2017年11月3日(金)


2017年10月21日(土)日本経済新聞
有料老人ホーム 重い追加料 おむつ・買い物代行・・・、事前確認
(記事)


【コメント】
今日は「文化の日」ということで、経営や会計や法律とは関係ないことについて一言だけ書こうと思います。
と言っても大した話ではなく、「文化だ文明だと言ったところで、人は最後は皆死ぬんだよな。」、と思っているだけなのですが。
「所詮、人はいずれ死ぬ身。」、私は今までそう思って生きてきました。
勉強をし直そうと思い会社を辞めた時も、書店で様々な本を立ち読みをしながら、
「こうなったら運命のままに生きさせていただろう。この命、何をあくせく。」、と思ったものです。
ただ同時に、「Control your own destiny, or someone else will.」
(自分の運命をコントロールせよ。さもなくば、他の誰かがそうすることになるであろう。)
という言葉も胸に刻み込みました。
ある意味完全に矛盾した2つの言葉を胸に、勉強を頑張っていたように思います。
色々振り返ってみると、「どう生きたって、最後の最後はどうせ死ぬんだしなあ。」、という悟りや諦念にも近い気持ちが、
当時の私の心の中にはあったように思います。
当時の私は、会社まで辞めて今後どうなるのかなあ、と不安がありつつも、でもどこか落ち着いてもいたように思います。
後悔の念を抱えたまま生きていく方がはるかにつらい、そう思っていたからだと思います。
どうせ最後死ぬんだったら、後悔しないように、そして、できる限り人生が充実するように、と思って生きていたのだと思います。
振り返ってみますと、中学1年生の頃、教室で「自分は将来結婚はしないし一生独身だろう。」という話をしたことがあります。
その時、「子供も奥さんもいなくて、死ぬ時はどうなるの?」と尋ねられました。
その時私は、「まあ現実には、最後は病院か老人ホームで死ぬんじゃないんですか。」と答えました。
「現実には介護というのは非常に難しいと思いますので、奥さんや子供がいても、結局最後は病院とかで死ぬんじゃないんですか。」、
という話をしました。
結局のところ、今でも同じような気持ちでいます。
老人ホームと一言で言ってもピンからキリまであるようで、
月に何十万円もかかるところもあれば、生活保護でも入れるところもあるようです。
ある意味死ぬためにそういった施設に入る、とすら言っていい(誰しも人の世話になって長生きしたくはない)わけなのですから、
個人的にはどういった老人ホームがよいかという点にはこだわりはないわけですが。
色々な出来事がありましたが、今までそれなりに充実した人生を送ることができましたので、
死ぬ時も「まあこれでいいか。」という気持ちで死んでいけるように、これからも生きていきたいなと思っています。

 

Everyone is doomed to die at the end.

人は皆、最後は死ぬ運命にあるのです。