2017年6月29日(木)
【コメント】
消費税をどのように地方自治体に配分するか、に関する記事です。
現在の配分方法は、記事によりますと、次のように書かれています。
>消費税は国が徴収し、税率8%のうち1.7%分を自治体の財源に回す。
>「消費地に帰属する」という原則のもと、商業統計や人口などのデータをもとに都道府県ごとの配分額を割り出す。
ところが、ここで問題になっているのが「購入地と消費地のズレ」です。
消費税は「消費地」に配分するという原則に従い配分を行っていくわけなのですが、
@ネット通販(統計上、購入地は通販会社の本社所在地になるが消費地は全国各地)
A訪日外国人による土産物の購入(統計上、購入地は訪問地(日本国内)となるが消費地は海外)
B県境を越えた買い物(統計上、購入地は居住地の隣接県だが消費地は居住地)
という3つのズレが統計上生じており、公正ではない配分額になっていると問題が指摘されています。
この問題の解決策は何かあるだろうか、と考えてみたのですが、現代の消費者の経済活動を鑑みますと、
どちらかと言うと、「購入地と消費地はズレている」ことが消費活動の前提ではないかと思います。
別の見方をすると、一般に購入時には消費地のことは度外視されている、という言い方ができると思います。
ネット通販であれ対面での販売であれ、「購入した商品をどこで消費するのか?」は問わないわけです。
その問いはそもそも販売者(事業者)が考慮・把握するべき範囲・範疇を超えたものではないかと思います。
人が地元のお店で買ったものでさえ、遠方に住んでいる家族や友人に送るかもしれないわけです。
商品を購入した人(消費者)がその商品を購入後どのように扱うのは、販売者(事業者)には関係がないことであるわけです。
民法理から言えば、商品を購入した人(消費者)には、購入後その商品を直接的・排他的に支配する権利があるわけです。
商品購入後は商品の所有権は購入者にある以上、法理的には販売者(事業者)は消費地について口は出せないわけです。
そういう意味では、統計上ズレが生じていると記事に指摘はされていますが、
ネット通販の普及等以前に、そもそも消費地を把握すること自体が困難なことである、と言わねばならないと思います。
記事では、具体的にどの程度の金額ズレが生じているのかについては書かれていません。
ネット通販、訪日外国人による購入、隣接県での買い物、となりますと、「商品は購入地では消費しない」と考える方が自然だ、
ということから、統計上購入地と消費地との間にズレが生じているはずだ、という論理になっていると思います。
その論理自体は間違っていないと思うのですが、では消費地についての統計を取れるかと言えば、現実には不可能であるわけです。
公正な配分のため、「購入地と消費地のズレ」を是正していきたいという考えは分かるのですが、
是正のためには「消費地についての統計」が必要であるわけですが、そのような統計は現実には集計の行いようがないと思います。
それから、訪日外国人による土産物の購入に関してですが、記事には、次のように書かれています。
>土産物などの免税品は消費税がかからない。
>だが商業統計上は免税品の売り上げが加味され、販売額が多い都市部に消費税が手厚く回る。
しかし、金額の統計という観点から言えば、この記述は間違っていると思います。
販売者(事業者)が消費税がかからない免税品を販売したのなら、
それはそれで経営上免税品を販売したこと(販売実績)は販売者(事業者)にとって明確であるわけです。
統計を集計する政府としても、免税品の販売額というのは販売者(事業者)に聞けば明らかなことかと思います。
仮に明らかでないならば、その販売者(事業者)は一体どうやって法人税と消費税を納付するのでしょうか。
免税品の販売額も統計上は計上されてしまう、という考え方は完全に間違っていると思います。
それは純粋に統計の取り方の問題(そもそも加算してはならない金額を加算してしまっているだけ)なのです。
今問題となっているのは、「消費税を課して販売した商品がどこで消費されるのか分からない。」という点であるわけです。
免税品は海外で消費されるに決まっています(そうでなければ免税の根拠がなくなる)。
免税品の販売額は始めから統計に加えないということは簡単にできることかと思います。
問題は、事業者がある県で消費税を課して販売した商品が、
遠隔の県で消費されるのか、海外で消費されるのか、隣接の県で消費されるのか、全く統計の取りようがないということなのです。
この問題点に関する究極の解決策を言うならば、「地方税をなくすこと」だと思います。
全ての税目は、国税に移行・一本化することだと思います。
例えば、記事には三重県四日市市の状況が書かれていますが、
一言で三重県四日市市と言っても、地理的にそれなりに広く人口の多い地域と少ない地域に分かれているかと思います。
そんな地政学的状況において、三重県四日市市は自らの予算を市内の各地域地域に適切に配分しているわけです。
市内のこのようなことにもっとお金をかけてほしいという要望その他は市民からあるとしても、
三重県の四日市市の市内で税収の奪い合いをする、という考え方はないわけです。
「三重県四日市市」であくまである1つの予算額であるわけです。
結局のところ、国についても同じことが言えるのだと思います。
国である1つの予算額なのです。
そこに国内で税収を奪い合うという考え方はするべきではないわけです。
各都道府県、そしてその中の各区市町村の状況を鑑み、国が何にお金をかけていくべきか決めればよい、
というだけだと私は思うわけです。
これは予算の区割りの問題と言えばいいでしょうか。
区割りも何も、日本に予算は1つしかない、と考えるべきなのです。
現在、三重県四日市市が市の予算を市内のどのようなことにお金をかけるかを決めているように、
国が国の予算を国内のどのようなことにお金をかけるかを決めればそれでよいわけです。
この場合、何にお金をかけるかという意味では概念的には配分ですが、国は税収を地方自治体に配分するわけではないわけです。
税収と予算は、日本には国の税収と国の予算しかない、と考えるわけです。
地方自治体間における税収の偏在を是正するや地方自治体間で税収を奪い合うと考えるのでは全くなく、考え方を根本的に転換し、
税収は全て国が何に使うかを決める(地方自治体に税収や予算などはない)、と税収や予算について整理するべきだと思います。
端的に言えば、地方自治体に予算があるから税収の奪い合いが始まるのです。