2016年10月23日(日)



2016年10月22日(土)日本経済新聞
不動産 離れる海外勢 売越額最大の5950億円 1〜9月 価格上昇響く
(記事)


 


【コメント】
記事の最初には、

>海外投資家による日本の不動産の売越額が1〜9月に5950億円と過去最大を記録した。

と書かれています。
記事の内容を踏まえ、スキャン画像のファイル名は「international real estate transaction」(国際不動産取引)としました。
「国際取引」と言いいますと、通常は「目的物」が海を渡ります。
しかし、不動産の場合は、目的物が文字通り「『不動』産」ですので、言わば取引の当事者の方が海を渡ることになります。
このたびの記事の内容に即して言えば、購入時には目的物の買主が海を渡り、売却時には目的物の売主が海を渡る、
ということになります。
「取引の当事者の方が海を渡る」という表現は、目的物は物理的には取引の当事者間を移転しないという様に由来するのですが、
不動産登記の観点から言うと、不動産登記を行えるのは厳密には日本国籍者だけです。
したがって、海外の投資家が日本の不動産を購入する場合には、日本の法律事務所(弁護士)など、
名目上「法律上の不動産所有者」になってくれる人を探さなければなりません。
海外投資家と「法律上の不動産所有者」との間の名義に関する取引は、純粋に私的な契約に過ぎません。
つまり、日本の不動産登記法などで保護される取引とはなりません。
ですので、万一海外投資家と「法律上の不動産所有者」との間で購入した不動産についてトラブルになった場合は、
日本の法律上は、その不動産の所有者は「所有者として不動産登記がなされている人」という取り扱いになります。
厳密に言えば、海外投資家が日本の不動産の所有者になることは法律上はできないのです。
実務上は、そのような国際的な不動産取引が円滑に行えるような仕組みが既にあるのかもしれませんが、
不動産取引に関しては、「下見をしたいので購入を検討している目的物を持ってきてくれ。」とは購入希望者は言えない以上、
交渉や取引を行うに当たり、海外投資家は海を渡る必要があると思います。
もちろん、購入後、不動産を事業などで使用する場合は、海外投資家は海を渡り、日本で事業を行うわけです。
様々な意味において、目的物が不動産の場合は、目的物が動産の場合とは異なり、
目的物ではなく「取引の当事者の方が海を渡る」、と表現できると思います。

 



民法上、「物」は「動産」と「不動産」に分かれます。
「動産」と「不動産」とでは、取引の態様(目的物が移転するのか言わば当事者が移転するのか)が正反対であると言えるでしょう。
不動産登記に関しても、不動産そのものは移転しませんが、
不動産登記簿の所有権者は売主から買主に移転する(transfer)わけです。
目的物が物理的に動かない場合、「目的物を占有している状態」を実現させる(作り出す)ためには、
取引の当事者の方が動くことになる、という言い方(比喩表現)ができるのではないかと思います。
不動産の場合は、目的物が物理的に動かないので、「目的物を占有している状態」を実現させる(作り出す)ために、
「登記」と「登記済証」という仕組みを用いている、と言えると思います。
また、「目的物は物理的に動く(動産)のか動かない(不動産)のか」という点に関して言えば、
英語でも、動産のことを「movables」、不動産のことを「immovables」と表現します。
「目的物は物理的に動くのか動かないのか」で線を引く(法律上「物」を切り分ける)という「物」の分類方法は、
日本だけではなく海外でも一般的なのだろうと思います。
あまりにも当たり前過ぎて(それはもはや「定義」とすら言っていい)盲点になっているかもしれませんが、
実は「不動産は物理的に動かない」という特徴がある(したがって、取引の当事者の方が動く必要がある)のです。
逆から言えば、動産の場合は、目的物が移転しさえすればそれでいいのです。

 


それから、記事には、海外投資家による日本の不動産の購入額と売却額を示したグラフが書かれています。
この記事で言っている「不動産」は、
土地に関して言っているのか建物に関して言っているのかそれともその合計に関して言っているのか、正確には分かりませんが、
”オフィスビル”や”マンション”や”空室率”といった文言があるところを見ると(逆に「土地」という文言はありません)、
ここでの「不動産」は「建物」を指しているのだろうと思います。
そうしますと、海外投資家は「建物の時価」で建物を購入または売却した、ということなのだと思います。
この「建物の時価」には、取引場面により様々な算定方法が実務上あるようです。
不動産の取引には実務上は不動産会社が仲介する(海外投資家も不動産会社から購入したり不動産会社に売却したのだと思います)
と思いますので、結局のところは、実務上は不動産会社が提示した価格が「建物の時価」(取引価格)ということになると思います。
それで、建物の場合、購入後一定年数経過していますので、法理的には、
必ず「購入時の価値>売却時の価値」、という状態(「目的物の価値は必ず減少する」)にならなければならないわけです。
また、そのように考えることが、減価償却手続きの理論的前提であるとも言えるでしょう。
ところが、いわゆる「建物の時価」という場合、よく「『建物の時価』が上昇する」という言い方をするかと思います。
それはすなわち、「購入時の価値<売却時の価値」という状態があり得る、ということであるわけです。
しかし、減価償却手続きを鑑みますと、「購入時の価値<売却時の価値」という状態は絶対にあり得ないわけです。
ある建物について、売却する際に不動産会社が提示する価格が購入時の価格よりも高い、ということが、
実務上はあり得るのだとすると、減価償却手続きとは何だろうか、とふと思ったわけです。
「建物の価値は定められた償却方法に従い減少する。」ということが減価償却手続きを行う際の前提であるわけです。
そうしますと、「建物の時価」とは「減価償却後の建物の帳簿価額(未償却残高)」のことを指すと理論上は一意に決まる、
というふうに思うわけです。
逆から言えば、仮に売却する際に不動産会社が提示する価格が「減価償却後の建物の帳簿価額(未償却残高)」よりも高い場合は、
それは、不動産会社は「建物の時価」よりも高い価格で買うと言っているに等しいようにも思ったわけです。
それほどまでに、減価償却手続きを行うに当たっては、
「取得時に建物の価値は決まり、その後は減価償却手続き以外では建物の価値は変動はしない。」
と考えなければならないと思います。
そうでなければ、減価償却手続きの理論的根拠が失われると思うわけです。
減価償却手続きが、そこまでの建物の価額の固さ(rigidであること)を要求する、と言えばいいでしょうか。
減価償却手続きはあくまで取得原価の規則的な費用化に過ぎないという見方をすれば、
たとえ建物の売却可能価額が「減価償却後の建物の帳簿価額(未償却残高)」を超えていても、
それは買主(国、不動産会社)の側の都合の話であるのだから、会社には関係はない(価額に乖離があっても問題はない)、
という見方もできるのかもしれませんが、そもそも「減価償却後の建物の帳簿価額(未償却残高)」には客観性がある、
ということではないか(定められた手続きにより取得原価から建物の価値は一意に決まると考えるわけですから)と思います。
ですので、買主(国、不動産会社)が建物を「減価償却後の建物の帳簿価額(未償却残高)」よりも高い価格で買うというのなら、
それはそれでよいわけですが、買主(国、不動産会社)はその建物について「減価償却後の建物の帳簿価額(未償却残高)」を
売主から承継しなければならない、という考え方に理論上はなるように思います。
そうしないと、取得時に決まったはずの建物の客観的な価額が途中で突然変わってしまうかのように私は感じるわけです。
それほどまでに、建物の価額に関する全ては「取得時に」決まっている、と減価償却手続きでは考えるのだと思います。

 


以上の私の考え方を行うことにしますと、
例えば、買主が売主から、減価償却期間の全期間の減価償却を終えている建物、
すなわち、「減価償却後の建物の帳簿価額(未償却残高)」は「0円」の建物を「100円」で購入した場合は、
購入後買主は、その建物について減価償却手続きを一切行わない、ということになります。
買主のその建物の取得原価は「0円」です。
建物の代金「100円」と建物の価値「0円」との差額100円は全額売主に対する寄付金(税務上損金不算入)、
という取り扱いになります。
減価償却手続きにより、その100円が税務上損金算入されることはない、という取り扱いになります。
取得原価から「減価償却後の建物の帳簿価額(未償却残高)」から減価償却期間から何から何まで建物に関する全部を、
買主は売主から承継する、という考え方になります。
また、「建物に関する全部を、買主は売主から承継する」ということの一例を挙げてみますと、
不動産会社(買主)が減価償却期間の中途にある建物(当然、中古物件)をあるお客さん(売主)から購入するとします。
この場合、売主から購入した後は、不動産会社(買主)が建物について減価償却手続きを引き続き行っていくことになります。
一見すると、不動産会社はあくまで仲介業を営んでいるわけであり、購入した建物を自身が稼動するわけではないのだから、
不動産会社が仲介物件(棚卸資産、言わば商品)として建物を保有しているだけの状態であるのなら、
不動産会社が建物について減価償却手続きを行うのは間違っているのではないか、と思われるかもしれません。
つまり、不動産会社が購入した建物について減価償却手続きを引き続き行っていくのは、次のお客さん(次の買主)なのではないか、
と思われるかもしれません。
しかし、減価償却手続きでは、建物の価値は「取得時に」全て決まる、と考えるわけです。
建物の価値が「取得時に」決まった後は、減価償却期間に渡り規則的に減価償却(価値を減少させること)
を行っていくだけであるわけです。
「現在、誰が建物を所有しているか?」は、一番最初の「取得時」以降は全く関係ないわけです。
端的に言えば、建物の価値は、「取得時」以降は「時間」のみで決まるわけです。
不動産会社があくまで仲介物件(棚卸資産、言わば商品)として建物を保有しているだけであり稼働(収益の獲得に関すること)は
一切行っていない(費用と収益が全く対応しないことになる)わけなのですが、理論的に言えばそれは不動産会社の勝手であり、
建物の価値は、その所有者とは独立して、時間の経過と共に減少する、と減価償却手続きでは考えるわけです。
収益を獲得していないことを理由に、減価償却を行わない、などという考え方はないわけです。
確かに、減価償却手続きでは稼働という概念を用い、費用と収益の対応を図ろうとするものではあるのですが、
収益を獲得していないことは減価償却を行わないことの理由にはならないことは、直感的にも理解できるのではないでしょうか。

 



それから、不動産会社は法人、自然人両方が考えられる(すなわち、不動産の所有者は法律上の「人」である)わけですが、
例えば、不動産は全て国が取扱う(役場に「不動産課」がありそこで不動産の仲介を行っている)という状況を考えてみましょう。
このような場合であっても、人が国に中古建物を売却した時は、国があたかも「人」がその建物を所有しているかのように見なし、
その建物について仮想的な減価償却手続きを引き続き行っていく、ということになります。
もちろん、そこでの減価償却費は損金にはなりませんが、人が所有している所有していないに関わらず、
建物についてはその価値の切り下げを進めていかなければならない(毎年帳簿価額を減少させていかねばならない)わけです。
なぜなら、建物の価値は「時間」のみの基づいて価値が減少する、と減価償却手続きでは考えるからです。
極端な言い方になりますが、建物は、「取得時」以降、人が所有しない(建物の所有権者がいない)という状態を想定していない、
と言ってもいいかもしれません。
建物を国が所有しているでは、あまりにも収益の獲得とは無関係に思えるからです。
もちろん、収益を獲得していないことは減価償却を行わないことの理由にはなりませんが、
減価償却手続きが収益との対応を図ることを意図しているのもまた確かであろうと思います。
「建物の価額は取得時が全て。」、そう表現して差し支えないと思います。
諸法令の現行の規定や現在の実務上の取り扱いとは相当程度異なることを書いたと思いますが、
「建物に関する減価償却手続きの理論的・原理的考え方」について書いてみました。

 


Buildings are "immovables" not only in terms of the definition of the Civil Code but also in terms of the value.
To put it simply, the value of a building is "immovable."
The value of a building is determined as at the acquisition of the building, including the value after the acqusition.
Concerning a building, the acquisition cost is everything.
These ideas are introduced from the theoretical presupposition on a depreciation.
 
建物は、民法上の定義という点から言って「不動産」であるというだけではなく、
その価額という点から言っても「不動産」なのです。
簡単に言えば、建物の価額は「動かない」のです。
建物の価額は、その取得時に、取得後の価額まで含めて、決まるのです。
建物は、取得原価が全てなのです。
これらの考えは、減価償却手続きの理論的前提から導き出されるものです。