2016年4月23日(土)


2016年4月22日(金)日本経済新聞 公告
証券投資信託の信託終了のお知らせ
農林中金全共連アセットマネジメント株式会社
(記事)






【コメント】
昨日のコメントで、

>「株主が1人だけの場合は株主間の不平等は一切生じない。」

と書きました。
そして、株主の数が複数の場合は、自社株買いは株主の利益に中立とは言えない、と書きました。
さらに、株主の数が複数であろうとも、

>配当というのは、常に全ての株主に平等なのです。

と書きました。
では、会社清算時の残余財産の分配は株主に平等であると言えるでしょうか。
答えは、会社清算時の残余財産の分配は全株主に平等です。
なぜなら、会社清算時には、全株主が完全に同じ金額の残余財産の分配を受けるからです。
一部の株主だけがより多くの金額の残余財産の分配を受けることもなければ、
一部の株主だけがより少ない金額の残余財産の分配を受けることもないのです。
逆から言えば、自社株買いを悪用すれば、清算手続きに入る前に会社が意図的に一部の株主から高い価格で株式を買い取ることで、
一部の株主にだけより多くの金額の残余財産の分配を行うことができるわけです。
ただ、理論上は、清算手続きに入る前に会社が株主から株式を買い取ることは、債権者の利益を害していることにはなりません。
なぜなら、自社株買いの原資は利益剰余金のみだからです。
利益剰余金は社外流出が前提であり、少なくとも維持・拘束の義務はないのです。
他の言い方をすれば、利益剰余金は全て株主に帰属しているものであり、債権者に帰属しているものではないのです。
ですから、清算手続きに入る前に会社が株主から株式を買い取ることは、債権者の利益を害していることにはならないのです。

 


もちろん、清算手続きに入る前に会社が株主から株式を買い取ることには問題があるはずだ、と直感的に分かるかと思います。
自社株買いは通常決算期末日ではなく期中のことになるかと思いますが、
自社株買いを行った日の利益剰余金の金額がいくらかは不明ではあるわけです。
率直に言えば、自社株買いの原資の金額は実は不明なのです。
会社法上、自社株買いに際し会社は臨時に決算を要求されるわけでもありません。
例えば、前期末日時点の利益剰余金は一種の参考値にはなるかもしれませんが、
前期末日時点の利益剰余金は自社株買いを行う日の利益剰余金を表しているわけでは全くないわけです。
理論上は、決算期末日にしか自社株買いは行えない、ということになると思います。
現行の制度では、会社に自社株買いの原資があったのか否かは、期末日にならないと分からない、ということになると思います。
現行の制度では、期末日になって、自社株買いを反映させた貸借対照表を作成して初めて、
自社株買いの金額が利益剰余金の範囲内であったか否かが分かる、という流れになると思います。
極端な話をすると、自社株買いを行った結果、資本の欠損が生じる(トータルでは利益剰余金がマイナスになる)、
ということも起こり得るわけです。
他の言い方をすると、現行の制度では、自己株式の取得の可能額の計算が事後的になる、ということです。
配当の場合は、配当の可能額は事前に分かります。
配当の可能額は事前に分かりますし、事前に分かるからこそ分配可能な金額を超えて会社が配当を行った場合は、
例えば取締役が一定の法的責任を負う、ということになるわけです。
しかし、自己株式の取得の可能額は事前には分からないのです。
その理由は、煎じ詰めれば、自己株式の取得は期末日の利益剰余金を原資にしてはいないからだと言えると思います。
仮に、取得可能な金額を超えて会社が自己株式の取得を行った場合は、
分配可能な金額を超えて会社が配当を行った場合に準じて取締役が一定の法的責任を負う、ということになるとは思います。
しかし、「可能額は事前に分かるのか分からないのか」は、法的責任という意味では、決定的な違いがあると思います。
法律の前提として、知らなかったは理由にならない(知らなかったことを理由に免責はされない)わけですが、1つの法理として、
違法行為をしてしまった際、違法であることを知っていて行った場合と知らずに行った場合とでは、
やはり違法であることを知っていて行った場合の方が負うべき責任としては大きくなければならないわけです。
このことを鑑みますと、自己株式の取得の場合は、違法であること(可能額を超えていること)を取締役は知りようがない
わけですから、違法配当に比べ、責任は軽くなる、という考え方になるのではないかと思います。
脱法的・潜脱的に自己株式の取得を行った(清算手続きに入る直前に意図的に自己株式の取得をした等)場合は別ですが、
例えば、前期末日には十分な利益剰余金があり、期首日以降、順調に業績が推移していたので、
期中に前期末日時点の利益剰余金の金額未満の自己株式の取得を行った(この時点では十分に適法の自己株式の取得)のが、
その後事業環境が急激に悪化し、当期は巨額の損失を計上することになった、とします。
そしてその結果、当期末日には、利益剰余金がマイナスになったとします。
この場合、会社は取得可能な金額を超えて自己株式の取得を行ったことになるのでしょうか。
会社法の定めを見ますと、”自己株式の取得金額は取得の効力発生日における分配可能額を超えてはならない。”
と定められていますが、「取得の効力発生日における分配可能額」がそもそも誰にも分からないのではないでしょうか。
「取得の効力発生日」は期末日(貸借対照表日)ではないのですから。
自己株式の取得の違法性を問われた取締役が「『取得の効力発生日』には十分な分配可能額があった。」と主張した場合、
「取得の効力発生日」は期末日(貸借対照表日)ではない以上、
その主張を立証する手段も覆す手段も厳密にはないのではないでしょうか。

 



理論上は、決算期末日にしか自社株買いは行えない、ということになるわけですが、
ただそれを言い出すと、理論上は、配当も実は決算期末日にしか行えない、ということになります。
より実務的に言えば、決算期末日から株主総会決議日まで、貸借対照表(利益剰余金)を維持・拘束しなければならないのです。
つまり、理論上は、会社は、決算期末日から株主総会決議日まで、一切の事業活動を行ってはならないのです。
決算期末日以降も事業活動を継続した場合は、6月下旬には、その利益剰余金の金額ではないのですから。
自己株式の取得の場合、取得額は「取得の効力発生日における分配可能額」を超えてはならないように、
配当の場合も、理論的には、配当額は「配当の効力発生日における分配可能額」を超えてはならないわけです。
しかし、現行実務上(会社法上)、
配当額は、「配当の効力発生日における分配可能額」を超えてはならないという定めにはなっておらず、
「当期末日における分配可能額」を超えてはならないという定めになっているかと思います。
事業年度終了直後に配当を支払うことは現実にはできないわけですが、配当の原資の整合性を鑑みれば、少なくとも、
「当期末日における分配可能額」=「配当の効力発生日における分配可能額」
でなければならないわけです。
そのためには、当期末日から配当の効力発生日までは一切の事業活動を行ってはならないわけです。
他の言い方をすれば、その間、会社財産に一切の変動を生じさせてはならないのです。
そうでないと、極端な話をすれば、配当の効力発生日には既に分配可能額はないかもしれないわけです。
この点でも、理論と実務の整合性を図るのは現実には難しい部分があると思います。

 



最後に、もう一言だけ書きます。
会社清算時の残余財産の分配は、概念的には平時における配当に近いものだと思います。
平時における配当の原資は利益剰余金のみです。
一方、会社清算時の残余財産の分配の原資は会社の全財産(もちろん、債権者への弁済が全て完了した後の財産)です。
他の言い方をすると、平時における配当は、資本(貸方勘定)の制約を受ける形でしか行えないものです。
一方、会社清算時の残余財産の分配は、資本の制約は一切なく、全資産(借方)を原資として行われるものです。
概念的に言うと、分配の原資という点では、平時の配当は原資は貸方、会社清算時の残余財産の分配は原資は借方、となります。
このことは、会社の資本金は、平時の配当の際には有用である(その役割を果たす)が、
会社清算時の残余財産の分配の際には無用である、ということを意味していると思います。
会社清算時の残余財産の分配の際に資本金を勘案するということは一切しないわけです。
このことは、会社の資本金は、会社清算時においては債権者保護の役割は何ら果たしてはいない
(資本金とは無関係に弁済が行われる)、ということを意味しているでしょう。
他の言い方をすると、会社がいざ倒産してしまうと、資本金は何らの意味もなくなってしまう・何の役割も果たさなくなってしまう、
ということであり、それは率直に言えば、資本金には債権者保護の役割はない、ということではないでしょうか。
平時、会社の債務は資本金とは無関係に債権者に弁済されますし、
会社倒産時も、会社の債務は資本金とは無関係に債権者に弁済されるわけです。
資本金がその役割を果たしているのは、平時の分配可能額の計算に関してだけ(資本金は分配できない、利益しか分配できない)、
という言い方ができるのではないでしょうか。
現在の資本会計では、資本金は会社倒産時に債権者の債権の弁済に充てるために社内に留保されている会社財産の金額を表す、
と説明されますが、理詰めで考えていくと、その説明は実は少し違うのかもしれません。
分配可能額の計算という意味では確かに会社の資本金は債権者保護の役割を果たしているのですが、
会社倒産という場面では資本金には何ら債権者保護の趣旨・目的はない、という結論になると思います。
決算期末日においては、確かに資本金は社内に留保される会社財産の金額を表しているでしょう。
しかし、会社が倒産するのは、決算期末日ではないのですから。

 



元祖貸借対照表理論では、会社の資本金に債権者保護の意味合いはなかったのだと思います。
資本金は分配できない、という点に関しても、債権者保護の観点から資本金は分配できない定めとなっているというより、
株式会社の概念から考えて資本金は当然に分配できない、という定めとなっているだけなのではないでしょうか。
資本金は、純粋に事業の元手を表しているわけです。
株式会社の概念から考えて、分配するのは利益なのであって、事業の元手は分配するものではない、
という考え方になるのではないでしょうか。
究極的なことを言えば、元祖貸借対照表理論では、会社は倒産はしないもの、という前提があるように思います。
益金が損金を必ず上回る、とはそういう意味でしょう。
会社は倒産しないのだとすれば、債権者保護のことなど理論上そもそも考える必要はない、ということになると思います。
元祖貸借対照表理論においても清算手続きが定められていた理由は、会社が倒産するからではなく、
単に会社を清算させる場合があるから、というだけなのだと思います。
資本金には、債権者保護の意味合いなど、そもそもなかったのだと思います。
ただ、益金が損金を必ず上回るのなら苦労はなく、実務上は会社が倒産することは当然あるわけです。
その場合は債権者の利益が害されてしまいます。
そのことは、円滑な商取引を阻害するものでしょう。
したがって、債権者の利益を保護することが商取引において現実には重要な位置付けを占めることなりますので、
元来の考え方に修正を加え、現実的な事柄・問題解決を会社法に反映させていき、
現在では債権者保護の趣旨が会社法に取り入れられているのでしょう。
それで、実務上の要請から、会社法の目的は債権者保護である、言われているのだと思います。
会社法の本来の目的は、元来的・元祖会計理論的にはただ単に、株式会社の定義というだけのことだったのだと思います。