2017年7月22日(金)
2017年7月19日(水)日本経済新聞
きょうのことば
遺産分割 配偶者が半分、残りを子に
(記事)
【コメント】
現行の家の制度と相続の制度とは本質的に相容れない部分があるように思います。
記事では、老夫婦の一方がなくなった後の配偶者の生活の保障が論点になっているのだと思いますが、
親と子が一緒に住んでいない時点で子は親の扶養のしようがない、ということになると思います。
現行の家の制度では、結婚に伴い子は家から出て行くことが制度上の前提なのですから、
最後は家には老夫婦だけという状態になることが制度上の前提であるとも言えるわけです。
このような状態の時、老夫婦の一方が亡くなったとしましょう。
その時、残された配偶者は一体どうやって生きていくことが制度上の前提だと言えるでしょうか。
一緒に住んでいない以上子が扶養することが制度上の前提ではありませんし、
また、配偶者の一方が死亡時に十分な財産を遺すことが制度上の前提というわけでもないわけです。
結局のところ、理詰めで考えていきますと、一方が死亡後も配偶者には生きていけるだけの収入があることが制度上の前提である、
と言わねばならないわけです。
そうでなければ、理論的には家の制度が成り立たないわけです。
配偶者にはどのような収入があるのかは民法は明らかにしていませんが、
とにかく配偶者には生きていけるだけの収入があることが暗に制度上の前提となっているわけです。
このことは実は戦前の家の制度(相続の仕組み)においても同じことであり、
戸主にはどのような収入があるのかは民法は明らかにしていませんが、
とにかく戸主には家族全員を扶養していけるだけの収入があることが暗に制度上の前提となっているわけです。
そうなければ、戸主が家族を扶養するという前提が崩れるわけです。
結局のところ、配偶者は1人でも生きていける(だけの収入がある)ことが現行の家の制度と相続の制度の前提なのです。
子が結婚して家から出て行くことが制度上の前提ということは、
子の収入は実は親には全く関係がないということが制度上の前提だということです。
では配偶者は一体いつから生きていけるだけの収入があることが制度上の前提と言えるでしょうか。
一方の死後からでしょうか、それとも、一方が生きている時からでしょうか。
その点についても民法は明らかにしていません。
しかし、いずれにせよ、一方が死亡した後も配偶者には1人でも生きていけるだけの収入があることが制度上の前提なのです。
しかし考えてみますと、配偶者には1人でも生きていけるだけの収入があるというのはおかしな話だと思います。
それはイコール、生きていくのに配偶者はいらない、ということと同じであるわけです。
率直に言えば、それで家の制度が成り立つとは私にはとても思えません。
戦前の家の制度では、妻にも子にも子の妻にも、収入は一切ありませんでした。
収入があるのは、戸主だけだったのです。
理由はともあれ(民法は明らかにしていませんが)、
戸主には家族を扶養するだけの収入があった(それが制度上の前提だった)のです。
今は妻に1人でも生きていけるだけの収入があることが制度上の前提になっています。
そうでなければ、子が結婚を機に家から出て行く制度になっていることの説明が付かないからです。
戦前の戸主の妻は夫の死後は子に扶養してもらうことが制度上の前提でしたが、
現行の制度では、妻は夫の死後は自分の収入で生きていくことが制度上の前提となっているのです。
記事では、老夫婦の一方が死亡した際の老夫婦が暮らしてきた住宅の相続が論点になっていますが、一番論理的なのは、
死亡者に配偶者がいる場合はその配偶者が全財産を相続する(子から見ると、子は親が両方とも死亡して初めて財産の相続ができる)、
という相続方法ではないかと思います。