2016年8月14日(日)
2016年5月14日(土)日本経済新聞
■長江和記実業(CKハチソンホールディングス) 英国民投票後に訴訟判断
(記事)
CKハチソン、英国民投票後にEUとの訴訟判断
■長江和記実業(CKハチソンホールディングス、香港の複合企業)
英国携帯電話会社の買収を却下した欧州連合(EU)を相手に訴訟を起こすかどうかについて、
6月23日の英国民投票後に最終判断する方針を示した。
李沢鉅(ビクター・リー)副主席が13日、株主総会に先立ち、記者団に明らかにした。
ビクター氏は「英国が国民投票でEU離脱を決める確率は五分五分との説もあり、必要のないリスクはとりたくない。
『塞翁が馬』となることもある」と語り、英国がEU脱退を決めた場合は携帯電話会社の買収を断念する可能性も示唆した。
CKハチソンを率いる香港の大富豪、李嘉誠主席は「胃腸炎のため声が出ない」(ビクター氏)として、株主総会を欠席した。
自宅で休息しており、数日で職務に復帰できると説明している。
CKハチソンは15年、英携帯電話2位のO2UKを買収し、自社傘下で同4位のスリーUKと統合する計画を発表した。
だがEUの欧州委員会は11日、料金値上げなど消費者に不利益をもたらしかねないとして、
買収を承認しないと決定した。(香港=粟井康夫)
(日本経済新聞 2016/5/13
23:52)
ttp://www.nikkei.com/article/DGXLZO02311780T10C16A5FFE000/
【コメント】
話の簡単のために、論点を簡略化していいますと、ある企業が同業他社を買収しようと考えていたが、
国の公正取引当局は買収を承認しない意向を持っています。
そのことに対して、企業の方は、買収を却下した国を相手に訴訟を起こすかどうかについて検討をしている、
という内容になります。
結論だけを言いますと、「どんな場合においても、実は人や企業は”国”を絶対のことと考えて生きていく他ない。」、
ということになろうかと思います。
例えば、このたびの事例で言えば、仮に国の公正取引当局の判断が間違っていたとしましょう。
つまり、裁判の結果、買収は認められるべきだ、との判断が示されたとしましょう。
裁判を起こした企業にとっては喜ばしい判決ですが、法理的に考えてみると、
やはり裁判自体がおかしな構図になっていると思います。
結局、公正取引当局も国の機関ですし裁判所も国の機関であるわけです。
「国家」という視点から物事を見てみますと、公正取引当局という国の機関の判断と裁判所という国の機関の判断が異なる、
というのは、国家的・法理的には矛盾なのだと思います。
公正取引当局による審査というのは、実は一種の裁判なのだと思います。
つまり、企業が訴訟という手続きを取ることなく、公正取引当局が審査を行う、という裁判なのだと思えばいいと思います。
確かに、三権分立という言葉はあります。
三権分立の考え方から言えば、公正取引当局は行政という位置付けであり、裁判所は司法という位置付けになるのだとは思います。
ただ、理論的には、「三権のどれも間違いは犯さない」という理論上の前提があるようにも思えます。
三権分立というのは、国の機関の概念として、それぞれの役割が明確に分かれている、という意味であるわけです。
国の機関設計として、行政が間違う場合に備え司法という裁きの機関を別途設けている、というわけでは決してないわけです。
むしろ、国の機関設計の前提として、「三権のどれも間違いは犯さない」という理論上の前提が置かれていると思います。
行政も間違うかもしれない、などと言い出すのならば、では司法は間違わないのか、という話になってしまうわけです。
司法も間違わない、行政も間違わない、という理論上の前提が当然に置かれている、と考えるべきでしょう。
もちろん、国会も間違いません。
国会が立法する法律は全て正しいのです。
「この法律は間違っているのですが。」と言って裁判所に行って国会を相手取り訴訟を提起しても、訴訟にならないわけです。
実務的にも、国会を訴えるという法手続きはないかと思います。
それならば、と、その法律を管轄する省庁を訴えても、
「それは国会の方で立法されましたので国会の方に言って下さい。我々は立法された法律に従っているだけです。」
と言われるだけでしょう。
要するに、行政を訴えるという法手続きが現実にあるものですから、
行政だけは間違いを犯し、司法や国会は間違いを犯さないかのようについ考えてしまうわけですが、
よくよく考えてみますと、行政が間違うのならば、司法や国会も間違う可能性というのが出てくるわけです。
やはり、行政も司法も国会も間違わない、という前提を置く方が論理的でしょう。
さらに言うならば、三審制という考え方もおかしいのかもしれません。
地裁が間違うのならば、最高裁も間違うのではないでしょうか。
最高裁の判決に不服がある場合は、誰にどのように不服を申し立てればよいのでしょうか。
最高裁で打ち止めであるのならば、地裁で打ち止めである方が論理的だと思います。
三権分立にまで話がさかのぼりましたが、要するところ、必要以上に司法と行政とを分けて考えない方がよい、
というふうに私は思うわけです。
どちらも国の機関であり、例えば企業の買収という場面では、訴訟の提起という形ではなく、
企業からの相談を受け公正取引当局が独占禁止法に基づき審査を行う、という形を取っているだけだ、と理解するべきだと思います。
公正取引当局の判断に不服があるからといって、では訴訟の提起だとなりますと、
何のために公正取引当局が独占禁止法に基づき審査を行っているかが分からない、というところにまで話がさかのぼると思います。
国の機関の捉え方として、公正取引当局は独占禁止法に特化した裁判所だ、というふうに理解をする方が正しいと思います。
逆に裁判所は、日本国にある全ての法律をカバーしている裁判所だ、と理解すればよいと思います。
概念論としては、三権分立という形で国の機関を特色に応じて整理することができるとは思います。
しかし、三権はどれも国の機関であり間違いは犯さない、という点において、
それらの区別にはあいまいな部分が必然的にあるものなのだ、というふうに理解をするべきだと思います。
It is nonsense to put a provision saying "You must not do this conduct."
「このような行為はしてはならない」と定めている規定を置くことには意味はありません。
Then, is a person able to start a lawsuit against a Government on the ground that a law at issue is wrong.
では、ある法律が間違っているので争いたいという理由で、国に対して訴訟を提起することはできるでしょうか。