2016年10月29日(土)



2016年10月29日(土)日本経済新聞 大機小機
検察は資本市場規制を担えるか
(記事)






【コメント】
今日の日本の証券市場に求められる法制度のあり方についての記事になります。
記事の冒頭には次のように書かれています。

>かつての護送船団の時代と異なり、今日は時々刻々と変化する市場の動きに敏感に対応する規制のあり方が求められている。
>英国でいう「レスポンシブ・レギュレーション(打てば響く規制)」だ。

この文中の「レスポンシブ」(responsive)に「打てば響く」という訳が付けられていますが、
この訳語は意味が分かりづらいといいますか、率直に言えば誤訳に近いと思います。
辞書を引きますと、「resposive」の意味は、「すぐに応答(反応)する、敏感な、敏感で、〜によく反応して」という意味です。
レギュレーション(規制)は何に対してすぐに応答(反応)する(敏感な)のかと言えば、
「証券市場で行われる不正」に対してであるわけです。
そうしますと、ここでの「レスポンシブ」(responsive)を意訳しようと思えば、
「状況斟酌型」と訳すのはどうであろうかと私は思います。
「打てば響く」という言葉はどうでしょうか、私は最初、「打てば響く」と聞いて”非常に広範囲に効果が高い”というニュアンス
なのだろうかと思ったのですが、改めて国語辞書を引いてみますと、
「打てば響く」という言葉は、「すぐ反応がある」という意味であるようです。
英語では、"very quick on the uptake"(理解の非常に早い、物分かりが非常に早い)"answer in a flash"(一瞬で応答する)、
といった訳語になるようです。
私が「打てば響く」という言葉は”非常に広範囲に効果が高い”というニュアンスなのではないかと考えたのは
どうやら間違いであったようです。
むしろ、辞書的な意味では、「responsive」の訳語は「打てば響く」で合っているわけです。
ただ、自信はなく間違っているかもしれませんが、私が思うに、英国の「responsive regulation」というのは、
英国の「プリンシプル・ベース(原則主義)」に基づく法律の運用に関して言うのではないかと思います。
つまり、「プリンシプル・ベース(原則主義)」に基づいて法律を運用する際には、
良い意味で各条文の文言のみにとらわれず、不正とは何かから物事を考え、疑義のある取引を取り締まっていく、
ということが大切であるわけです。
他の言い方をすれば、「何人も不正をしてはならない」という「包括規定」に相当する考え方は英国にもあると思いますが、
その「包括規定」を適用する際には、不正とは何かから物事を考え、不正に対処していく、という規制方法が求められるわけです。
敢えて言うならば、この文脈における「responsive」の訳語は「柔軟な」という言葉でもよいのではないかと思います。

 



この文脈における「responsive」は、不正行為から摘発までの間の時間の長短に関して言っているのではなく、
いかに不正行為を摘発するかに関して言っているのではないかと思います。
各条文の文言のみに基づき不正行為を摘発しようとすると、不正行為を働く者はそれこそ法の抜け穴を探し、
法の規制にひっかからないように取引を行うことになるわけです。
その場合、捜査当局は、条文にダメがないものですから、その”不正”行為を取り締まることはできないわけです。
たとえその不正行為を受けて法改正をしても、不正行為を働く者はまた別の法の抜け穴を探すことでしょう。
つまり、永遠にいたちごっこが続くわけです。
そこで、現実には、どうしても「何人も不正をしてはならない」という「包括規定」に相当する直接の条文や自主規制などが
証券市場(の制度)には求められるわけです。
そのような形でルールを運用する際に大切なのは、
「取引が行われた状況や背景を十分に踏まえ、『その行為は不正である』ということの合理的根拠を導き出そうとする姿勢」
なのだと思います。
「包括規定」というのは、どんなことであっても、罪にしようと思えば罪にできるわけです。
しかし、捜査当局が「包括規定」を持ち出して、不正ではないことまで不正とするのは、それはそれでもちろん間違っているわけです。
ですので、包括規定を適用する際には、「『ある取引が不正である』ということを明確にしようとする姿勢」が重要であるわけです。
何の根拠もないのにある取引を不正だというのはおかしいわけですから。
「捜査当局は、ある取引は不正であると主張したいのならば、取引が行われた状況や背景を十分に踏まえた上で、
誰もが納得する根拠を示すべきだ。」(言わば、捜査当局側に対する戒め)、
というニュアンスが、この文脈における「responsive」には含まれていないだろうか、と私は思います。
また逆に、取引規模も小さく、条文解釈上も判断が分かれるような、一見摘発の対象ではないかのように思える取引についても、
取引が行われた状況や背景を十分に踏まえた上で、捜査当局はその取引は不正であると摘発していかなければならない、
というニュアンスが、この文脈における「responsive」には含まれていないだろうか、と私は思います(投資家側に対する戒め)。
この文脈における「responsive」には、両方の意味において「事情や背景を斟酌し柔軟に不正行為に対処していく」、
というニュアンスがあるように思います。
他の言い方をすれば、条文の文言から不正行為に対応するのではなく、不正とは何かから不正行為に対応する、
という規制方法のことを「responsive」という言葉で表現しているのではないでしょうか。
一言で言えば、「状況を踏まえ柔軟に対応する」のが、この文脈で言う「responsive」ではないでしょうか。
"in response to"という熟語があり、「〜に応じて、〜に答えて」という意味です。
「事情や背景も含めて取引に応じて柔軟に対処をしていくこと」を「responsive」という言葉で表現しているのではないでしょうか。
この文脈における「responsive」の反意語は、単に「provision」(条文)だと思います。
「provision regulation」(条文規制)の場合、「何が不正行為か」は先に文章で準備しておくわけです。
その準備したものが「provision」(条文)です。
「provision」(条文)に基づいて摘発を行う場合、摘発に際し「何が不正行為か」を考える余地は一切ありません。
なぜなら、不正行為は「provision」(条文)に書かれていることが全てだからです。
「provision regulation」(条文規制)の場合、取引や事情や背景には応じません。
「provision regulation」(条文規制)の場合、「provision」(条文)のみに応じるのです。
「provision regulation」(条文規制)という言葉は私の造語ではありますが。

 



記事に戻りますと、記事には、

>資本市場の機能を発揮するためには、時々刻々と変わるルールメークと運用の同時進行的な推進が必要となる。

と書かれていますが、ここでもやはり、「時間」について述べられているように思います。
しかし、「responsive regulation」では、摘発を即座に行うことや法改正を即座に行うことを企図しているのではなく、
敢えて言うなら特段の法改正は待たずに、「包括規定」(の考え方)に基づき不正行為に柔軟に対処していくこと
を目的としているのだと思います。
「responsive regulation」では、ルールの透明性の担保のために子細を法律にあらかじめ書くことは想定していません。
極論すれば、「包括規定」1条あれば、他の条文はいらないのです。
乱暴に言えば、現在のルールを知ろうとすれば誰でも知れる体制は、「responsive regulation」では必要ないといえるわけです。
なぜなら、投資家は不正ではない取引を行いさえすればよいからです。
不正行為は、投資家にとっても捜査当局にとっても、本当の意味での「実質」で判断されなければならないわけです。
これは、投資家にとってだけではなく、捜査当局にとっての戒めでもあります。
「プリンシプルベース」(原則主義)と言いますが、
プリンシプルとは「正しく原理原則に基づき包括規定は運用されなければならない」ということを捜査当局に説いたものであろう、
と私は思います。
プリンシプル(原則)というだけでは、投資家の方は法律を守りようがないという部分が本来的にあるわけですから。
「provision regulation」(条文規制)の反対が「responsive regulation」(柔軟規制)という概念だと思います。
本来的には、「provision」(条文)のみにより、制度は運用されなければなりません。
「包括規定」という考え方は、法理的には根本的に間違った考え方なのす。
しかし、現実には、あらゆる場面をあらかじめ条文に書くことはできませんので、
不正行為を取り締まろうとすれば、包括的に摘発できる体制も必要になってくるのだと思います。
しかし、同時に、「包括規定」があると捜査当局は何でもできてしまいますので、
捜査当局が従うべき指針として、プリンシプル(原則)があるのだろうと思います。
捜査当局は、あくまでプリンシプル(原則)に忠実に従った上で、時間という意味で機動的に対応をするのではなく、
事情を斟酌しつつ柔軟に対応をすることが求められるのです。
「responsive regulation」の「responsive」は、「臨機応変に」(according to circumstances)と訳してもよいと思います。
以上、「responsive regulation」について、私が思うところを書きました。
「responsive regulation」は、「プリンシプルベース」(原則主義)における規制のあり方、
もしくは、包括規定を適用する際の規制のあり方であろうと思いますので、
以上のような推察を行ったところです。
ただ、英国の法制度や関連する文献を調べて書いたわけではないので、間違っているかもしれません。
その場合は御容赦いただきたいと思います。

 


ところで、この記事を読んで、私は小学校6年生の頃の出来事をふと思い出しました。
その時の状況を簡単に言えば、私を除くクラスの全員が「小学生でセックスをするのは悪いことではない。」と主張している時に、
クラスで私1人だけが、「結婚するまでセックスはしてはいけない。」と主張していた、という場面です。
セックスについて、クラスで討論会が行われたのです。
長い時間様々な議論を交わしたわけでなのですが、討論の中でクラスの1人が私にこう言いました。
「小学生でセックスをしても別に法律に違反しているわけではないし、悪いことではないと思うけど。」
と。
私はこう言いました。
「法律よりも大切なことってあると思う。」
と。
その人は私にこう尋ねました。
「法律よりも大切なものって何?」
と。
私はこう答えました。
「道徳とか常識とか。」
私のこの発言に、クラスの誰も何も答えられなかったように思います。
「法律が一番大切だ。」という考えは、往々にして「法律に違反していなければ何をやってもいい。」という考えにつながるのです。
世の中は法律ではできていないのです。
法律以外の、法律よりも大切な何かでできているのです。
法律が一番大切だと考える人間は公務員になれません。
法律よりも大切なことがあると考える人間が公務員になるのです。
「人に親切にしなさい。」とは法律には書かれていないのですから。
そう言えば、同じく小学校6年生の頃、私は「法律だけで社会の秩序を保つのは無理だと思う。」と言ったことがあります。
その発言の主旨は、結局法律で全てのことを書き切れるわけがないし、現実には何らかの事情があって法律に違反してしまった、
ということが起こり得るので、何の斟酌もせずに条文一本で人を裁くのはその人の実態に即していないこともある、
実際には法律の範囲内で一定度の調整を行う形で、社会の秩序を保つようにしていくしかないと思う、というものです。
実は今日書きました「responsive regulation」のコメントに非常に似通ったことをその時言ったように思います。
法制度の正しい運用と社会秩序の安定のためには、法律だけではなく、法律を守る国民の側にも法律を課する国の側にも、
現実にはどちらにもある「強制力を持ったプリンシプル(原則)」が必要なのだろうと思います。

 


A common sense precedes law.

法律よりも常識が先なのです。