2016年5月13日(金)
2016年5月13日(金)日本経済新聞 公告
公開買付開始公告についてのお知らせ
ハウス食品グループ本社株式会社
(記事)
【コメント】
昨日のコメントに一言だけ追記します。
味の素株式会社とハウス食品グループ本社株式会社が発表しているプレスリリースを読んであることを思いました。
ハウス食品グループ本社株式会社が実施する公開買付の買付期間は、
「平成28
年5月13 日(金曜日)から平成28 年6月23 日(木曜日)まで(30
営業日)」
となっています。
そして、決済の開始日は「平成28年6月30日(木曜日)」となっているわけです。
公開買付けの結果については、公開買付期間末日の翌日に、金融商品取引法が規定する方法により公表します、
と書かれていますが、公開買付が成立か不成立かは、2016年6月23日(木曜日)に確定するわけです。
以下、公開買付が成立した場合について書きます。
応募株主は、2016年6月24日(金曜日)になると、応募を取り消せなくなるわけです。
また、公開買付者にとっても、決済をしないということはあり得ないわけです。
つまり、応募株主が決済金額を受け取ることは、2016年6月23日(木曜日)に確定すると言っていいわけです。
他の言い方をすると、応募株主には、確定した金銭債権が2016年6月23日(木曜日)に発生する、ということになるわけです。
そうしますと、実現主義会計もしくは発生主義会計に基づきますと、
応募株主は2016年6月23日(木曜日)に収益(株式売却益)や費用(株式売却損)を計上しなければならないように思います。
応募株主からは、2016年6月23日(木曜日)をもって、株式の所有権はなくなった、と考えなければならないわけです。
他の言い方をすれば、応募株主は、2016年6月23日(木曜日)に、株式を公開買付者に引き渡した、と考えなければならないわけです。
このことは、公開買付者から見ると、2016年6月23日(木曜日)に、株式を取得した、という言い方ができるように思います。
一般に、決済をもって目的物の所有権は移転する、と考えます。
ところが、よくよく考えてみますと、実現主義会計もしくは発生主義会計に基づきますと、
代金の決済は目的物の所有権の移転を何ら意味しないのです。
むしろ、実現主義会計もしくは発生主義会計に基づきますと、決済とは無関係に、目的物そのものの移転(引渡し)のみをもって、
目的物の所有権は移転したと考えるわけです。
この観点に基づくと、公開買付者にとって、株式の取得日は、決済日ではなく、成立日ではないでしょうか。
特に、通常の掛取引(通常の金銭債権)とは異なり、公開買付の決済は100%行われる(債務不履行は絶対にない)ものですし、
目的物(応募株式)は既に応募株主が自由にできるものではない(所有権は既に実質的にない)わけです。
株式の取得日を決済日ではなく成立日と見なすことは、実現主義会計もしくは発生主義会計に基づきますと、
全く間違っていないように思います。
”公開買付者は株式を決済日に取得する。”という内容の文をプレスリリースが教科書か何かで読んだことがある気がします。
しかし、現代会計では、代金の決済は目的物の所有権の移転(目的物の引渡し)とは全く関係がない、という点から考えてみました。
応募株主の成立日の仕訳
(公開買付未収入金) xxx / (対象会社株式) xxx
(対象会社株式売却益) xxx
応募株主の決済日の仕訳
(現金) xxx / (公開買付未収入金) xxx
公開買付者の成立日の仕訳
(対象会社株式) xxx / (公開買付未払金) xxx
公開買付者の決済日の仕訳
(公開買付未払金) xxx / (現金) xxx
プレスリリースには、決済の方法として、「買付けは、現金にて行います。」と書かれています。
しかし、それは、売掛金や買掛金の決済(棚卸資産の代金決済)は現金にて行います、と言っているのと同じことであるわけです。
買付の決済は現金で行うからと言って、株式の所有権は決済日に移転すると考えるのは、現代会計では間違いだと思います。
成立日から決済日までの間に、決算期末日や基準日が入る場合、収益計上の可否や議決権を行使できる株主はどちらか、
といった点が問題になると思いましたので書いてみました(法理的には、成立直後に決済を行うべきだと思います)。
It is very very difficult or can be impossible to certify
that a suspect
knew a fact and also that he didn't know a fact.
容疑者はある事実を知っていたということを証明することは、非常に非常に難しいですしその証明は不可能である場合もあります。
そして、容疑者はある事実を知らなかったということを証明することも、
非常に非常に難しいですしその証明は不可能である場合もあります。