2015年10月30日(金)



2015年10月30日(金)日本経済新聞
ゼミナール 国際通貨の条件 G
ユーロ 山高ければ谷深し
(記事)

 

 


【コメント】
記事を読んで改めて思いましたのは、社債の利率は元本のリスクを反映したものである、
という考え方は正確ではない、ということです。
私の考えを端的に言えば、社債の利率は元本のリスクを反映したものではない(社債の利率はリスクとは無関係である)、となります。
社債の利率は、どの条件の下でどのように決まるのかと言えば、

@社債は債務不履行を起こさない。
A上記「@」の条件が成り立っている上で、引き受け手からの需要の大きさに反比例して利率は低くなる(ただし下限は0%)。

となります。
つまり、社債の利率とリスクとが関係あるのではなく、社債の利率と社債に対する需要とが関係がある、と私は思うわけです。
まず、@の条件についてですが、私が思うに、社債の債務不履行に関しては度外視すると言いますか、
「債務不履行は起きない。」と考えないと、様々な点で説明が付かないと思うわけです。
社債の引き受け手は、「将来債務不履行が起こるかもしれない」と考えて社債を引き受けるでしょうか。
万が一、債務者が債務不履行を起こすとなりますと、元本のうち何割が弁済されるかは全く分かりません。
元本の何割が弁済されるかは倒産時の債務者の財務状況次第ですが、そもそも債務者の現金が底をついたからこそ倒産したわけですから、
処分できる財産も多くはないでしょうから、弁済率はおそらく1割や2割といったところであり、3割も弁済されればいい方でしょう。
こうなりますと、もはや利率以前の話であるわけです。
利率が10%であろうが20%であろうが、債務不履行が起きてしまうと、債務者に支払った分(元本)すら返ってこないわけです。
これで「利率はリスクを反映したものである。」という考え方をするのは無理があるわけです。
社債の利率の決定に関する理論では、「リスクは0である」という前提を置かないと議論が成り立たないように思います。
では、社債の利率はどうやって決まるのかと言えば、「@社債は債務不履行を起こさない。」という条件が成り立っている上で、
純粋に社債の引き受け手からの需要の大きさによって決まる、と思うわけです。
ここでの”純粋に”という言葉の意味は、
「社債の引き受け手は『社債は将来債務不履行を起こすかもしれない』とは一切考えない。」という意味です。
そして、社債の引き受け手からの需要の大きさはどうやって決まるのかと言えば、
社債の引き受け手にとって他に有望な投資先がどのくらいあるかなどで決まるわけです。
他にもっと利率の高い投資先があれば、引き受け手はそちらに投資をすることでしょう。
逆に、他には利率の高い投資先はなく、その会社の社債が一番利率高いということであれば、引き受け手はその社債を引き受けるわけです。
他にもっと利率の高い投資先がある場合、会社としては事業運営上の理由により必ず資金調達をしなければならないわけですから、
会社は社債の利率を上げるわけです。
逆に、他はもっと利率の高い投資先は全くない場合、会社としてはできる限り低い利率で社債を発行したいわけですから、
会社は社債の利率を下げるわけです。
これが社債の利率決定のメカニズムなのだと思います。

 


ただし、以上の議論では、「社債が将来債務不履行を起こす可能性」というものは一切含まれていないわけです。
あくまで「@社債は債務不履行を起こさない。」という条件が成り立っている上で、
引き受け手からの需要の大きさのみによって社債の利率は決まるわけです。
引き受け手からの需要が大きければ大きいほど、利率は低くなります。
引き受け手からの需要が小さければ小さいほど、利率は高くなります。
この時の利率の下限は0%、となります。
その理由は、利率がマイナスの状態というのは概念的にあり得ない(社債保有者が会社にお金を支払う形になる)からです。
社債利息というのは、社債を引き受けてもらったことに対する謝礼(対価)です。
社債を引き受けた方がお金を支払うでは話があべこべでしょう。
そして、この時の利率の上限は理論上はないと言っていいと思います。
確かに、利率が例えば100%を超えますと、1回社債利息を支払っただけで、元本額を超える利息を支払ったことになるわけですが、
では何%までであればよいか、という問いに理論上の答えはないわけです。
その時はどうしてもそれだけのお金が必要だった、だから背に腹は替えられなかったので、その条件でお金を借りた、
ということは取引上あるわけです。
利率に下限はありますが、上限はない、というのが理論上の答えだと思います。
ただ、利率が100%だろうが1000%だろうが、
ここでもまた利率に「社債が将来債務不履行を起こす可能性」というものは一切含まれていないわけです。
つまり、100%や1000%といった利率には、「社債が将来債務不履行を起こす可能性」は一切織り込まれていないわけです。
なぜならば、仮に社債が将来債務不履行を起こすとすれば、社債利息すら支払われない可能性があるからです。
1回も社債利息が支払われないまま、債務者は倒産するかもしれないわけです。
ですから、利率の高低に関わらず、「社債が将来債務不履行を起こす可能性」は度外視しなければならない、
すなわち、「債務不履行は起きない」ということを前提にしなければならないわけです。

 


以上の議論をまとめますと、社債の利率というのはリスクを織り込んだものではなく、
純粋に社債に対する引き受け手からの需要の大きさを反映したものだ、ということになります。
仮に、「社債が将来債務不履行を起こす可能性」があるとしたらどうなるのかと言いますと、
「その社債の引き受け手は誰もいない。」が答えなのです。
社債利息そのものが支払われないかもしれないのに、債務不履行のリスクを利率に織り込んだ上で社債を引き受ける人など、
この世に1人としていないのです。
ですから、いわゆる社債の「格付け」など概念的に始めからあるはずがないのです。
あるとすれば全社債が「AAA」のはずです。
全社債が「AAA」の上で、需要によって利率が決まる、と考えなければなりません。
リスクの大きさを表す「格付け」にとって利率が決まるわけではないのです。
社債利息が支払われない可能性がある以上、リスクの大きさを利率で調整することなどできないのです。

 

That the higher interest rate is the more profitable or the more appealing presupposes
that a corporete bond will not be defaulted on.

金利が高ければ高いほど利益率が高いすなわち魅力的だというためには、
社債がその後債務不履行を起こさないということが前提条件となります。

 

 



2015年10月30日(金)日本経済新聞
消費税 軽減税率の論点 A
経理方法に3案 一長一短 不正防止か負担軽減か
現金給付 併用案が浮上
(記事)


 


【コメント】
事業者による消費税の納税方法について3つの案が検討されているとのことですが、
そもそも納税すべき消費税額の算定方法は1つかないわけですが。
商品毎に異なる複数の消費税率が取引の中に混在していようとも、商品毎に仮払消費税額と仮受消費税額が一意に決まるわけですから、
結局納税すべき消費税額も一意に決まるわけです。
それなのに、事務負担の軽減だの免税事業者だの言い出すものですから、
消費税額の算定方法が複数だなどというおかしな議論が出てくるのだと思います。
決算において、消費税額の算定プロセスと課税所得額(法人税額、所得税額)の算定プロセスとは、
軌を一にすると言いますか、ほとんど同じようなプロセスを経ると言いますか、もちろん両者は完全にイコールではないにしても、
正確な売上高と正確な売上原価が算定されてこそ、課税所得額も算定することができるわけですから、
課税所得額を算定できるのであれば消費税額も算定できると言わねばならないと思います。
課税所得額の議論において、事業者の事務負担を軽減するなどという議論があるでしょうか。
納付すべき消費税額を正確に算定できないのであれば、法人税額・所得税額も正確に算定・納税できないはずです。
1つ1つの取引の結果が消費税額であり、法人税額・所得税額なのですから。
記事の議論は根本的に不毛な議論だと思います。

 



それから、納税すべき税額と税務当局による徴税についても記事には書かれていますが、
税務理論上は、「税務当局は納税者が納税すべき税額を正確に知っている。」、という前提が置かれていると思います。
仮に税務当局は納税者が納税すべき税額を知らないとしますと、税務当局はいくら税を受け取ればいいか分からないでしょう。
確かに、実務上は納税者自身による”申告”という形を取っていますが、
法理上は「税務当局は正しい税額を始めから知っており納税者が納税した金額は正しいのだ。」という前提が置かれていると思います。
もちろん実際には、税務当局は当事者間で行われた取引自体を知らないわけですが、
それを言い出すと正しい税額の議論ができないのではないかと思います。
ですから、「正しい税額が納税される。」という前提が理論上はあるように思います。
ただ、現実には納税者が正しい金額を納税するとは限りませんから、この理論的前提を担保するためにも、
実務上は税務当局には疑わしい納税者に対する一定の調査権限が与えられている、ということだと思います。
納税者「今年度の納税額はこれだけです。納税いたします。」
税務当局「はい、その通りです。その税額であっています。では税を受け取ります。」
という流れになることが、理論上の前提であるように思います。
税務当局が納税者から”申告”を受けて初めて「あ、そうなんですか。」では、
概念的に税務当局は税法を守れないということになると思います。
この点は、税法だけではなく刑法でも考え方は同じだと思います。
刑法には、「警察はこの世で発生した全ての犯罪を知っている。」という前提があるのだと思います。
刑法には、バレた場合に限り刑罰を科する、とは書かれていないわけです。
刑法には、犯罪には刑罰を科すると書かれているわけです。
もちろん実際には、密室で犯罪が行われるということもあるでしょうから、警察が発生した犯罪を知らないといことはあるわけです。
しかし、それを言い出すと、刑法が定められないわけです。
ですから、刑法では、理論上は「警察はこの世で発生した全ての犯罪を知っている。」という前提が置かれているのだと思います。
ただ、現実には警察が発生した全ての犯罪をはじめから知っていることなどあり得ないわけですから、
この理論的前提を担保するためにも、実務上は捜査ということが行われるということだと思います。
刑法の理論上は、税務当局による調査と同じように、警察による捜査は補助的な役割を果たすもの(現実に対する対応)に過ぎない、
という位置付けになるのだと思います。
捜査と聞きますと、刑法のメインであるかのようなイメージがありますが、刑法のメインは犯罪と刑罰を定義することであって、
捜査はむしろ刑法においてはその補助だ、というふうに位置付けや概念を整理できるのではないかと思います。

 

The collection of taxes presupposes that the tax authorities know all transactions.

徴税は、税務当局は全取引を知っているということが前提となっています。