2017年1月13日(金)



2017年1月13日(金)日本経済新聞
円高で配当金目減り 11月所得収支 9ヶ月連続減少
(記事)


 



【コメント】
記事の要点は冒頭に書かれていますので引用します。

>海外子会社からの受け取る企業の配当金が目減りしている。
>円高で外貨建て収益の円換算額が減っているためだ。

話の簡単のためには、日本企業が米子会社から配当金1ドルを受け取る時のことを考えてみましょう。
円安時の為替レートは1ドル=100円、円高時の為替レートは1ドル=90円だとしましょう。
端的に言えば、その日本企業は、米子会社からの配当金1ドルについて、
円安時には100円を配当金として受け取るのだが円高時には90円しか配当金として受け取れない、ということになるわけです。
この世に為替レート(特に変動為替レート)がある以上、配当金の円換算額が減少すること自体は当然に起こり得ることです。
ただ、私はこの記事を読んで、「米子会社が配当金を支払う結果、その『株式の価値』はどのように変動するだろうか?」、
と思いました。
話の簡単のために、米子会社は非上場企業であり、非上場企業の「株式の価値」はその企業の「資本の簿価」が表す、としましょう。
すると、米子会社が配当金を支払う結果、米子会社の「株式の価値」が減少することになるわけです。
では、この時、米子会社の「株式の価値」はいくら減少するでしょうか。
実はこの問いに為替レートにまつわる興味深い論点が隠されているように思います。
答えを言いますと、米ドル通貨で見ると、答えは「常に『株式の価値』は1ドル減少する。」であるわけですが、
日本円通貨で見ると、答えは「一定ではなく『株式の価値』の減少額は為替レート次第で変動する。」となります。
円安時であれば「株式の価値」は100円減少すると言えますし、円高時であれば「株式の価値」は90円減少すると言えます。
なぜなら、日本企業はそれだけの金額の配当金を現に受け取るからです。

 


ただ、配当金支払いに伴う米子会社の資本の簿価の減少額はやはり「1ドル」であるわけです。
円安時と円高時とで、配当金支払いに伴う米子会社の資本の簿価の減少額が異なる、ということは起こり得ないわけです。
その理由は結局のところ、煎じ詰めれば「米子会社の資本の簿価は米ドル建てでしか見れない」からである、となるでしょう。
企業会計上は、米子会社の資本の簿価を日本円建てに換算するということができるわけですが、
それはあくまで「換算」(言うなれば「通貨単位の変更」)に過ぎない話であって、
「換算」はその資本の簿価が本質的に変わることとは異なるわけです。
「配当金支払いに伴う米子会社の資本の簿価の減少額は1ドルである。」、がやはり資本の簿価にまつわる本質なのです。
「配当金支払いに伴う米子会社の資本の簿価の減少額」を日本円に換算するなら、
100円だったり90円だったりする、というだけのことなのです。
そしてこのことは、結局、本質的には米子会社の「株式の価値」も米ドルでしか見ることができない、
ということを意味しているでしょう。
端的に言えば、「変動する為替レート」というスクリーンを通す以上、
日本円通貨からは米子会社の「株式の価値」を正確に見ることは決してできないのです。
「配当金支払いに伴う米子会社の資本の簿価の減少額は1ドルである。」、本質的にはこれ以外に答えはないのです。
「配当金支払いに伴う米子会社の資本の簿価の減少額」を日本円通貨から見た場合の減少額に、本質的答えはないのです。
「固定為替相場制」であれば、まだ通貨の換算にも一定の意味はあると言えるとは思いますが、
それでもやはり本質は変わりません。
つまり、1ドルが100円になることはない、ということです。

 


A company pays a dividend in its own home currency, whose currency unit is the same currency unit as its capital's.

会社は自国通貨で配当を支払うのです。自国通貨の通貨単位というのは、会社の資本金と同じ通貨単位のことです。

 


A screen of the floating exchange rate hides
the fundamental value of an overseas subsidiary from the Japanese yen currency.

変動為替レートが目隠しになって海外子会社の本質的価値は日本円通貨からは見えない。
(変動為替レートというスクリーンのせいで、日本円通貨からは海外子会社の本質的価値は見えないのです。)

 


I have once heard it said that,
ultimately speaking, a translation from one language into another language can't be made.
Neither can a currency, I suppose.
If you tap a desk-top calculator, digits can be translated, but the value can never be translated if you do so.

究極的には言語というものは翻訳できないものなのだ、と言われるのを聞いたことがあります。
通貨も、だと思います。
電卓を叩けば数字は換算することができますが、電卓を叩いても価値を換算することは決してできないのです。