2018年7月18日(水)


2018年7月18日(水)日本経済新聞
日銀、危機に先手打てず 08年1〜6月の議事録公開 副作用懸念強く 現状維持で一致
水野温氏下審議委員 「深刻化に備え議論した」 世界規模、対応難しく
消えた「武藤総裁」案 政策委、一時2ポスト空席
(記事)




2018年7月17日
日本銀行
金融政策決定会合議事録等(2008年1月〜6月開催分)
ttp://www.boj.or.jp/mopo/mpmsche_minu/record_2008/index.htm/

 

 

関連記事というわけではありませんが↓。

2018年5月27日(日)日本経済新聞
中曽根元首相 100歳に 現行憲法下、経験者で初
(記事)

 

 


【コメント】
日本銀行から2008年1〜6月の議事録が公開されたとのことで、
「あれからもう10年が過ぎたのかあ。」、
と感慨深い気持ちになりました。
私は年齢が上がり過去を振り返るたびに、「あの頃の自分と今の自分はやはり違うな。」と自分で思うことが多いわけですが、
2008年1〜6月の頃の私と今の私ともまた違うと思います。
振り返ってみると、この10年間ひたすら経営や会計や法律の勉強に邁進してきたわけですが、
この10年間を超える時間を過ごすことは今後の人生でないと思います。
この後何十年経っても、それこそ100歳になっても、
自分の人生を振り返って「この10年間ほど充実した10年間はなかった。」と思うような気がします。
100歳の誕生日に、人生で最も充実していた10年間を挙げろと言われれば、
私は「2008年から2018年までの10年間」を挙げることでしょう。
私は100歳になっても、2003年の1年間を最大の・根底からなる・決定的な人生の転機と位置付けるでしょうし、
この10年間のことを「最も充実した10年間だった。」と印象深く思い返すことでしょう。
この10年間を振り返ってみますと、2009年6月頃の時点で既に、「経営や会計を勉強してきてよかったと思います。」
という発言をしたことを思い出しました。
その時に、「やはり2003年の1年間が自分にとって一番大きかったですね。」と発言した記憶があります。
「私の人生を決定的に変えたのは、やはり2003年の1年間だった。」と今でも思います。
2008年1月以降はどちらかと言うと、コメントの執筆をコンスタントにやってきた、という感があるわけです。
もちろん、先ほども書きましたように、コメントの執筆を続けてこれたことが人生最大の充実感につながっているわけですが、
この10年の間に人生の転機のようなもの(進学や就職や転職や退職や結婚や出産や子育てや大きな挫折等々)があったかと言うと、
全くなかったわけです。
この10年間は、よく言えば「安定」していたの一言に尽きますし、「凡事徹底」という言葉がぴったりくる10年間だったわけです。
この10年間は、「規則正しくコメントの執筆を続けることができた10年間」だったと思います。
まさに「平凡を非凡に努める」の10年間だったと思います。
逆から言えば、「大きな転機もなく安定して平凡を非凡に努めることができる幸運」に恵まれた10年間だった、
ということになります。
例えて言うならば、大学卒業後38年間公務員として勤務をし定年退職後に恩給を頂きながら、それまでの研究をまとめたいと
悠々自適にコメントの執筆に時間を捧げることができた、というような10年間だったと思います。
2008年1月以前は、何かと人生の転機のようなものが自分の身に訪れ、1年も経たずに人生の方向転換を余儀なくされていました。
ここまで充実した時間を過ごすためには、「1つの物事に集中して取り組める幸運」が必要なのだろうと自分で思っています。
簡単に言えば、「10年間何もなかったのは幸運だった。」ということになります。
それくらい以前はいろいろありました。
一言で言えば、人生の転機のようなものが一切なく「1つの物事に集中して取り組める幸運」に恵まれた10年間だったと思います。

 

 


2018年7月17日(火)日本経済新聞
公共サービス 郵便局頼みに 自治体や駅の窓口業務 拡大へ 全国網維持 重い国民負担
(記事)


2018年6月13日(水)日本経済新聞
地方駅で切手販売 日本郵便・JR東が協定
(記事)


2018年5月28日(月)日本経済新聞
役場出先業務 郵便局で受託 戸籍届け出など検討
(記事)



【コメント】
JRも日本郵便も、どちらも元は国営だったなと思いました。
ただ、正確に言えば、日本国有鉄道(公社)の従業員は厳密には公務員ではなかった一方、郵便局の従業員は公務員であった、
という違いはあるわけですが。
日本国有鉄道(公社)の発足(1949年6月1日)以前は、日本の鉄道は運輸省が所管する国営事業であったわけですので、
その当時日本で鉄道事業(国営事業)に従事していた従業員は公務員であったわけですが。
その当時の駅員は公務員であったわけですから、駅で切手を販売しても法理上も何ら問題はない、ということになります。
郵便切手は、現在の法律上の定義・分類はもちろん異なりますが、概念的には収入印紙に類似していると思います。
大きさや形が似ているからという理由ではなく、国が行っている事業の収納金(手数料)の徴収のために国が発行する証票、
という意味において、切手と収入印紙は極めて類似した証票であると言えるわけです。
収入印紙は、法理的には、郵便局や法務局(登記所)や運転免許センターその他で、公務員が販売しなければならないわけですが、
元来的には、切手(公的な証票)も郵便局その他で公務員が販売しなければならないわけです。
実務上は・現実には、切手や収入印紙をコンビニエンスストアやスーパーマーケットや私鉄の駅その他で販売しても問題ないのですが、
切手も官製はがきも、法理的には「代金を徴収したことを証する公的な証票」という意味があろうかと思います。
また、国営事業における鉄道の切符も、法理的には「代金を徴収したことを証する公的な証票」という意味があろうかと思います。
それから、郵便局の従業員が公務員である場合は、郵便局の窓口で地方自治体の窓口業務を全面的に取り扱っても、
法理的には何ら問題はない、ということになると思います。
従事する職種別のと言いますか、公務を遂行するための専門知識の有無が、実務上は・現実には問題になるわけですが、
法理上は、人間を「公務員」と「公務員以外(私人)」に分けて考えるのだと思います。
逆から言えば、現在のように郵便局の従業員が公務員ではない場合は、郵便局の窓口で地方自治体の窓口業務を取り扱うことは、
法理的には問題があるということになるわけです(実務上は・現実には何ら問題はないわけですが)。