2017年11月11日(土)
2017年9月20日
株式会社エー・ディー・ワークス
ノンコミットメント型ライツ・オファリング(行使価額ノンディスカウント型)第20回新株予約権の
最終行使結果及び発行済株式総数に関するお知らせ
ttp://contents.xj-storage.jp/xcontents/32500/f27a4f6c/8ec1/4d17/b5d7/4b6d7b206638/140120170920475197.pdf
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【コメント】
株式会社エー・ディー・ワークスが「ライツ・イシュー」により資金調達を行った、という記事になります。
より正確に言うと、株式会社エー・ディー・ワークスは、既存株主に対し保有株式数に応じて新株予約権を無償で割り当てた
わけなのですが、株主に割り当てた新株予約権が一定割合(約45%)行使されたことにより、
既存株主が新株式を引き受けた(会社は新株式を発行して増資を実行した)、という取引が行われた、という記事になります。
これは、いわゆる「ライツ・イシュー」と呼ばれる資金調達方法になるわけです。
ただ、私が記事を読んでふと思いましたのは、「新株予約権の発行そのものは資金調達と言えるだろうか?」、ということです。
このたびの株式会社エー・ディー・ワークスの事例では、株主は実際に新株予約権を行使し会社に現金を払い込んでいますから、
会社にとってはまさに資金調達であるわけなのですが、私が今考えているのは、一般論と言いますか、
新株予約権の行使までは考慮しないより局地的な取引の話になるのですが、
「会社が新株予約権を有償で発行することは資金調達と言えるだろうか?」とふと思いました。
例えば、次の2つの取引を考えてみましょう。
@会社は権利行使価額100円の新株予約権を1円で発行した(新株予約権の発行価額は1円)。
A会社は権利行使価額1円の新株予約権を100円で発行した(新株予約権の発行価額は100円)。
確かに、権利行使後の状態を考えると、どちらの場合も、会社は計101円の資金調達を行ったかのように思えます。
しかし、私が思うのは、少なくとも発行時点では新株予約権が将来行使されるかどうかは分からない、
ということであるわけです。
新株予約権が結局行使されなかった場合を考えてみますと、まず、@の場合は会社には1円の特別利益(一種の債務免除益)が生じ、
Aの場合は会社には100円の特別利益(一種の債務免除益)が生じる、ということになるわけですが、
会社は新株予約権の失効による収益を得るために新株予約権を発行したわけではないわけです。
そもそもの話をすると、会社は増資による資金調達を行うために、新株予約権を発行した、と言っていいわけです。
一言で言えば、新株予約権(の発行)は、資金調達の源泉としては極めて不安定だ、という言い方ができるなと思ったわけです。
それで、新株予約権を発行しても資金調達をしたとは言えないな(会社の資金はまだ不安定な状態にある)、と考えていましたら、
ある1つの概念が頭に思い浮かびました。
それは、「資本取引には債権債務関係という考え方はない。」という概念です。
換言すればと言いますか、逆から考えてみますと、「債権債務関係という考え方があるのは損益取引だけだ。」、
ということになろうかと思います。
現代会計では、債権債務関係によって収益を認識したり費用を認識するわけなのですが、それらはまさに損益取引であるわけです。
では、債権債務関係によって資本金の増加や(変則的な資本取引と言っていいと思いますが)借入金の増加を認識するかと言えば、
やはりないわけです。
資本金の増加は、現金の払い込みによって認識するものであり、払い込む約束で認識するものでは決してないわけです。
同様に、借入金の増加も、実際の借り入れによって認識するものであり、借り入れる約束で認識するものでは決してないわけです。
経営上はと言いますか、現実の人と人との取引においては、契約という形でお互いに将来に実行する取引の約束をするわけですが、
契約の締結時点(取引の実行日は締結日後の将来である場合)では、会計上は債権債務関係を認識しないわけです。
一般的に言って、契約の締結により、法律上はお互いが将来に果たすべき債権債務関係が生じると言っていいわけなのですが、
会計上は締結時点では債権債務関係を認識しない(会計上は実は債権債務関係は発生していない)わけです。
会計上は、例えば、目的物の引渡しや役務の提供が生じて初めて、両者の間に債権債務関係が発生するわけです。
損益取引とは異なり、資本取引に至っては、法律上の債権債務関係を会計上も認識するということは全く行わない、
と言っていいわけです。
資本取引にあるのは、約束という概念はなく(会計上は債権債務関係はなく)、
まさに「契約内容の実行」のみだ、と言っていいわけです。
資本取引では、契約内容が実行された時のみ、会計上影響が生じる、と言っていいわけです。
他の言い方をすれば、資本取引では、契約内容が実行された時のみ、仕訳を切る(帳簿に記入する)、と言っていいわけです。
「私は将来必ず新株式を引き受けます。」という約束では会社の資本金は増加しませんし、
「私は将来必ず現金を貸し付けます。」という約束では会社の借入金は増加しないわけです。
他の言い方をすれば、「資本取引というのは、現金との結び付き・関連性が著しく強い。」という言い方をしても言いと思います。
いや、むしろ、「資本取引には現金(による取引)しかない。」、と言っていいと思います。
現金のみによって資本取引を認識する(将来に実行すると約束している金額では認識しない)、と言っていいと思います。
この背景(会計理論上の説明)としては、結局資本取引というのは「事業の元手」を表現しているからだ、
という説明ができないだろうかと思っています。
逆から言えば、事業活動により獲得した利益は、「事業の元手」ではない、と言えるわけです。
元手を使用することでこれから事業を行っていくわけなのですから、元手は絶対に現金でなくてはならないわけです。
では、利益は現金でなくてもよいのか(つまり、利益は債権でよいのか)、と言われるとまた別の議論が始まるわけですが、
長期的・経常的に見れば、債権は必ず現金になりますので、極短期的には利益は債権でもよい、と考えているわけです。
一方、会社は資本金を元に今すぐ事業を開始できなければならないわけですから、事業の元手は現金でなければならないわけです。
少なくとも債権を元手に事業を開始するという商慣習や会計慣行はない、と言っていいわけです。
十分な説明になっているかどうか分かりませんが、資本取引には債権債務関係はないわけです。
上記の議論と関連する勘定科目としては、「新株式申込証拠金」勘定があります。
「新株式申込証拠金」勘定は、会社は払込期日に新株式を発行する義務を負っていることを表現しているわけですが、
その意味では「新株式申込証拠金」勘定は一種の債権債務関係を表しているとも言えますが、
「新株式申込証拠金」勘定と「別段預金」勘定は、厳密にはまだ投資家(申込者)に帰属しているもの、と考えるべきでしょう。
「新株式申込証拠金」勘定と「別段預金」勘定の段階では、資本取引はまだ完了はしていない、と考えなければなりません。
端的に言えば、資本取引と損益取引は根本的に異なる、という捉え方をしなければならないわけです。
損益取引は長期的・経常的に行うため、損益取引を継続する中で債権を回収する(債権が現金に変わる)と考えてよいわけですが、
資本取引は元手の確定という意味合いがありますので、資本取引を行っていく中で債権を回収するという考え方はないわけです。
資本取引があって初めて損益取引を行うことが可能になるわけですから、資本取引の中で債権債務関係が発生する、
という考え方はおかしいわけです(つまり、債権債務関係が発生してよいのは損益取引のみだ、と考えなければなりません)。
債権を現金を見なしてよいのは事業の継続の中で債権の回収を行うことができるからであって、
事業の元手という場合には、今すぐ事業を開始できなければ元手とは言えない(債権では事業は行えない)わけです。
英語で言えば、損益取引は「continual」(繰り返して長期に連続して行われる)、資本取引は「spot」(その場で行われる)、
と言えると思います(損益取引と資本取引は時間軸が根源的に異なっており、資本取引の期間は0秒間(その時だけ)と言っていい)。
損益取引と資本取引を比較すると分かりやすいかと思い説明が長くなりましたが、以上の説明を踏まえ、今私が言いたいのは、
「新株予約権の発行は資本取引ではないはずだ。」ということです(つまり、その際受け取った現金は収益になるはずだ)。
新株予約権が行使されなかったら返金する、というものでもありませんので、負債(や備忘勘定)と見なすこともできないわけです。
結局のところ、「会社が新株予約権を有償で発行することは資金調達(資本取引)と言えない。」、という結論になると思います。
さらに言えば、「新株予約権勘定は権利行使に伴い資本金勘定を構成する。」、という現行の考え方も理論的には間違いなのです。
The issue of share options itself is not a capital transaction.
新株予約権の発行自体は資本取引ではありません。
Unlike a holder of shares or a shareholder, a holder of share
options
doesn't receive the distribution of residual assets of a company in a
liquidation procedure.
株式の保有者すなわち株主とは異なり、新株予約権の保有者は、
清算手続きにおいて会社の残余財産の分配を受け取ることはないのです。
A capital is absolutely definite,
whereas whether share options will
be exercised or not in the future is completely indefinite.
資本金というのは絶対的に確定しているものです。
しかるに、新株予約権が将来行使されるか否かは全くもって確定はしていないものなのです。
A capital transaction has no concept "obligations" in it.
資本取引には「債権債務関係」という概念はありません。
As I have reiterated this phrase, receivables are cash.
But, in fact,
this phrase is true of only a profit and loss transaction.
Receivables are
not cash in a profit and loss transaction.
これまで私が何度も何度も繰り返して言ってきましたように、債権は現金なのです。
しかし、実は、この言葉は損益取引にのみ当てはまる言葉なのです。
資本取引においては、債権は現金ではないのです。