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2016年12月3日(土)



今日は、「上場株式の市場外における取引(いわゆる相対取引)」について一言だけコメントします。
まず題材として、会社法の教科書から、「上場株式の市場外における取引(いわゆる相対取引)」に関する記述を引用します。


>既発行の上場株式を市場で取得する限り、その価格は市場によって形成される。
>そうした正当な方法による取得については何の問題もない。
>しかし、上場株式を市場以外で取得することは原則としてできず、例外的に取得できる場合にも一定の制限がある。

>証券取引所に上場されている有価証券は、原則として金融商品(有価証券)市場で取引されることを前提として規制が図られている。
>なぜなら、市場における競争を通じての取引こそが、公正な価格を形成するからである。
>しかし、実際上の必要から、上場有価証券といえども、市場外で取引することも契約自由の原則によって認められなければならない。
>市場外の上場有価証券取引は、当事者間の合意によって行われる相対取引が多い。
>このような市場を通さない相対取引は、市場取引のように競争原理が働かないため、公正な価格形成が行われないおそれがある。
>相対取引の量が少ないうちは、単に当事者間の公正さだけの問題であり、契約自由の原則の範囲内の問題と解することもできる。
>しかし、その量が多い場合は、市場取引に影響を及ぼし、市場取引の公正さに疑義を生ずる可能性がある。


以上、引用した教科書の記述を読んで私なりに気付いた点について一言だけコメントします。
現行の規則や法令とはもちろん異なるわけですが、私の頭の中にある漠然とした考え方としては、結論だけを一言で言えば、
理論上の結論は、「上場株式を相対取引で取引することは全く自由のはずだ。」となります。
相対取引の結果、上場企業に突然支配株主が誕生する(買い手が上場株式の過半数を取得する)ことになっても、
理論上は何ら問題はない、というふうに思います。
このように書きますと、確かに私の考えは極端な議論のように思われるかもしれません。
しかし、以前、金融商品取引法は「ディスクロジャーの法」である、という格言を紹介したかと思いますが、
当事者間で相対取引で上場株式を取引することは、上場企業の情報開示の問題とは全く無関係のことであるわけです。
相対取引の結果、上場企業に突然支配株主が誕生する(買い手が上場株式の過半数を取得する)ことは、
市場の投資家の投資判断には理論的には関係がないはずです。
なぜなら、理論上は、市場の投資家は、上場企業が開示する情報のみに基づいて、投資判断を行うからです。
相対取引の結果、上場企業に突然支配株主が誕生する(買い手が上場株式の過半数を取得する)としても、
理論上は投資家の投資判断や市場取引は何ら阻害されはしないのではないでしょうか。
別の言い方をすれば、支配株主がいることは、市場の投資家に取って有利でもなければ不利でもない(言わば中立)わけです。
支配株主がいようがいないが、投資家は市場で株式の取引を行えばよい、というだけのことではないでしょうか。
結局のところ、金融商品取引法は上場企業による「ディスクロジャー」(情報開示)によって、
投資家保護を図ろうとしているわけです。
支配株主の有無は、上場企業の情報開示とは関係ありませんし投資家の将来予想(投資判断)とも関係がないのではないでしょうか。

 


また、「上場株式は市場で取引されることを前提として規制が図られている」という教科書の記述を読んで気付いたのですが、
このことはイコール、「市場の投資家は皆互いに顔見知りではない」ということが法制度上の前提なのだろう、と思いました。
すなわち、上場株式が相対取引で取引されること自体が起こり得ない(どの2人も互いに知り合いではないから)、
ということが、法制度上の前提になっている、ということなのだろうと思いました。
教科書には、「相対取引の量」が少ない場合は問題が少ないが多い場合は問題が生じる、という旨の記載がありますが、
行われる「相対取引の量」は多い少ないではなく、ゼロであることが法制度上・理論上の前提なのではないかと思いました。
これは、上場株式の取引は全て市場取引でなければならないと定める、という意味ではなく、
市場の投資家はそもそも皆互いに顔見知りではない、ということが前提だ、という意味です。
「上場株式が不特定多数の間で取引される」とはそういう意味ではないだろうか、とふと思ったのです。
もちろん、現実には、投資家同士が知り合いということはあるでしょう。
また、知り合いではなくても、あなたが保有している株式を私に売って下さい、と話を持ちかけることも現実にはあるでしょう。
しかし、法制度上は、投資家同士は全く知り合いではなく互いに取引話を持ちかけることもしない、ということが、
法制度構築の背景としてあるということではないだろうか、とふと思いました。
そう考えると、必然的に「上場株式は市場で取引される」ということになるでしょう。
他の言い方をすると、そう考えると、必然的に「相対取引の行われようがない」(行いたくても行えない)ということになるでしょう。
非上場企業の場合は、ほとんどは現実には株主は互いに顔見知りであるわけです。
しかし、上場企業の場合は、正反対に、株主は互いに顔見知りではない(ことが法制度上の前提)わけです。
結局のところ、後は、では現実に株主に同士が知り合いであった場合はどうするか(相対取引を認めるか否か)、
ということが法制度構築上問題として残るというだけなのではないでしょうか。
つまり、「公正な価格形成が行われるか行われないか」で考えるのではなく、「必然的に市場取引が行われる」と考えるわけです。
理論上は、投資家は互いに顔見知りではないのだから、そもそも市場取引しか行われないのだ、と考えるわけです。
このように考えた上で、では現にある投資家同士が知り合いであったらどうするか、という点についてですが、
その場合は当事者間による相対取引を認める、というふうに考えればよいのではないでしょうか。
なぜなら、その当事者間による相対取引は、上場企業の情報開示とも関係ありません(情報開示に影響を与えない)し、
市場の投資家の将来予想・投資判断・株式の取引にも影響を与えない(投資家保護の観点に反さない)からです。
もちろん、もう一方の考え方として、
ある投資家同士が知り合いであっても市場取引を行わなければならない(顔見知りであったということは取引上度外視される)、
という考え方もあると思います(現行の規制はこの考え方に立っているかと思います)。
ただ、「顔見知りではない者同士による市場取引によって公正な価格は形成される」と考えますと、
顔見知りである者同士は逆に市場に参加してならない、という考え方にならないでしょうか。
むしろ、顔見知りである者同士は相対取引を行わなければならない、という結論になるわけです。
顔見知りである者同士が市場に参加し市場取引を行いますと、公正な価格形成が阻害されてしまうわけです。
端的に言えば、法制度は投資家同士は皆お顔見知りではないことを理論上の前提としているものの、
現実にはある投資家同士がお顔見知りである場合があるので、その点が法制度構築上は問題となるわけです。
また、上記の議論を踏まえますと、投資家同士は皆お顔見知りではないことが理論上の前提となりますと、
わざわざ「株主は誰か」を開示するからかえって問題が大きくなる(相対取引が発生しやすくなる)と言えると思います。
「株主は誰か」など知らなくても、投資家は投上場企業からの情報開示に基づいて資判断をできるわけですから、
例えば「大株主の状況」は開示するべきではないでしょうし、投資家にとっても大量保有報告書の提出も理論上は全く不要でしょう。
そしてこのことは、支配株主の異動や誕生は、煎じ詰めれば投資家の投資判断や株式の取引に影響を与えない、と言えるでしょう。