2018年10月29日(月)



2018年10月29日(月)日本経済新聞
リーガルの窓
士業独占に風穴? ITで商標登録支援は「適法」
(記事)





業務独占資格と名称独占資格、その違いとはいったいなに?
(なるほどジョブメドレー コラム 2018/03/02)
ttps://job-medley.com/tips/detail/787/

 

 


【コメント】
記事を読んで、「独占業務」という概念・考え方についてふと気付くことがあり、
インターネットで「独占業務」というキーワードで検索をしてみました。
例えば、紹介している記事では、「独占業務」について次のように書かれているわけです。

>医師法の第十七条では「医師でなければ、医業をなしてはならない」
>第十八条で「医師でなければ、医師又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない」という条文があります。

今日私がふと思ったのは、専門性の高さを担保するために、
特定の業務は専門知識を有することを示す資格を有する者でなければ行えないという考え方は正しいのだが、
わざわざ法律で「有資格者以外はこの業をなしてはならない」と定めたり、
「有資格者以外はこの名称を用いてはならない」と定めるのはおかしいと思いました。
例えば、医師法は医師自身を定義したり医業について定めたり医師の行為を拘束したりする法律であって、
医師以外の者に対して規制を課するのは法概念的におかしいように思ったわけです。
概念的には、誰が医業をなしても構わないように私は思うわけです。
ただ、医師の資格を持った医師から治療を受けたい患者は、医師の資格を持った医師から治療を受ければよい、
というふうに私は思うわけです。
国家の役割は、「その人物が医師の資格を有していることを証する」ということだけだと私は思うわけです。
そのための資格の確認制度(問い合わせる窓口等)を国家が用意すればそれでよいと思うわけです。
極端なことを言えば、誰が医師を名乗ろうが構わない(診療所の看板や名刺に医師と記載しても構わない)わけです。
極端なことを言えば、誰が医業をなそうが構わない(医業の報酬を受け取っても構わない)わけです。
ただし、患者の方が「その人物が医師の資格を有しているか否か?」を国家に確認できる制度が求められるわけです。
この考え方は、「独占業務」や「業務独占資格」や「名称独占資格」全般に当てはまることだと思います。
「その人物にその業務を依頼するか否かを決めるのは(国家ではなく)依頼人(顧客)の方である。」、
という考え方が正しいように思ったわけです(依頼は依頼人の自己責任という考え方になるわけです)。
国家はその人物が資格を有しているか否かを証すれば必要にして十分なのです。
資格というのは、国家がその人物の専門性の高さを客観的に・公的に証明する手段に過ぎないのです。
もちろん、資格を根拠にその人物に業務を依頼するのは依頼人の自由ですし、
その分野の専門家に知り合いがいない場合などは、現実には資格を根拠に依頼する人物を決めることになるでしょう。
それはそれでよいのですが、私が言いたいのは、法令で「独占業務」や「独占名称」を定めるのはおかしいということです。
「国家は証する。人は確認する。」、これが国家と人との本来のあり方ではないだろうかとふと思ったわけです。
各分野各分野で専門性の高さや書類の内容の真正性を国家として担保する必要がある(それがその分野における社会的要請だ、と)、
というような場面が現実にはありますので、その意味では、確かに国家が「独占業務」や「独占名称」を定める
ということも現実的・社会的には必要な場面があると私も思うわけですが、
理論的には国家の役割は「その人物がその資格を有していることを証する」ことだけだと思います。
国家がその人物の資格の有無について証しさえすれば、後は依頼人の自己責任という部分だと私は思います。
国家が「独占業務」を定めるとは、国家が依頼人に対し「その人物には依頼してはならない。」と言っていることと同じなのです。


In theory, there is no such business as a person can do exclusively.

理論的には、人が独占して行えるような業務はないのです。