2016年7月25日(月)



2016年7月25日(月)日本経済新聞
TOBで会社再編 追い風 株強制取得「同額」 最高裁が判断 公正な手続きの確保課題
(記事)





【コメント】
結局のところ、なぜ株式の買取価格について裁判になるのかと言えば、
買取価格について売り手と買い手とが合意をしていないからなのです。
もちろん、この判例は、株式の強制取得という場面ですから、
売り手と買い手とが買取価格について合意をするということはありません。
むしろ、株式の買取を円滑・容易に行えるようにするために、法制度上、買取価格について合意は不要、という考え方になっている、
と言わねばならないでしょう。
その意味では、規定の整合性としては、株式の強制取得という場面では、たとえ買取価格に不満があっても、
裁判所に価格決定の申し立てはできない、というふうに会社法で定めるべきなのです。
そうでなければ、株式の強制取得の概念と反するでしょう。
たとえ買取価格に不満があっても、裁判所に価格決定の申し立てはできない、というふうに会社法で定めてしまうと、
少数株主の利益が害されるではないか、などというのなら、はじめから株式の強制取得の定めは置かなければよいわけです。
一言で言えば、株式の強制取得の定めと裁判所に価格決定の申し立てができる旨の定めとは、相矛盾しているわけです。
このたびの最高裁の判断の1つとして、「裁判所が買取価格を算定し直すのは裁量を超える」、というのがあります。
この判断はまさにその通りだと言いますか、どちらかと言えば、裁判所が算定し直すのは裁量を超えるというより、
会社法の趣旨から言えば、「株主総会決議で決議された価格が公正な買取価格である」というふうに解釈しなければならない
のではないかと思います。
そこに裁判所の裁量や判断が入る余地ははじめから一切ないように思えます
(そしてだからこそ、裁判所に価格決定の申し立てができるという旨の定めは不要なのです)。
このたびの最高裁の判断の1つとして、価格決定の手続きは公正であるか否かを判断した、ということですが、
それは結局のところ、会社法に定められた規定を遵守して株式の強制取得を行った(法手続きに瑕疵はある)か否かを判断する、
というに留まる判断であって、買取価格そのものが公正であるか否かについてはそもそも判断の行いようがないのではないか、
という気がします。
極論すれば、買取価格そのものが公正であるか否かは、売りと手と買い手との間で合意はあったのか否かのみで決まる、
と言わねばならないでしょう。
ただ、株式の強制取得という場面では、その買取価格についての合意は不要である、と会社法では定めているわけです。
極端な話をすれば、株式の買取価格は1円であったとしても、裁判所は公正な法手続きであった、と判断せねばならないわけです。
なぜなら、株式の買取価格は1円である旨の株主総会決議は適法に取られたからです。
買取価格はいくらが公正であるかについては、裁判所にはそもそも判断はできないこと、すなわち、
価格については根源的に当事者が決めるべきことであるように思えます。
その買取価格についての合意は不要である(株式の強制取得とはそういう意味でしょう)、と会社法が規定しているのであれば、
やはり、株式の強制取得の定めと裁判所に価格決定の申し立てができる旨の定めとは、相矛盾していると言わねばならないと思います。

 


What you call a "minority discount" is merely conceptual.
In other words, what you call a "minority discount" merely expresses that
a controlling shareholder feel that his shares are more valuable than minority shareholders' shares
and that minority shareholders feel that their shares are less valuable than a controlling shareholder's shares.
Even from a viewpoint of a third party, I certainly feel that one share of a controlling shareholder's
is more valuable than one share of a minority shareholder's, too.
I understand the unequalness.
But, on the principle of law, nobody can determine at least a "value" of a share whether it is owned by
a controlling shareholder or a minority shareholder.
On the principle of law, a minoriy shareholder is not forced to sell his shares if he doesn't want to sell them.
A seller sells his shares at a price which he mutually consents to with a buyer.
The concept "compulsory acquisition" brings up a very funny question "Is the sale price fair?"
On the priciple of law, neither a "minority discount" nor a "minority premium" exists from the begining.
On the priciple of law, all that exists between a seller and a buyer is mutuall consent on a transfer price.
And, what you call a "minority discount" presupposes a voting right, actually.
Without a voting right, there would not exist what you call a "minority discount," either.
Let's think that minority shareholders own the smaller number of shares, so a company should pay more dividends to them.
If you think that it is wrong, you can understand that what you call a "minority discount" is also wrong.

いわゆる「マイノリティ・ディスカウント」というのは、概念上のものに過ぎません。
他の言い方をすれば、いわゆる「マイノリティ・ディスカウント」というのは、
支配株主は自分の株式は少数株主の株式よりも価値が高いと感じ、
少数株主は自分の株式は支配株主の株式よりも価値が低いと感じる、
ということを表現しているに過ぎません。
第三者の立場から見ても、確かに私も支配株主所有の1株は少数株主所有の1株よりも価値が高いと感じます。
その不平等さについては意味は分かります。
しかし、支配株主所有であろうが少数株主所有であろうが、株式の少なくとも「価額」を決めることは
法理的には誰もできないのです。
法理的には、株式を売りたくないのであれば、少数株主は株式を売却することを強制されることはありません。
売り手は、買い手と合意をした価格で株式を売るのです。
「強制取得」という概念が、「その売却価格は公正であろうか?」などという非常に滑稽な質問を提起するのです。
法理的には、「マイノリティ・ディスカウント」も「マイノリティ・プレミアム」も始めからないのです。
法理的には、売り手と買い手との間には、「譲渡価額」についての合意があるだけなのです。
それから、いわゆる「マイノリティ・ディスカウント」は、実は議決権を前提にしています。
仮に議決権がないならば、いわゆる「マイノリティ・ディスカウント」もまたないのです。
少数株主は所有株式数が少ないのだから会社より多くの配当を少数株主に支払うべきだ、と考えてみましょう。
それはおかしいと思うのなら、いわゆる「マイノリティ・ディスカウント」もまたおかしいと分かるでしょう。