2016年9月24日(土)



2016年9月24日(土)日本経済新聞 交遊抄
電話攻勢
小山 慶太(こやま・けいた=早稲田大学教授)
(記事)





【コメント】
20年近く前の早稲田大学教務部長が、今年の3月に早稲田の地を去り、江戸川大学学長に転任された、とのことです。
早稲田大学を退職する3月まで大学では教鞭を取っていたようですが、そのことについて、記事には、

>専門の中国法の最終講義からは軽妙洒脱な語り口の中にも学問へのひたむきさが伝わり、感銘を受けた。

と書かれています。
1つの大学で長年教授を務めてきた人というのは、大学を退職するに際して行う「最終講義」が時々話題になります。
今年4月に江戸川大学学長になった教授も、「最終講義」が他の教授達から注目されていたようです。
「最終講義」と聞いて私が思い浮かべたのが、フランスの小説「最後の授業」です。
「最後の授業」は英語で「The last lesson」というようです。
学長職も忙しいようで、二人は簡単には会えなくなったようです。
何十年も前から盃を交わすの仲である二人は、
前回某所で会ったのが二人で時間をゆっくり過ごす「The last leisure」(最後の自由時間)にならなければよいのだが、
と思っています。
まあ、二人と私とは何の関係もないのですが、
彼女にとって私が「The last last」(最も最後になりそうにない人)なのだけは今のうちに言っておきます。


I am the last last for her to live with.

私は、彼女が一緒に暮らす最後の男から最も程遠い人間です。

 

I certainly think that her conclusion about me and her decision to break with him were both generally right,
but her actions have never turned out to be success from the beginning
because I had already made up my mind not to marry anyone at that time.
And, I think that she has misundetstood me since then.
The reason why I didn't have sex with her then is not that I cherished her
but that I didn't want to have myself marry anyone afterward.
The monogamy system is something like that、which I saw into in my elementary school days.

私についての彼女の断定と、彼と別れることを彼女が決意したことは、どちらも総じて正しかったのだと私は思います。
しかし、彼女の行動は、始めから成功することはないものだったのです。
なぜなら、その時には既に、私は誰とも結婚しないと決めていたからです。
それから、彼女はあの時以来、私のことを誤解していると思います。
私があの時彼女とセックスをしなかった理由は、彼女のことを大切に思ったからではなく、
後になって誰かと結婚させられたくなかったからなのです。
一夫一妻制とは、そういうものなのです。
このことは、小学生の時から私は分かっていました。