2015年12月4日(金)


2015年12月4日(金)日本経済新聞 大機小機
解せない内部留保課税論
(記事)

 

 



【コメント】
内部留保に課税することの理論上のそして実務上の問題点はいくつかあると思います。
まず第1点目は、記事にもありますように、

>そもそも内部留保課税は二重課税だという意味で問題だ

という点です。
会社が法人税を支払った後の利益が利益剰余金(内部留保)です。
内部留保に課税するとなりますと、税引き後の利益に課税する、と言っていることと同じであるわけです。
これが内部留保課税の問題点の第1点目です。

 



第2点目ですが、利益剰余金というのは実体のある資産ではない、という点が挙げられます。
利益剰余金は、会計上は「利益計上の結果増加した手許現金の相手方勘定科目」という捉え方になろうかと思います。
利益剰余金は、利益計上の結果と言えば利益計上の結果なのですが、
利益というのは、概念的には各期各期に帰属するもの、という見方になります。
他の言い方をすれば、利益とは各会計期間毎に稼ぎ出されたものを指すわけです。
第1期の利益と第2期の利益は全く関係ありません。
第1期の利益が第2期の利益に影響を及ぼしたりすることは決してありませんし、
また逆に、第2期の利益が第1期の利益に影響を及ぼしたりすることも決してありません。
収益や費用というのは、各会計期間毎に把握・集計されるものであるわけです。
収益や費用が期をまたぐということはありません。
ただ、企業会計上(現代会計上)、会社は利益を社内に留保するということを行います。
それが利益剰余金です。
第1期の利益と第2期の利益の合計額が、第2期末の利益剰余金です。
つまり、本来は全く関係がなく当然合算もできないはずの第1期の利益と第2期の利益とを、
概念的に結び付けているのが現代会計における利益剰余金であるわけです。
ここで、”各期の利益”という言い方をしますが、この”各期の利益”というのは、各期毎の増加現金、という意味です。
つまり、利益計上の結果増加した現金の合計額のことを利益剰余金と呼んでいるわけです。
極端に言えば、利益剰余金というのは、増加現金額を表示するための備忘勘定に過ぎない、という言い方ができるわけです。
利益剰余金は備忘勘定に過ぎないわけですから、実体がある資産などではないわけです。
利益剰余金に対応する実体のある資産は、貸方ではなく、借方である資産勘定の方にあるわけです。
何かはっきりとした所得額や資産額や特定の金額を課税標準とするのならまだ意味が分かりますが、
備忘勘定に過ぎない、実体はない概念的資産を課税標準とするのは、理論的にはおかしいのではないかと思います。
また、企業会計上の利益の金額というのは、実は非常に幅のあるものとなっています。
企業会計上の利益の金額というのは、実は一意に決まるものではないのです。
これは特に資産の減損処理の場面において顕著です。
事業環境や将来予測を踏まえた上で、資産の減損損失額を決めていかねばならないわけですが、
そのためには”将来の収益額”が正確に分からないといけないわけです。
しかし、誰にも正確な”将来の収益額”は分からないでしょう。
実務上は、保守主義の原則の観点から、資産の回収可能額を保守的に見積もって減損損失額を決めていくしかありません。
しかし、その減損損失額で適正かもしれませんし、その減損損失額は過大かもしれませんし、その減損損失額では過少かもしれません。
そして、その正しいかどうか最後まで分からない減損損失額が、利益剰余金の金額に直接影響を与えるわけです。
それはイコール、その課税標準額が正しいかどうか最後まで誰にも分からない、という意味です。
これでは課税にならないでしょう。

 



資産の減損処理だけではなく、引当金の計上でも全く同じことが言えます。
資産の減損処理も引当金の計上も、保守主義の原則の観点からは間違いなく望ましい会計処理なのですが、
究極的なことを言えば、当期に計上したその費用の金額が正しいかどうかは誰にも分からないわけです。
会計理論上は、各期の当期純利益の金額は「確定」しており、利益剰余金の金額も「確定」しているわけですが、
それは「会計上確定している」という意味です。
法律上はその資産の減損損失額は認識されていませんし、引当金の計上額も認識されていません。
「法律上は認識されていない」とは、第一義的には「法人税法上は損金として認められていない」という意味です。
ただ、保守主義の原則を鑑みれば、たとえ法律上は認識されないとしても、会計上は早期に費用計上を行っていくべきなのです。
この両者の考え方は理論上は本質的に相容れないものです。
したがって、課税という時に透明性や客観性や明確性に重点を置くべきであるのなら、
会計上の何かは課税標準とするべきではないのです。
この点、外形標準課税の主な課税標準である資本金の金額は、たとえ利益剰余金と同じく実体はない概念的資産であるとしても、
資本金には課税標準にたるべき透明性や客観性や明確性は十分にあります。
なぜなら、過去に株主が払い込んだ金額というのは、完全に透明性があり客観性があり明確性があるからです。
過去に株主が払い込んだ金額について、人によって判断が分かれる、ということは決して起こらないわけです。
資本金勘定も言わば「備忘勘定」である、と言えるでしょう。
過去に株主が払い込んだ金額を忘れないために、資本金勘定があるわけです。
同じ「備忘勘定」でも、資本金と利益剰余金とでは、その透明性や客観性や明確性、
換言すれば法的な「確定度合い」というのが本質的に異なるのです。
さらに別の言い方をすれば、資本金勘定というのは、過去を見ています。
一方、利益剰余金勘定というのは、(悪い意味で)未来を見ているのです。
人には未来は確定させられません。
人に確定させることができるのは過去だけなのです。
課税標準が法的に確定しているためには、課税標準が過去(既に完了した取引)である必要があります。
その意味において、資本金が課税標準(外形標準課税)であることには、課税標準という観点から言えば実は問題はないのです。
しかし、利益剰余金が課税標準(内部留保課税)であることには、課税標準という観点から言えば問題が極めて大きいのです。

 


第3点目は、いわゆる「担税力」の問題です。
率直に言えば、「担税力」という観点から言えば、所得税以外の税目は全て問題がある、ということになります。
ある人が100円の所得を得た、だから、100円以下の税額であればその人は税を支払えるはずだ、というのが所得税です。
資産を所有しているだけでは担税力はありませんし、資本金があるというだけでは担税力はありません。
利益剰余金があるというだけでも担税力はありません。
手許現金はあるじゃないか、などと言われても、担税力という観点から言えばそれは明らかに筋違いです。
資産を稼動させたり譲渡したりして会社は所得を得るわけです。
資産を所有していることの結果はその所得に表れるわけですから、所得のみで判断する方が理に適うわけです。
また、資本金についても、資本金はこれから事業活動を行うための元手の資金であるわけですから、
元手の資金に課税するというのはやはりおかしな考え方でしょう。
資本金(元手の資金)の結果もその所得に表れるわけですから、所得のみで判断する方が理に適うわけです。
利益剰余金についても同じであり、利益を社内留保したことの結果はその所得に表れるわけですから、
結局のところ所得のみで判断する方が理に適うわけです。
「所有している」というだけでは担税力はないわけです。
考えてみますと、会社(法人)が所有している資産を事業目的以外で個人(社長さんやその家族)が使用・消費したりするから、
「資産を所有していること」に関して課税するべきだ、というような議論が出てくるのではないでしょうか。
個人が資産をどのように使用・消費しようとも、所得など1円も得られないわけです。
しかし、会社(法人)が所有している資産を事業目的以外で個人(社長さんやその家族)が使用・消費するとなりますと、
それら個人は一切の費用負担なしに資産を使用・消費できてしまうわけです。
これは概念的には会社から個人への寄付のようなものとも言えますし、
それならば個人が得た便益に課税を行いたい、という考え方は何ら的外れではないでしょう。
固定資産税や自動車関連税がその代替手段になっているかは分かりませんが、
資産を所有している人(法人)と資産を使用・消費する人(個人)とが異なっている場合は、
どうしても一種の寄付の側面が出てくるのではないでしょうか。
究極的には、「概念的に資産を使用・消費することが絶対にできようはずがない法人が資産を所有している」ということ自体が
この矛盾点の根源なのかもしれません。
かと言って、「法人は資産を所有できない」と法で定めるとしますと、
現代会社法・現代会計の観点から言えば、法人の意味が全くないのではないか、というふうに思えるかもしれません。
何が言いたいか分かりづらくなっていますが、簡単に言えば、仮にこの世に法人はないとしましょう。
この時、固定資産税や自動車関連税は正当性を持つでしょうか。
固定資産を所有しているのも自動車を所有しているのも自然人です。
これで固定資産税や自動車関連税が課されるとなりますと、所有者には完全に担税力はないと分かるのではないでしょうか。
現代会社法や現代会計では、法人には十分な担税力がある、ということがどこか前提になっているのではないか、という気がします。
上手く言えませんが、多額の固定資産を所有しているということと担税力があるということとは税務理論上は全く関係がない、
という点から考えてみると、固定資産税や自動車関連税のおかしさが分かるように思います。

 


第4点目は、利益剰余金勘定(内部留保)の相手方勘定科目の問題です。
第2点目のコメントでも書いたことですが、利益剰余金勘定とは、増加した現金額の相手方勘定科目です。
ただ、利益剰余金の相手方勘定科目はいつまでも現金勘定であるわけではありません。
会社は稼いだ現金を、新たな設備投資に投じたり棚卸資産の取得に使ったりするわけです。
つまり、利益剰余金の相手方勘定科目は事業運営上は現金ではない、と言わねばならないわけです。
利益剰余金の相手方勘定科目が現金であるのなら、その現金に課税をするという理屈も(二重課税を除けば)成り立ちそうですが、
事業運営上は利益剰余金の相手方勘定科目は現金ではない、という見方をするべきなのです。
また、では現金ではないとしたら利益剰余金の相手方勘定科目はどの勘定科目となっているのか、という問題が出てくるわけですが、
その問いの答えはないと言わねばなりません。
なぜなら、会社の資産(資金の運用)の調達源泉に全く区別はないからです。
会社にある現金が資本金を裏付けとしたものであろうが利益剰余金を裏付けとしたものであろうが、
貸借対照表の借方(資産の部)では両者は無差別であるわけです。
会社の資本金は100円、利益剰余金は100円だとします(資産は全額現金(200円)だとします)。
ここで、会社が50円の資産を購入したとします。
この時、この50円は資本金と利益剰余金、どちらのお金でしょうか。
答えはないのです。
なぜなら、資産の部の現金200円は、会社財産としては資産の部だけで独立しているからです。
資本金200円、利益剰余金0円だろうが、資本金150円、利益剰余金50円だろうが、資本金50円、利益剰余金150円だろうが、
会社財産(資金の運用)としては全く無関係なのです。
ですので、利益剰余金が何に使われているのかすら分からない、というのが貸借対照表の構造から導き出される答えなのです。
これは財務管理に問題があるということでは決してなく、会計理論上資産の部としては両者に区分はない、ということです。
したがって、たとえ貸借対照表上に十分な手許現金があるとしても、
内部留保の金額を課税標準とした課税というのは理論的にはおかしな点があるように思います。
いっそのこと、利益剰余金の金額を課税標準とするのではなく、
期末日時点の「現金及び現金同等物」を課税標準とした”手許現金課税”の方が、
今般の内部留保課税論で目的としているであろう課税目的に合致した課税となるのではないでしょうか。
資本金勘定も利益剰余金勘定も、最初はそして最後は、全て現金勘定に収斂するわけです。
それならば、外形標準課税だ内部留保課税だと言わずに、”手許現金課税”一本で課税するようにした方が、
よっぽど理論的整合性があるように思えます。
資本金の金額がいくらだ固定資産の金額がいくらだ、というのは課税の根拠としては弱いでしょう。
理由はともかくこれだけの手許現金額がある、だから、これだけ納税せよ、という方が、
担税力という観点からも理に適うのではないかと思います。

 



二重課税というのは、同一の人が得た同一の所得に2回課税することです。
二重課税の論点を回避したいのなら、課税自体は1回だが法人税の徴税が2段階になっていると解釈してみてはどうでしょうか。
法人税率は40%、ただし、当期の所得には30%分納税せよ、残り10%分は次期末日に手許現金として保有している場合に納税せよ、
というような考え方はどうでしょうか。
追徴課税ならぬ、軽減徴税といったところでしょうか。
会社に現金の使途がないのならその現金に課税します、
会社に現金の使途があり現に支出を行ったのならそれ以上課税はしません、
というふうに考えるわけです。
これならば、二重課税との批判は当たらないのではないでしょうか。
内部留保が問題とされているのは、現金が設備投資に回っていなかったり賃金として支払われていないからだ、
といったことがその論調の背景にあるのだろうと思いますが、
内部留保批判を所与のこととするならば、会社の手許現金の増減具合で徴税率を変える、
というような手法が考えられるのではないかと思いました。

 

For the amount of something to be regarded as a tax base requires the amount to be fair and fairly rigid.

ある金額を課税標準であるとみなすためには、その金額は公正であり相当程度固い金額であることが必要です。

 


The most primitive tax is, needless to say, an income tax.
The reason for it is not only the fact that the amount of an income is very clear
but also the fact that an income itself represents the power that a person is able to pay a tax.
There are several taxes which is based only on the former ground.
The typical examples of them are a property tax and a size-based business tax.
The tax base of a property tax is the amount of a fixed asset
and the tax base of a size-based business tax is the amount of a capital.
The amount of a fixed asset and the amount of a capital are both very clear.
In that sense, a property tax and a size-based business tax can both be said to be fair.
But, concerning them, the power that a person is able to pay a tax is disregarded.
That is the only but decisive defect of them.
Then, how about a tax whose base is retained earnings?
It is true that retained earnings on the corporate accounting is fair,
but, they can fluctuate according to the pro forma accounting treatment.
Perhaps a company should record some amount of an impairment loss
or perhaps a company should not record any amount of an impairment loss.
No one can know the absolultely-fair amount of an impairment loss.
So, the amount of retained earnings can be said to fluctuate easily
compared with the amount of a fixed asset and the amount of a capital.




最も原始的な税というのは、言うまでもなく、所得税です。
その理由は、所得額は非常に明確であるからだけではなく、
所得それ自体が人は税を支払うことができるという能力を示しているからです。
前者の根拠にしか基づいていない税というのはいくつかあります。
その典型的な例は、固定資産税や外形標準課税です。
固定資産税の課税標準は固定資産の価額です。
そして、外形標準課税の課税標準は資本金の金額です。
固定資産の金額も資本金の金額も、どちらも非常に明確です。
その意味において、固定資産税や外形標準課税は、どちらも公正であると言えるでしょう。
しかし、この2つの税目では、人は税を支払うことができるという能力を度外視しています。
それがこれらの唯一のそして決定的な欠点です。
それでは、課税標準が利益剰余金である税というのはどうでしょうか。
企業会計上の利益剰余金は確かに公正です。
しかし、利益剰余金は仮定に基づいた会計処理により変動し得るのです。
会社は減損損失をいくらか計上するべきかもしれませんし、一切計上するべきではないかもしれません。
絶対的に公正な減損損失の金額というのは、誰にも分からないのです。
ですから、利益剰余金の金額というのは、固定資産の金額や資本金の金額に比べると、容易に変動し得ると言えるのです。