2016年5月20日(金)
2016年5月20日(金)日本経済新聞
司法取引 取り調べ可視化義務 今国会成立へ 参院委で法案可決
(記事)
2016年5月20日(金)日本経済新聞
刑事司法改革法案が成立へ 捜査に「武器」 運用課題 取り調べ可視化
適用拡大求める声
通信傍受の拡大 振り込め詐欺など摘発
(記事)
【コメント】
海外の司法制度のことはよく分かりませんが、日本でも司法取引が導入される見通しとなるようです。
米国の映画などでは、捜査官が犯罪グループの一味を逮捕した後、「ボスの隠れ家を話したら罪を軽くしてやるぞ、」と言ったり、
「証拠となる材料を警察に渡せば罪を軽くしてやるぞ。」と言ったりするシーンがあるかと思います。
一般に、犯罪(者)に科する実際の刑罰は刑事裁判を通じて決まっていくわけです。
刑事裁判では、犯罪者と捜査機関とがお互いの意見を主張し合い、裁判官が刑罰を決める、という流れになっているわけです。
そうしますと、取り調べの中で捜査機関(警察や検察)が司法取引を犯罪者にもちかけても、
刑事裁判では、それは捜査官が勝手に言ったことだ、と裁判官から言われてしまう恐れがあるのではないでしょうか。
捜査当局と裁判所は、位置付けとしては完全に分かれているわけです。
現代の司法制度では、刑罰は裁判官が決める、という考え方になるかと思います。
現代の司法制度では、刑罰は捜査当局が決めるわけではないわけです。
その意味では、刑事裁判の構造上、捜査当局は司法取引を行いたくても行えない、ということになる気がします。
仮に、捜査当局が犯罪者と司法取引を行うとすると、それは、刑罰を捜査当局が決めている、ということを意味しているでしょう。
そのことは、刑事裁判の根幹に反することなのではないだろうかと思いました。
また、この観点から考えてみますと、捜査当局が被疑者を裁判にかけるのを見送る、ということも、
本来的には認められないことなのだと思います。
いわゆる”不起訴処分”というのは、本来的には認められないことなのだと思います。
なぜなら、”不起訴処分”を行うとは、捜査当局が被疑者を無罪と判決することだからです。
確かに、嫌疑に証拠不十分のときや訴訟条件を欠如するときといった、現実的な理由から公訴を提起できない、
というようなことはあるのかもしれません(例えば、仮に公訴を提起しても裁判官が無罪と判決するのは明らか、など)が、
しかし、公訴を提起しないとはその時点で被疑者を無罪と判決するという意味でしょう。
捜査当局には、刑罰を決める権限はないはずです。
本来的には、法の概念として、司法取引はありませんし不起訴処分もない、ということになると思います。
この点については、”検察官による起訴独占主義”、”検察官による起訴便宜主義”といった言葉で批判はされているようです。
「捜査の結果、検察官は不起訴相当と判断した。」などと言ったりすると思いますが、
それは言葉を変えれば、「検察官が裁量により刑罰を決定した。」ということでしょう。
これらの手続きに関しては、刑事訴訟法に定めがあるのだと思います。
刑事訴訟法もこれまで何回も改正されているのだろうと思います。
最初期の刑事訴訟法に何と書いてあったかは知りませんが(今後図書館で調べたいと思います)、
法理的には、「検察官は必ず公訴を提起しなければならない。」(不起訴処分などない)と定めなければならないと思います。
A penalty is determined only by a crime.
刑罰は罪のみによって決まります。
On the principle of penal law, a confession is not required to determine a crime.
刑事法理的には、罪を決めるのに自白は必要ないのです。
The reason why people today say "A confession is the Queen of evidence." or
"A confession is the King of evidence." is
that no judicial officers were at
the scene of the crime, I suppose.
No physical evidence, no circumstantial
evidence, no motive, nor no confession is required
as long as a judicial
officer was at the scene of the crime.
The natural reality of nobody's having
been able to be there except a criminal himself makes the penal
practice
concentrate on collecting physical evidence, circumstantial
evidence, motives, and confessions.
今日、「自白は証拠の女王」と呼ばれたり「自白は証拠の王様」と呼ばれる理由というのは、
司法官が犯行現場にいたわけではないからだと思います。
司法官が犯行現場にいさえしていれば、物的証拠も状況証拠も動機も自白も何も必要はないのです。
犯罪者本人を除いて犯行現場には誰もいることができなかったという当然の現実がありますので、
刑事実務は、物的証拠や状況証拠や動機や自白を集めることに集中することになるのです。