2016年5月11日(水)
【コメント】
レノボ・グループの株価が急落した理由についてですが、記事を読むと英系金融大手のHSBCのレポートが原因とのことです。
記事によると、HSBCのレポートでは、
>同社のスマートフォン(スマホ)販売台数が今後数四半期にわたり2桁台の減少を続ける見通しで、
>利益率も当初予測よりも低下すると指摘した。
と書かれています。
つまり、会社からの発表が原因で株価が下落したのではなく、証券会社のレポートが原因で株価が下落したわけです。
最近、適時情報開示について書きましたが、証券会社の企業分析レポートも株価に影響を与えるとなりますと、
株価には一体何が織り込まれていると考えるべきなのだろうかと思いました。
また、株式は、売り手と買い手との間で取引が行われるものです。
その時、買い手はできる限り低い価格で株式を買おうとしますし、
売り手はできる限り高い価格で株式を売ろうとする、というだけなのです。
どのように考えても、第三者が決める「目標株価」と呼ばれる株価などないはずです。
レノボは5月下旬に2016年3月期の決算発表を予定しているとのことですが、
決算発表や適時情報開示で株価が変動するのは分かりますが、
証券会社の企業分析レポートでも株価が変動するとなりますと、
現実には株価の決定要因などない(決算発表や適時情報開示も含む全ての情報が株価決定要因)のだろうな、と思いました。
コーポレート・ファイナンスの理論上は、この辺りのことはどうなのでしょうか。
会社の今後の業績如何については、会社自身が一番よく分かっているはず(証券会社の分析とは情報量や情報精度が異なる)であり、
だからこそ、会社からの情報開示で株価が変動する、という流れに理論上はなるのではないだろうかと思います。
同じ「市場に発表された情報」でも、証券会社の分析レポートというのは、会社自身からの発表とは位置付けが異なる気がします。
A buyer always intends to buy an object at as low a price as possible,
and
a seller always intends to sell an object at as high a price as possible.
買い手は常に目的物をできる限り低い価格で買おうとしますし、
売り手は常に目的物をできる限り高い価格で売ろうとします。
【コメント】
電力をどうやって取引の相手方に引き渡すのだろうか、と思ったのですが、
先物取引では現物の引渡しは行わない「差額決済」なのでしょう。
電力は物理的に・物理学的に取引の相手方に引き渡せなくても、先物取引そのものには影響はないということなのでしょう。
しかし、そうすると、考えてみますと、先物市場に上場させる商品(対象物)は、
結局のところ何だってよい、いうことになるでしょう。
「市場で売買され値が付く」と考えても違和感がない商品(対象物)であれば、他の言い方をすれば、
「市場で売買され値が付く」という概念にそぐわないわけではない商品(対象物)であれば、
先物取引と呼ばれる商品取引を行うことは可能である、ということになると思います。
この際、品数が僅少で取引(譲渡)そのものが行われることが少ないアンティーク物(レアなおもちゃ類や稀少な古本類や絵画類等)
は先物取引で取り扱う商品(対象物)としてはそぐわないかと思います。
アンティーク物は、先物取引というより、正確に言えば、いわゆる「市場」の性質とも本来的に相容れないものだと思います。
「市場」が成立するためには、品数が豊富で参加者も大勢いて取引(譲渡)も頻繁に行われる、というとが本来的に必要です。
逆から言えば、品数が少なく参加者も少なく売買そのものの回数も少ない場合は、市場という形を取るのでなく、
相対取引で対象物の売買を行う方が効率的だ(売買が市場取引である必要はない、市場は必要ない)ということになるでしょう。
記事には、電力先物市場の実証実験を始める、と書かれていますが、
”現物を持っていなくても売ることができる。”という特徴を持つ先物取引という名の商品売買は、
少なくとも私か見ると、ただの思考実験の中にだけあるものに過ぎない、というふうに感じます。
Any object will do as long as it is traded and priced in the market.
市場内で取引が行われ値が付きさえすれば、どんな対象物でもよいのです。
2016年5月11日(水)日本経済新聞
米トリビューンが買収防衛策
投資ファンドに身売り1460億円
(記事)
【コメント】
特定の株主が所有している株式の議決権だけを会社が減少させることができるのであれば、
それに越した買収防衛策はないでしょう。
ただ、株式1株1株は全く同じ内容の権利を表象する、というのが株式会社における大原則かと思います。
そして、その基本概念は、その権利内容は株式の所有者には依存しないということでもあるでしょう。
敵対的買収者以外の人物に低い価額で株式を割り当てるというのならまだ話は分かりますが、
敵対的買収者と他の株主が所有している株式は「全く同一の株式」なのですから、
所有者に応じて権利の取り扱いを変えるというのは、株式会社の根本の原則に反していると言わねばならないでしょう。
記事では「ポイズンピル」と書かれていまして、読みようによっては、米トリビューンの買収防衛策とは、
敵対的買収者以外の株主や人物に行使価額の低い新株予約権を無償で割り当てることを指しているのだろうか、とも思いました。
ただ、たとえそう考えるとしても、「所有者に応じて受け取るべき権利を差別している」という点に変わりはありません。
買収防衛策云々という場面では、「買収者は、相手方の意思に反して敵対的に買収を進めようとしている。」と一般に言われます。
しかし、考えてみますと、買収者は相手方の意思に反して敵対的に買収を進めることなどそもそもできないのです。
なぜなら、買収者にとって、相手方とは、会社ではなく、株主だからです。
株主は、自分の意思に反して所有している株式を敵対的買収者に売却しなければならない、などということは一切ありません。
「敵対的」とは、誰と誰のことなのでしょうか。
敵対的買収への対抗策というのは極めて簡単です。
株主は、自分が所有権を有する株式を、敵対的買収者に売らなければよい、というだけなのです。
株主が自分の意思で所有している株式を売るというのなら、それは敵対的でもなんでもないわけです。
敵対的買収者は誰と取引を行うのかを間違えてはならないと思います。
また、次の記事では、会社が投資ファンドへの身売りを発表した、という内容になっています。
この会社の身売りという表現も考えてみればおかしな話であり、買収者に株式を売るのは株主であって、会社ではないわけです。
会社が株式を売るわけでもなければ、”身売り”に伴い会社は保有している資産を売却するわけでもないのです。
友好的な会社の身売りという場面でも、取引はあくまで買収者と株主との間でのみ行われることなのです。
買収に、敵対的買収もなければ友好的買収もないのです。
敢えて言うなら、株主は自分の意思で買収者に株式を売ることを決め、株式の譲渡に関して買収者と合意をするのですから、
全ての買収は「合意的」(当事者の合意に基づくもの)、と表現しなければならないでしょう。
念のため書いておきますと、最近の会社法では、
株主総会決議に基づき全株主から強制的に株式を取得する手続きが定められています。
このことは、個々の株主単位で見ると、自分の意思に反して株主は株式を売らなければならない、
という場面が生じるということです。
しかし、会社法制の論理立てとしては、株主総会決議により買収に関する議案が可決されたならば、それは株主が合意をしたもの、
という考え方になります。
会社法制では、多数決により全株主の意思は統一されたもの(多数決の結果に全株主は従わなければならないという基本概念がある)、
という考え方をするわけです。
ですので、株主総会決議により買収に関する議案が可決されたならば、
その後その買収に敵対的(所有者の意思に反する株式売却)と表現するような部分というのは一切ない、と言わねばならないのです。
この点については、民法理から見ると、確かに株主の所有権を否定していることになるわけですが、
会社が行う商行為の多様化・柔軟性を考慮してということなのかもしれませんが、現在の会社法では民法理に修正を加え、
概念的に言えば、株主総会決議により株主はその所有権を否定される場合がある、ということを法制度の前提としているわけです。
この点についても言い出せばきりはないのだと思います。
最初の論点に戻りますが、では株主総会決議を経れば一部の株主の議決権を否定してもよいのか、という話になるわけです。
議決権を否定するとは、その株主は株式を所有していないものと見なす、という意味です。
何を法律上所与のこととし何は法律上所与のこととはしないのかに関しては、
法制度構築の上では、最後は線引きの問題になってくるのだろうと思います。
フランスではつい最近、株式を所有していなくても株式を所有しているものと見なす、という法律が施行されました。
株式を長期保有していれば、議決権の数が2倍になる、とはそういう意味でしょう。
一番最初の法理に修正を加えていくと、様々な法制度が構築できるわけですが、
それは原則的な考え方や制度構築当初根本にあったそもそもの基本概念を歪めることになる、
という副作用が必ず伴うことは忘れてはならないと思います。
If a company should be able to double the number of a voting right of only a
part of its shares,
then it could half cut some.
会社が万が一、一部の株式のみの議決権の個数を2倍にすることができるというのなら、
半分にすることもできるということになるでしょう。
2016年5月11日(水)日本経済新聞
■NTTデータ NJKを完全子会社に
(記事)
2016年5月11日(水)日本経済新聞 公告
公開買付開始公告についてのお知らせ
株式会社エヌ・ティ・ティ・データ
(記事)
2016年5月10日
株式会社エヌ・ティ・ティ・データ
子会社である株式会社エヌジェーケー株式(証券コード:9748)に対する公開買付けの開始に関するお知らせ
ttp://www.nttdata.com/jp/ja/news/release/2016/pdf/051000-01.pdf
2016年5月10日
株式会社エヌジェーケー
支配株主である株式会社エヌ・ティ・ティ・データによる当社株式に対する公開買付けの実施
及び応募の推奨に関する意見表明のお知らせ
ttps://www.njk.co.jp/wp-content/uploads/2016/05/47-20160510b.pdf
>買収に、敵対的買収もなければ友好的買収もないのです。
と書きました。
このコメントはもちろんこの事例においても真です。
概念的に言えば、株主の意思表示として、
「公開買付に応じる=議案に賛成票を投じる」であり、「公開買付に応じない=議案に反対票を投じる」である、
というだけのことであるわけです。
その判断に敵対的も友好的もないわけです。
ただ、実務上の手続き(会社法の定め)を鑑みますと、
会社が買収(株式の取得)に賛成しているか反対しているかは、買収者にとって実務上非常に大きい、
ということになるのだと思います。
このことは、現代の株式会社制度においては、会社の業務執行や会社内部の意思決定はもちろんのこと、
「会社に対する意思決定(すなわち、株主の会社に対する意思決定)」すらも、
会社側が主体となっている側面がある、という言い方をしてもよいのではないかと思います。
株式会社制度では、「所有と経営の分離」を標榜していますので、何から何まで会社側が主体であるというのは、
むしろ制度上の必然的な帰結であると同時に、やはり株式会社の特長(メリット)でもあるわけです。
ただ、その結果、いざ株主が会社に対し意思決定をしたいという場面が臨時(contingent)に生じても、
株式会社の概念として、即応はできない、というディメリットが伴うのだと思います。
ここまで書いてふと思ったのですが、現在の株式会社制度の元祖となっている1948年商法では、
臨時株主総会の定めはなかったのではないか、とふと思いました。
株主は取締役を選任したのだから、後は全てを任せるべきだ、そして取締役は任期を全うする、
これが株式会社の元祖概念である気がします。
現実のことを考えると、取締役に問題があり途中で取締役を株主が解任したい場合などあるのではないか、とは思うのですが、
理詰めで考えるといいますか、「所有と経営の分離」を基点に概念だけで会社制度を組み立ててみると、
株式会社にあるのは「1年に1回の株主総会」のみ、である気がします。
「所有と経営が分離している」とは、「株主は物を言わない。」(取締役に任せる)、という意味なのだと思います。
このことはまだ確認はしていないことなので間違っている可能性もありますが、
私自身1948年商法について改めて図書館で勉強したいと思います。