2017年12月12日(火)



今年の漢字は「北」 その理由は「北朝鮮」に加えて…

 2017年を表す漢字は「北」。
日本漢字能力検定協会(京都市東山区)は12日、全国から募った「今年の漢字」を京都・清水寺(同)で発表した。
森清範貫主(せいはんかんす)が縦1・5メートル、横1・3メートルの和紙に墨で書き上げた。
 15万3594票の応募のうち、「北」は最多の7104票だったという。
同協会によると、選んだ理由で多かったのは、弾道ミサイル発射や核実験強行など北朝鮮による脅威▽九州北部豪雨による被害
▽天候不順で北海道産ジャガイモが不足し、ポテトチップスの一部が販売中止に
▽プロ野球・北海道日本ハムの大谷翔平選手が米大リーグに移籍し、早稲田実業高から清宮幸太郎選手が入団
▽競馬でキタサンブラックが活躍、など。
 2位は「政」(3571票)、3位は「不」(3323票)、4位は「核」(3138票)、5位は「新」(2958票)だった。
 森貫主は「『北』という漢字は2人が背を向けている姿を表している。
同じ2人でも『仁』はお互い話をし、平和な世の中を築こうという仁愛に通じる。話し合いをしなければ思いは通じない。
平和に向かって努力することが大事だ」と感想を述べた。
 今年は「清水の舞台」で知られる国宝の本堂が檜皮(ひわだ)屋根のふき替え工事中のため、
7年ぶりに奥の院(国重要文化財)で発表された。
(朝日新聞 2017年12月12日17時29分)
ttp://www.asahi.com/articles/ASKDD4J9FKDDPLZB00K.html


「今年の漢字に選ばれた「北」を揮毫(きごう)する清水寺の森清範貫主」

 

 


【コメント】
2017年の「今年の漢字」は「北」になったとのことです。
「今年の漢字」についてコメントを書くのは、2008年以来になると思います。
2008年のまさに12月12日に、私にとっての「今年の漢字」を書きました。
今読み返しても、「本当に9年前と全く気持ちが変わらないな。」、と自分で思いましたので、その時のコメントを引用します。


>私も今年一年を漢字一文字で表すなら何か考えました。私についていうなら、やっぱりこれかなと思って、
>
>「元」
>
>を選びました。「元」には多くの意味がありますが、基本となる意味は、
>”おこり”とか”みなもと”とか”はじめ”という意味になるでしょう。
>物事の根本を知りたいとか、根源から理解しないと気がすまないとか、一番最初に物事を始めたい、
>と思っている私にぴったりの言葉です。
>また、数学の分野でいえば、代数方程式の未知数(いわゆる方程式のx)のことも元と言います。
>いつも未知のことを知りたいと思っている私にぴったりですし、何より私自身がまだまだ未知数な部分がたくさんあるでしょう。
>自分でも、自分がどこまでのことができるのか、未知数です。
>「元」はまさに私にふさわしい言葉ではないでしょうか。
>
>
>今年は私にとっても世界にとっても
>
>「昔人生参謀今経営参謀 元年」
>
>となりました。”元年”ということは、来年も再来年もあるということです。
>私は「今年の人」ではありません。ずっと続きます。
>
>”昔人生参謀今経営参謀”を一過性のブームで終わらせる気はありません。
>聞きなれない熟語ですが「開元」(げんをひらく)という言葉があります。
>国を始める、国をたてる、開国、という意味です。
>
>僕にできることは何だろうかと、いつも考えております。

 


結局のところ、2009年以降も、私にとっての「今年の漢字」は毎年「元」であった、と言ってよいのだと思います。
2008年にコメントを書き始めた時は、とにかく実務に大きな軸足を置いてコメントを書いていたと思います。
現実に行われている経営や戦略面について、学んできたことをまとめる意味でも、自分なりの考えを書いていたと思います。
しかし、次第に、実務ではなく「理論」に軸足を移していったように思います。
記述内容の中心が実務から「理論」に移っていったのは、今振り返ると自然な流れだったように思います。
特に意識して「理論」について書きたいと思っていたわけではありません。
コメントを書いていて、「いまいち上手く書けないな。十分に説明し切れていないな。もっと違う切り口から書けないだろうか。」、
と思うことが長い年月コメントを書いていて増えてきまして、
「理論」面から説明していった方が論旨が明快になる、と少しずつ感じるようになりました。
実務や現実のことを考慮し出すと、どうしても十分な説明が付けられない部分が出てくるわけです。
「実務や現実の上では他にも様々な点を考慮しなければならないのは確かだが、とにかく『理論』上の考え方はこうだ。」、
といった具合に、話の論点を絞るために「理論」に徹することが大切だ、と思うようになりました。
「理論」と言っても現実とは関係がない話をしているのではなく、むしろその正反対であるわけです。
実際の会計基準の規定や法律の定めも「理論」がその中心にある、とつくづく思うようになりました。
「理論」の話をする中で、「元来的な考え方はこうだ。」、といった具合にコメントを書けるようになりました。
実際の会計基準の規定や法律の定めは、理論上の考え方を基にしつつ、「理論」に修正と補整を加えているだけなのです。
実際の会計基準の規定や法律の定めを理解する上でも、「理論」上の考え方を理解することが極めて重要なのです。
実務上の取り扱いや現行の規定を敢えて度外視することで、その根本にある原理原則が浮かび上がってくるように思います。
「元」という漢字と「原」という漢字は、由来や意味合いが非常に近いのではないかと思うのですが、
長い年月コメントを書けば書くほど、記述内容が「元」や「原」に近づいていったように思います。
語弊を恐れずに言えば、「理論」や「原理原則」が物事の本質だと思います。
今では、「自分は『理論』や『原理原則』に徹したコメントを書けばいいんだ。」と思えるようになりました。
私にとって、「今年の漢字」はこれからも毎年「元」になると思います。)
今後も、「『理論』や『原理原則』に徹する」という方針でコメントを書いていきたいと思っています。