2017年11月2日(木)



現金支払い不可のレストラン、ロイヤルHDが東京にオープン

ロイヤルホールディングスが、クレジットカードか電子マネーでのみ支払いできる実験店舗を東京にオープンする。
従業員の業務を効率化できるかを検証する狙いだ。


 ロイヤルホールディングスは11月1日、支払いに現金が使えず、クレジットカードか電子マネーのみに対応する
レストラン「GATHERING TABLE PANTRY 馬喰町店」(東京都中央区)を6日にオープンすると発表した。
 クレジットカードか、楽天Edy、Suica、PASMOなどの電子マネーに対応する。店舗内でのチャージはできない。
現金を全く取り扱わないことで、売上管理業務の作業数を少なくし、報告業務などを効率化する狙いだ。
 新店舗は、あくまで研究開発(R&D)を目的とした店舗という位置付け。
支払い方法以外にも、タブレット端末によるセルフオーダー、調理工程の短縮につながる機器の導入や、
厨房スペースのコンパクト化などにも取り組む。
今後はさらなる改善を加えながら、検証した成果をロイヤルグループ内の店舗に反映するとしている。
(IT Media 2017年11月2日14時55分更新)
ttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/1711/02/news075.html

 


2017年11月1日
ロイヤルホールディングス株式会社
次世代の店舗運営に向けた新たな取り組み 「GATHERING TABLE PANTRY」誕生 11月6日(月)東京都・馬喰町にR&D店舗オープン
ttps://www.royal-holdings.co.jp/release/f79d23ea8cc99c4f0256635a7208a20b.pdf

「ウェブサイト上と同じPDFファイル」





Challenge Cashless !!
私達はキャッシュレス化に向け取り組みます。
当店ではクレジットカードおよび電子マネーのみの 取り扱いとなります。
現金のお取り扱いはいたしかねます。
ttps://www.royal-holdings.co.jp/gtp/

 



【コメント】
クレジットカードや電子マネーの普及に加えて、仮想通貨が話題になっている昨今ですが、
遂に現金支払い不可のレストランが東京にオープンとのことです。
支払いには現金が使えず、クレジットカードか電子マネーでのみ支払いできるとのことですが、
現金が使えないお店というのはこの世にないと私は思っていましたので、
支払手段という意味では、天と地がひっくり返るようなレストランだな、と思っているところです。
2017年現在、事実上全てのコンビニエンスストアでクレジットカードが使えますし、
全国展開をしている大手スーパーやホームセンターや書店等でもクレジットカードが使えますので、
クレジットカードの実生活における使い勝手(利便性や使用可能性)は極めて高いものになっているわけですが、
楽天Edy、Suica、PASMOなどの電子マネー使い勝手は、実際にはあまり高くはないと思います。
結局のところは、その理由というのは、電子マネー毎に使える店舗に差があるから、であるわけです。
「この電子マネーを持っていればどのお店でも使える。」という電子マネーは現実にはないわけです。
別の言い方をすれば、現在存在しているどの電子マネーも支払手段としては汎用性が高くはない、という状態であるわけです。
それに比べると、クレジットカードは、現在では現金とほとんど同じ意味を持っていると言っていいくらい、
支払手段としての汎用性が極めて高いわけです。
ホテルや高級レストランなどではクレジットカードが使えるところがほとんどではないかと思いますが、
ファーストフード店や普段利用するような高価格ではないお食事処では、
逆にクレジットカードは使えないところがほとんどではないかと思います。
そういう意味では、支払手段としての汎用性・利便性は、高い順に、「現金>クレジットカード>>電子マネー」となるわけです。
そんな中、既存の概念や常識とは正反対に、現金を支払手段として使えないレストランが誕生するわけです。
このレストランは、支払手段から現金をなくすことで売上管理業務の作業数を少なくできるのかどうかを検証するための
実験店舗という位置付けであるとのことですが、この実験店舗でどのような効果があるのかを確認したいという狙いがある
というのはもちろん分かるのですが、他の何らかの要因でお客さんが来店しなくなったりするのならともかく、
支払手段が原因で客離れを引き起こしてしまうというのは、
もはやマーケティングや研究開発(R&D)以前の問題とも言えるなと思いました。
現金支払いだと1,000円、クレジットカード支払いだと950円、電子マネー支払いだと900円、
といった具合に、同一メニューの食事でも支払手段毎に価格差を付けるといった実験をすれば、
現金に対するクレジットカードや電子マネーの使い勝手のようなものが確認できるのではないかと思いました。
現金が使えないとなりますと、始めから店舗にお客さんが来ないのではないか(つまり、実験にならないのではないか)、
という気がしてしまうほど、現金が使えないというのは集客の上で問題が大き過ぎると思いました。
それから、クレジットカードであれ電子マネーであれ、それが使えるということの背景には結局貨幣がある、言えると思います。
貨幣の裏付けがあるからこそ、クレジットカードや電子マネーが使えるわけです。
別の言い方をすれば、クレジットカードや電子マネーは別の形の(現金と間接的にリンクしている)貨幣なのです。


Superficially, hard cash itself is not used in this restaurant, but, after all,
each and every payment means provided for customers there has the substantiation of money of some sort.

表面的には、現金それ自体はこのレストランでは使用されていませんが、
結局のところは、そこでお客様に提供されている各支払手段の全てには、何らかの形の貨幣の裏付けがあるのです。

 


現金と言えば、次のような記事がありました↓。


2017年10月21日(土)日本経済新聞
1万円札 発行残高最高 9月93.4兆円 自宅保管で課税回避/低金利 「現金信仰」に拍車
(記事)



この記事には、上記のような現金が使えないレストランが開店するのもうなずけるかのように、次のように書かれています。

>電子マネーの普及などで、すでに支払い手段としての現金の需要は低下傾向だ。

電子マネーの普及に関しては現実にはインパクトしては小さいのではないかと思いますが、
少なくとも高額の買い物や支払いについては、銀行振込やクレジットカードでの支払いが非常に多いのは事実だと思います。
ですので、銀行振込やクレジットカードでの支払いが当たり前になればなるほど、高額紙幣が使われなくなるのは確かでしょう。
1万円の買い物をする際は1万円札が1枚使われますが、10万円の買い物をする際は1万円札が1枚も使われないわけですから。
つまり、現在では、財布の中に入れておかなければならない1万円札の枚数は常に少ない、という言い方ができると思います。
それから、記事には、貨幣の存在意義について、次のように書かれています。

>決済向けの需要が薄れ、1万円札が「貯蔵手段」として存在感を増している奇妙な現実は様々なゆがみを映し出している。

実生活の上では、貨幣の存在意義というのは、「決済」の一言に尽きると思います。
貨幣は「富の貯蔵手段」としても使えますが、結局はそれもその貯蔵した富(貨幣)を「決済手段」として使えるからでしょう。
貨幣で決済できないなら、貨幣を貯蔵する意味がないわけです。
また、貨幣は資産の価値の尺度(その資産にはいくらの価値・価額があるのかを測る物差し)としても使われるわけですが、
「その資産にはこれだけの価値がある。」と客観的に言えるためには、資産について「決済」が行われる必要があるわけです。
自分1人だけで「この資産にはこれだけの価値がある。」といくら主張しても、少なくともそこに客観性はないわけです。
取引の相手方がいて、資産に関して「決済」が行われて初めて、資産の価値・価額が決まると言っていいわけです。
実生活上の貨幣の本質は「決済」である、と言っていいと思います。
他の言い方をすると、貨幣は等価交換のための手段である、と言っていいと思います。
貨幣は、自分が欲しいものを買うのに使えるからこそ意味があるわけです(つまり、貨幣そのものには意味はないわけです)。
最後に、記事には相続についても書かれていますが、確かに、被相続人が銀行口座を全て解約して現金で持つようにした場合、
被相続人の死亡に伴い、相続人が被相続人から現金をいくら相続したのかは税務署には分からないと言えば確かに分かりません。
結局のところ、これは徴税全般に関して言えることですが、徴税の方法は理論的には賦課課税しかないわけなのですが、
人間(税務署の職員)には賦課課税を行っていくことは現実には不可能なことだ、というどこか釈然としない結論になるのです。


Ultimately speaking, cash exists only for the purpose of a settlement or only as a means of an exchange.

究極的なことを言えば、現金は、決済を行うためだけに、すなわち、交換の手段としてのみ、存在するのです。