2018年6月28日(木)



2018年6月28日(木)日本経済新聞
出光・昭シェル4月合併 2強でシェア8割 アジア開拓、成長狙う
(記事)




2018年6月28日(木)日本経済新聞
昭シェルとの統合合意 経営関与 選んだ出光家 TOB案に揺れる 条件交渉、取締役を確保
きょうのことば
株式交換 機動的な企業再編が可能
(記事)



2018年6月28日(木)日本経済新聞
出光・昭シェル統合へ 創業家 経営関与の功罪
(記事)


 



【コメント】
出光興産株式会社と昭和シェル石油株式会社が経営統合を行うことに両社が合意をした、という記事です。
より正確に言うと、出光興産株式会社と昭和シェル石油株式会社とは、今後経営統合を行っていくことに以前から合意をしていた
わけなのですが、従来から出光興産株式会社株式の約33.92%(2017年7月の公募増資後は約26%)を保有してきた創業家が、
2018年6月の下旬になり両社の経営統合について賛成に転じる気持ちが生じてきた、という経緯があるとのことです。
奇遇なことに、出光興産株式会社は本日2018年6月28日(木)に定時株主総会が開催されました。
株主総会の会場で株主との質疑応答等で質問をする株主がいたのかどうかは分かりまりませんが、
事前に議題に上っていた論点ではなかったので、定時株主総会では経営統合についての承認その他はなされてはいないわけです。
昭和シェル石油株式会社は12月期決算ですので、2018年3月下旬に既に定時株主総会を開催しています。
より正確に言えば、昭和シェル石油株式会社は2018年の事業年度から決算期末日を3月期決算に変更しています。
現行の規定上はともかく、法人税法の理論上そして会社法の理論上は少しおかしなところがある(最長でも12ヶ月間で区切るはず)
わけですが、昭和シェル石油株式会社の2018年の事業年度は「2018年1月1日から2019年3月31日まで」の15ヶ月決算になります。
理論的には、昭和シェル石油株式会社の2018年の事業年度は「2018年1月1日から2018年12月31日まで」の12ヶ月決算とし、
決算期の変更のための臨時の事業年度として間隙の事業年度「2019年1月1日から2019年3月31日まで」(3ヶ月決算)を
設けるようにするべきでのです(法人税も、「12か月間」分と「3か月間」分とをそれぞれ納付するようにするべきなのです)。
それから、出光興産株式会社と昭和シェル石油株式会社の経営統合の方法についてですが、
記事を読む限り、「合併」を行うということだと思います。
記事には、「株式交換」という文言も書かれていますが、これは単に「対価という意味において株式と株式とを交換する」
という意味であり、「昭和シェル石油株式会社の株主に対価として出光興産株式会社株式を割当交付する」という意味です。
出光興産株式会社と昭和シェル石油株式会社とは、今後、会社法に規定のある「合併」を行う予定であるわけです。
出光興産株式会社が完全親会社、昭和シェル石油株式会社が完全子会社となる「株式交換」を行う予定というわけではないのです。
紹介している2つ目の記事の「きょうのことば」には「株式交換」という言葉について説明がされていますので、
出光興産株式会社と昭和シェル石油株式会社とは、今後、会社法に規定のある「株式交換」を行う予定である、
と読めないこともないなと思いました。
また、先行する同業他社の経営統合の事例では、会社法に規定のある「株式移転」が行われていたかと思いますので、
出光興産株式会社と昭和シェル石油株式会社とは、今後、実は会社法に規定のある「株式移転」を行う予定である、
と読めないこともないなと思いました。
出光興産株式会社と昭和シェル石油株式会社とは、基本的には全く同じ事業を営んでいるわけですから、つまり、
その品質まで含めて販売商品が全く同じであるわけですから、会社法に規定のある「合併」を行うのが一番自然だと思いました。
出光興産株式会社が販売するレギュラー・ガソリンと昭和シェル石油株式会社が販売するレギュラー・ガソリンとは、
成分から品質から精製度から燃費から何から何まで(当たり前ですが(同じでないと自動車は走らない))全く同じなのです。

 



石油会社と言えば、振込人の名義が「出光興産株式会社」や「昭和シェル石油株式会社」となっている預金通帳を
社会人2年目の頃に何人もの女性から、銀行に就職した高校の同期生が同席する中、土曜日の夜居酒屋で見せられたことがあります。
まあ、他に意図・目的があったのでしょうから、その時特段私がその女性達から本当の意味で結婚して欲しいと思われていた
というわけではないわけですが、「ああ、そう言えばそんなことがあったっけ。」と最近よく昔のことを思い出しています。
私が居酒屋で女性達から預金通帳を見せられたのは社会人2年目の5月から9月の間のことであったわけですが、そんなことが続く中、
10月の初めに、「俺は一体今まで何をしていたのだろう。」と突然我に返ったかのような、本当に驚愕すべき出来事がありました。
高校2年生の2月に高校で受けた模擬試験の答案をある公務員の方が保管をしていて、高校の同期生から居酒屋で見せられたのです。
その答案には、高校の教科書の範囲外の定理を使って問題を解いた解答が記述されていました。
もちろんその答案は私自身が書いた答案であったわけですが、一目見て、
高校の学習内容を完璧に理解している高校生が書いた答案であることが分かりました。
「ああ、高校生の頃の俺ってこんなにすごかったんだ。」、と素直に思いました。
「この答案を書ける俺に何もできないわけがない。」、と素直に思いました。
その答案を見た直後から、街中を歩く時の私の表情・雰囲気や職場での私の表情・雰囲気が様変わりしたことを、
私の周囲の人はすぐに気が付いたようです。
答案を見せてくれた高校の同期生からも、「答案を見た後から様子や雰囲気が変わったらしいけど。」と言われました。
「人格が変わるほどの衝撃を受けた。」、と私は答えました。
「高校数学を理解している人であれば、あの答案のすごさが分かる。」、と私は答えました。
その高校の同期生や職場の人達はその答案を書いたのは私本人ではないと勘違いをしていたということかもしれませんが、
そんなことは全くないわけです。
私本人が書いた答案だからこそ、私は高校生の頃の自分に衝撃を受けたわけです。
その答案を見せられて、私は会社をできる限り早期に辞めることを決めました。
私を知っている人は全員、なぜ私があの答案を見て様子が変わったり会社を辞めることを決めたのか全く分かっていなかった
ようです(やはり、その答案を書いたのは私本人ではないと全員が勘違いをしていたということなのでしょう)が、
私からすると、あの答案は会社を辞めるのに十分なほどの影響を私に与えていたのです。
私が会社に退職する意思を伝える直前に、職場の先輩の方から、「あの答案がそんなに重要だったの?」と尋ねられました。
「高校数学を理解している人であれば、あの答案のすごさが分かると思います。」、とその時も私は答えました。
その先輩もなぜか私本人があの答案を書いたと思っていなかったということではないかと今では推測しています。
そして、11月1日に退職する意思を会社側に伝え、11月いっぱいで会社を退職しました。
長い目で見れば、やはり、あの時あの答案を見せられてよかったと思っています。
振り返ってみると、高校入試も大学入試も根本的におかしいなと思うことがたくさんありましたし、
率直に言えば大学での授業も根本的におかしかったわけです。
そして、就職活動も根本的におかしかったわけです。
特に高校卒業以降はずっと「社会って一体どうなっているんだろうな?」と思い悩む年月が非常に長かったので、
当時は「人生ってこんなもんなんだろうか。」と思いながら何となく社会人生活を送っていたわけですが、
たとえ社会や人生がこんなもんだとしても、「勉強をやり直したい。」とあの答案を見て思いました。
あの答案を見て、「自分は勉強をやり直す義務がある。」、とすら思いました。
その後、自分の人生の中で本当に様々なことがあったわけですが、社会人2年目の10月に居酒屋で答案を見せられてから約3年半後、
仮に勤務を続けていれば社会人6年目の4月に、別の人から同じ答案を私の自宅で見せられました。
その時は、「高校数学をよく分かっている人が書いた答案だと思う。」と客観的に見ることができ、衝撃等は全く受けませんでした。
その時点で3年半前とは実力も違っていたのでしょうし、当時抱えていた悩みを自分で克服することができていたのだと思います。
特に高校卒業以降ずっと抱えていた悩みをその時点で完全に乗り越えていたのだ、というふうに自分で振り返っているところです。