2017年5月18日(木)
2017年5月18日(木)日本経済新聞
国内法で手続き可能に 国際仲裁施設 日本企業に利点
(記事)
【コメント】
紹介している記事は、政府が「国際仲裁」を行う施設を国内に設置する計画である、という内容になります。
欧米諸国とは異なり、日本にはまだ国際仲裁を担う専門機関がない、ということが背景にあるようです。
国際ビジネスでは、当事者間で紛争が生じた場合、紛争解決の準拠法を日本法にするのか相手方の国の法律にするのか、
というところから話を始めなければならないようです。
当事者間で準拠する法律が異なるとなりますと、もはや紛争解決以前の話になるのだと思います。
そもそも国によって法律が異なる以上、「国際裁判」という裁判手続きは観念できないものなのだろうと思います。
そこで、国際的な紛争解決方法としては、裁判ではなく、仲裁という方法によらざるを得ないのだと思います。
それで、今日改めて裁判外の紛争解決方法として調停や仲裁について考えてみました。
調停と仲裁に関しては、日本には民事調停法という法律と仲裁法という法律があるようです。
調停は簡易裁判所に申し立てることで行っていくことができるのですが、
当事者の互譲を促し条理にかない実情に即した解決を図る役割を担うのは、
裁判官ではなく、第三者の調停委員と呼ばれる人物です。
また、仲裁は完全に裁判外の手続きである(裁判所に申し立てるのではない)ようです。
仲裁人という第三者が公平中立な立場から当事者間の紛争について判断を行う、という手続きのようです。
「この人が判断するのなら私はその判断に従う。」と言って当事者双方が納得する仲裁人を選任することが重要であるようです。
法律用語ではなく一般用語としても「仲裁」と言いますが、
当事者双方が納得する人物に紛争の間に入ってもらい双方が納得する判断をしてもらうわけです。
国際紛争の場合は、そもそも準拠法が問題になります(相手方の国に日本法が適用されないという本質的問題がある)から、
国際的な紛争を解決する場合は仲裁という方法しかない、ということになるのだと思います。
それで、論点を明確化するために、日本国内における紛争の解決方法について考えてみたいのですが、
そもそもなぜ裁判を行ったり調停を行ったり仲裁を行ったりするのだろうか、と思いました。
もちろんそれは当事者間で紛争が生じたからであるわけですが、
ここで言う紛争とは簡単に言えば「当事者間で言い分が食い違うこと」を指すのだろうと思います。
当事者間で言い分に食い違いが生じた、だから、その食い違いを正す必要があるわけです。
そのことを紛争解決と言っているのだと思います。
取引の場面では、将来双方の言い分に食い違いが生じないように、お互いの合意内容を書面に記載する、ということをするわけです。
しかし、考えてみますと、逆から言えば、お互いの合意内容を書面に記載していれば言い分に食い違いは生じないはずだ、
と言えるわけです。
ではなぜお互いの合意内容を書面に記載していたのに後になって言い分に食い違いが生じるのかと言えば、
煎じ詰めれば、お互いの合意内容を記載した書面自体について当事者の言い分に食い違いが生じるからなのではないかと思いました。
つまり、理論的には、一方は「この書面が本物だ」と主張し他方は「いやこっちの書面が本物だ」と主張するからこそ、
お互いの合意内容を書面に記載していても紛争が生じる、ということになるのではないかと思ったわけです。
簡単に言えば、どちらの書面が正しいのかを明確にしなければ紛争が解決しない、ということではないかと思ったわけです。
それで、この点について教科書を読んでいますと、「これが答えに間違いない。」と私が思い至った言葉が載っていました。
それは「債務名義」という言葉です。
教科書には「強制執行の要件」として「債務名義」が載っています。
「債務名義」について教科書の記述を引用します。
>強制執行を申し立てるには、強制執行を根拠づけ正当化する文書がなければなりません。
>国家権力を使って権利の実現をする以上、確かな強い証拠が必要だからです。
>その文書のことを、債務名義といいます。
>債務名義として認められるのには、確定判決、和解調書、調停調書などがあります。
「債務名義」の具体例としてここでは3種類の文書が挙げられていますが、実はもう1つ重要な債務名義がありそれが公正証書です。
債務名義としての公正証書について教科書の記述を引用します。
>一般の契約書面はそれだけでは債務名義とならない。
>単なる私文書だからである。
>契約書を債務名義とするには、強制執行認諾文書付公正証書にする必要がある。
>公正証書とは、公証人がつくる強い証拠力が認められる公文書であり、強制執行認諾文書とは、
>債務者がただちに強制執行を受けても異議がない旨を認諾する旨の文書である。
極めて端的に言えば、私文書を根拠に強制執行は行えない、ということです。
裁判であれ調停であれ仲裁であれ、第三者にお互いの主張について判断してもらうとは、
実は「どちらの言い分が正しい。」と判断してもらうことだけを指すわけです。
紛争解決とは、「どちらの言い分が正しいのか?」という点について結論を出すことだけを指すわけです。
民事上の紛争とはそういうものなのだ(主張の食い違いのみを紛争と呼ぶ)と思います。
ただ、どちらの言い分が正しいかはっきりした(結論が出た)というだけでは現実には意味がありませんので、
民事上の紛争解決の一助とするために、補完的な一手段として、別途強制執行手続きが定められているのだと思います。
いくら私文書とは言え契約書がある以上、現実には、債務者は確信犯的に債務を履行しない場合がほとんどなのだろうと思います。
確信犯的に債務を履行しないことへの対応策は、現実には、強制執行手続きしかないわけです。
それで、最初の「そもそもなぜ裁判を行ったり調停を行ったり仲裁を行ったりするのだろうか?」という問いに関してなのですが、
結論を端的に言えば、実は「『債務名義』を勝ち取るためだ。」がその答えなのだろうと思います。
「債務名義」があれば強制執行を行っていけるからです(紛争解決の最終目的は現実には強制執行の実行になると思います)。
「仲裁」を行う理由も「債務名義」を手にすることだと思います。
仲裁には、法律上”仲裁調書”と呼ばれる文書は直接的には定義されていないようですが、
「仲裁判断」と呼ばれる「仲裁人によって判断された事項」が仲裁法上定義されています。
実務上、仲裁人は「仲裁判断」をまず間違いなく文書にしますので、
書面によってなされた「仲裁判断」が法律上は「債務名義」として認められます。
「債務名義」の具体例として5種類目の文書になりますが、法律上は「仲裁判断」も「債務名義」になります。
「仲裁判断」をもって強制執行が可能です。
「仲裁判断」には確定判決と同一の効力が与えられるとはそういう意味であり、また、
仲裁判断に紛争当事者は拘束されるとはそういう意味です。
教科書には、仲裁手続きの短所として、
>仲裁判断に対して当事者に不満が残る場合には、紛争がこじれて、収拾がつかなくなるおそれがあります。
と書かれていますが、これは間違いであると思います。
なぜなら、「仲裁判断」には確定判決と同一の効力が与えられるからです。
たとえ仲裁判断に対して一方の当事者に不満が残っていようとも、他方の当事者は「仲裁判断」をもって強制執行が可能です。
「判断を行う人物を当事者は選べない」という点において、裁判と調停は結局類似していると思います。
調停調書も確定判決と同一の効力が与えられるからです。
しかし、「判断を行う人物を当事者が選べる」という点において、裁判・調停と仲裁は根本的に異なると思います。
他の言い方をすると、「お互いが納得して選んだ人物が行った判断内容に確定判決と同一の効力を与えるための手続き」が
仲裁なのだと思います。
Judge globally, execute locally. (判断は国際的に、執行は各国で。)
という言葉が頭に浮かびました。
International arbitration.
国際仲裁