損益計算はできなくはないと思いますが、
実際には、「売上高は1.6パーセント繰り延べるが費用はそのまま計上する」、となると思います
(初年度のみ営業利益が大きく減り2年度以降は元に戻る)。
細かい話が長くなりましたが、いずれにせよ、収益認識基準を「出荷基準」から「着荷基準」へ変更しますと、営業利益は減少します。
それで、収益認識基準を「出荷基準」から「着荷基準」へ変更した結果営業利益は減少する場合に関してですが、
結論だけ先に言えば、この場合は確かに課税所得も減少することになります。
これは益金算入額が減少するから、と言っていいと思います。
もう少し細かく言いますと、現在でも日本基準では実は「着荷基準」による収益認識は認められるわけですが、それと同様に、
(税務の規定を読んだわけではありませんが)税務上も「着荷基準」による収益認識は認められると思います。
費用の計上についても、(正当な理由がない費用計上先送りは認められませんが)収益の認識に合わせた形での費用計上の繰り越しは
会計上認められると思います(経過勘定項目として例えば「前払総営業費用」といった勘定科目で費用計上を来期に繰り越すことは可能)。
税務の規定については分かりませんが、一般的に税務上は損金算入しないのは自由、という考え方があるかと思いますので、
税務上も費用(損金)を来期に繰り越すことはできると思います。
ただ実際には上で書きましたように、「費用(損金)を繰り越すことは実務上(会計上も税務上も)はしない」、だと思います。
@お客さんから宅配の荷物を受け取った。現金は前払いで受け取った。
(現金預金) xxx / (前受金) xxx ←現金は受け取ったがそれは収益(売上の実現ではない)ではない
A配送先に出荷した。
(仕訳なし) ←「着荷基準」では売上でも何でもない。出荷基準ならここで売上計上
B配送先が荷物を受け取った。
(前受金) xxx / (売上高) xxx ←「着荷基準」はここで売上計上
上記A〜Bの間に会計期間の期末を迎えてしまった場合は@で計上した前受金がそのまま貸借対照表に計上されるというだけです。
何か決算整理仕訳のようなことを考えて、期末日にBの仕訳をまず切り、費用収益対応を取る目的で改めて、
”(売上高) xxx / (前受総売上高) xxx” といった仕訳を切るわけではありません。
前受金と前受収益は確かにどちらにも「現金主義と発生主義の調整を図る」、「費用と収益の対応を図る」両方の意味合いはあるのですが、
「前受金」勘定と「前受収益」勘定は会計上実はかなり性質が異なる(前者は主に現金主義vs実現主義、後者は主に収益vs費用)と思います。
つまり、前受総売上高などという勘定科目はあり得ず、それはそもそも収益認識に関する仕訳を切らない、ということだと思います。
(もし前受総売上高などという偽経過勘定項目を計上したら損益計算書原則(三、B)に反すると思います。)
少し脱線が長くなりましたが、収益認識(出荷基準が茶国基準か)に話を戻しますと、ここでは話の簡単のため実務上の取り扱いに合わせて
「売上高は繰り延べるが費用はそのまま計上する、費用(損金)を繰り越すことは実務上(会計上も税務上も)はしない」
と考えます。
出荷基準から着荷基準に変更したことによって課税所得は減少するわけですが、
その理由を一言で言えば、「益金の額が減少したから」となります。
適用する会計基準の変更により、会計上の収益認識額(売上高)が減少し、同じ額だけ税務上の益金額も減少したわけです。
益金の額が減少したから課税所得も減少したわけです。
ところが、この場合の課税所得の減少については、一番最初に書きました「売上高に税や仕入代金が含まれている場合」とは
会計上そして税務上話が本質的に異なる部分があると思います。
それは、「売上高に税や仕入代金が含まれている場合」は、適用する収益認識基準が変更になっても、
「益金や損金の額そのものには何ら影響を与えない」ということです。
出荷基準か着荷基準かは会計上の認識と税務上の認識が同じであるため、益金そのものの額が減少しましたが、
税や仕入代金を売上高に含めるか否かは会計上の認識と税務上の認識とが完全に異なるため、
益金及び損金には何らの影響も与えない、という違いがあります。
これは会計と税務を考えた場合、本質的な相違点だと思います。
話が少しごちゃ混ぜになっている部分があって分かりづらいかもしれません。
出荷基準から着荷基準に変更すると課税所得も減少するということも以上の説明からもちろん大切なのですがそれはひとまず置いておいて、
ここでの議論で一番大切なのは「営業利益ベースでは会計上も税務上も違いがない」(IFRSは課税所得に影響を与えない)という点です。
(ここでは話の簡単のために営業利益=税引前当期純利益=課税所得と考えます)。
会計上の利益から税務上の課税所得までの計算について細かいことを言いますと、
企業会計上の利益額(損益計算書で言えば税引前当期純利益)から益金算入、益金不算入、損金算入、損金不算入を加減して
税務上の課税所得額を求めるわけですが、
「収益認識基準が変更」になったというだけではこの部分の計算には変更はないわけです。
その意味で「企業会計におけるIFRSの導入は課税所得の計算には事実上影響を与えない」と言えるわけです。
これは「出荷基準か着荷基準かの場合」であろうが「売上高に税や仕入代金が含まれている場合」であろうが同じです。
営業利益ベースでは収益認識基準を変更しても会計上も税務上の課税ベースでも違いはありません。
ところがここが本質なのですが、その営業利益ベースでは会計上も税務上も違いがないという状態になるまでのプロセスが両者では異なるのです。
「売上高に税や仕入代金が含まれている場合」は、益金ではないものがそもそも売上高に計上されており、
売上原価もしくは販売費及び一般管理費でその益金でないものを引き算しているだけなのです。
税務の観点から会計の損益計算を見ると、架空のものが足し算されて架空のものを引き算しているだけ、となるわけです。
だから営業利益ベースでは会計上も税務上も違いがないわけです。
一方、「出荷基準か着荷基準かの場合」は、基準変更により金額の大きさは変わりましたが、
税務上は売上高の全ては益金であり、費用の全ては損金です。
この場合は会計上は売上高の全てに現金の裏付け(収入)があり費用の全てに現金の裏付け(支出)がある、というような言い方ができるかと思います。
現金の裏付けがあり計上基準自体に違いがないという意味で、会計から見ても税務から見ても、売上高=益金、費用=損金、となるわけです。
だから営業利益ベースでは会計上も税務上も違いがないわけです。
同じ「営業利益ベースでは会計上も税務上も違いがない」という状態でも、両者は著しく異なるということが分かるかと思います。
「営業利益ベースでは会計上も税務上も違いがない」(IFRSは課税所得に影響を与えない)ということを本質から正確に理解するためには、
税務知識だけでは不十分であり企業会計基準に関する深い理解がないと不可能だと思います。
ここ数日、連結決算やグループ経営は法を超えてくる、といったことを書きました。
税務は実は広く言えば「法務」(租税法に関する法律業務、行政(税務当局)に対する法律業務、税理士は実は法律職)です。
連結決算やグループ経営どころか、単体ベースでも経営や会計は法を超えているのだろうな、と思いました。