刑事手続きの裏技〜再逮捕〜 |
刑事事件弁護士相談広場
ttps://www.keijihiroba.com/procedure/rearrest.html
この解説を参考にすれば、「死体遺棄の罪と殺人の罪は別々に逮捕状を取れるのか?」と私は思ったわけです。
他の言い方をすると、死体遺棄の罪に殺人の罪は含まれるのではないか、と私は思ったわけです。
人が殺人を犯し、その死体をどこか他の場所に捨てたりしたら死体遺棄の罪になるのではないか、と思っていたわけです。
死体遺棄(ウィキペディア)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%81%BA%E6%A3%84
死体遺棄罪
したいいきざい(コトバンク)
ttps://kotobank.jp/word/%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%81%BA%E6%A3%84%E7%BD%AA-73703
ウィキペディアの記事は要点が良くまとまっているなと思ったのですが、
死体遺棄の罪と殺人の罪は全く別の罪であるようです。
殺人の罪を犯していなくても死体遺棄の罪になることは全くあることであるようです。
人が自然死した場合であっても、その死体に対し適切な対応を取らなければ、死体遺棄の罪に問われるようです。
私は死体遺棄の罪を勘違いしていたようです。
刑法では、「遺棄」という言葉を私が考えていたよりも広く捉えているのだろうと思いました。
参考までに、死体遺棄の罪に関する刑法の条文を引用します。
>(死体損壊等)
>第190条
>死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。
「死体」に関して言えば、第190条を簡単にまとめるならば次のようになるのだと思います。
「死体を遺棄した者は、3年以下の懲役に処する。」
結論を言えば、「死体遺棄容疑で逮捕した容疑者を殺人の疑いで再逮捕することはできる。」となります。
>(墳墓発掘)
>第189条
>墳墓を発掘した者は、2年以下の懲役に処する。
>(墳墓発掘死体損壊等)
>第191条
>第189条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3月以上5年以下の懲役に処する。
墳墓発掘死体損壊罪の被疑者を墳墓発掘罪で再逮捕することはできない、ということになるのではないかと思いました。
なぜならば、墳墓発掘死体損壊罪を犯している時点でその被疑者は当然に墳墓発掘罪を犯しているからです。
簡単に言えば、そのような再逮捕が認められるならば、同じ罪に関して同一人物を2回逮捕している、
ということになるのではないかと思いました。
ウィキペディアの「死体遺棄」の項目には、
>墳墓発掘死体損壊罪・墳墓発掘死体遺棄罪
>刑法第191条は「墳墓発掘罪を犯し、死体、遺骨、遺髪、または棺内に蔵置した物を損壊、遺棄または領得した者は、
>三月以上五年以下の懲役に処する。」と定める。墳墓発掘罪と死体損壊罪・死体遺棄罪との結合犯である。
と書かれています。
私の主張を一般化して言えば、「結合犯の被疑者を結合しているいずれかの罪で再逮捕することはできない。」となります。
再逮捕を行うためには、1度目の逮捕とは別の罪で逮捕しなければならないわけです(同一犯罪での再逮捕は禁止)。
逮捕・勾留には、「一回性の原則」があるわけです。
「訴訟行為一回性の原則」という言葉もあるようです。
逮捕・勾留を何度も行ってよいのであれば、人身の自由を拘束し過ぎることになるでしょう。
また、同じ罪について何度も訴訟を行ってよいのであれば、
それは「裁判所の判断は間違っている」と言っていることに等しいわけですから、
訴訟そのものを自分で否定していることになってしまうでしょう(一体何のための刑事訴訟か、と)。
それはまさに自己否定中の自己否定でしょう。
私の主張に関して一言言うならば、「結合した罪」をあたかも1つの独立した罪であるかのように定めていることが
そもそもの問題点であるように思います。
刑法第191条はそもそも不要であり、仮に人が墳墓発掘死体損壊等に相当する罪を犯した場合は、
その人に第189条(墳墓発掘の罪)と第190条(死体損壊等の罪)の両方を適用する、
という取り扱いを行うべきだと思いました。
「憲法記念日」ということで、以上の議論と関連する条文を憲法から引用します。
憲法第39条
何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。
又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。
憲法第39条は、「刑罰不遡及と二重処罰の禁止」と呼ばれるようです。
憲法第39条に関する教科書の解説を引用します。
>39条前段前半の部分は、事後法の禁止ないし遡及処罰の禁止を定めています。
>いずれも罪刑法定主義の重要な内容です。
>また、39条前段後半の部分は一事不再理の原則、39条後段の部分はいわゆる二重処罰の禁止を規定したものです。
私の理解では、39条後段の部分(”同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。”)は、
二重処罰の禁止を規定したものというより、「一事不再理の原則」を別の言葉で表現したものではないかと思います。
なぜならば、二重処罰を行うためには、同一の犯罪について重ねて審理を行う必要が出てくるからです。
すなわち、「一事不再理の原則」を貫徹しさえすれば、二重処罰は自然と回避されるはずだからです。
刑法と言えば、言うまでもありませんが、罪と罰を定義している法律ですが、
「なぜ人は犯罪を犯すのか?」という部分には全く触れていません。
もちろん、それはそもそも法律の範疇外のことであり、「なぜ人は犯罪を犯すのか?」という議論を行うのは、
心理学であったり精神医学であったり人生論であったりするのだと思います。
法理的には、犯罪は「行為」のみで定義するものだと思いますが、
その行為にどれだけの刑罰を与えるかについては、様々な情状を酌量して決めることにしているのだと思います。
私個人としては、「なぜ人は犯罪を犯すのか?」の部分に興味・関心があるわけですが、
社会的な環境よりも本人の素質の方が要因としては大きいのかもしれない、と思っています。
その理由は、自分で物を考えることができる人間は、犯罪を犯すことになりかねない状況自体を未然に避けようとするからです。
逆から言えば、自分で物を考えることができない人間は、
犯罪を犯すことになりかねない状況に自分から進んでいっているように私には思えるからです。
今まで聞いた話を思い返してみると、
「なぜそうするんだろう?自分だったら絶対にそうはしないのに。」
と思うことが非常に多かったように思います。
別の言い方をすると、人が犯罪を犯す原因は、「環境」ではなく「知能」にあるように思う時があります。
ただ、人の「知能」は生まれた時から変わらないのかもしれません。
つまり、「知能」が同じなら後は「環境」で決まる、ということなのだろうと思います。
もしそうだとすると、神ならぬ私が人にできるのは次のことだけだと思いました。
「環境が人の人格を決めるのなら・・・」
「環境を変えるまでだ」
If your circumstances determine your character, I have no choice but to
change your circumstances.
環境が人の人格を決めるのなら、環境を変えるまでです。
The Penal Code has a fatal defect in it.
All the Penal Code can do is warn
people against penalties beforehand.
The Penal Code can't prevent a crime
directly.
If all people were in jail from their birth, no one could commit a
crime.
刑法にはある致命的な欠陥があるのです。
刑法にできることは、人々に事前に刑罰について警告をすることだけなのです。
刑法が犯罪を直接に防止できるわけではないのです。
全員が生まれた時から拘置されていれば、犯罪を犯すことのできる人は一人もいないのです。