2015年9月25日(金)
2015年9月25日(金)日本経済新聞 公告
公開買付開始公告についてのお知らせ
株式会社サイネックス
(記事)
2015年9月24日
株式会社サイネックス
自己株式の取得および自己株式の公開買付けに関するお知らせ
ttp://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1287205
【コメント】
この記事を読んで私が思ったのは、以下のようなことです。
What you call a "moral hazard" is information asymmetry
between one
insuree and other insurees more than between an insurer and an insuree,
actually.
いわゆる「モラル・ハザード」というのは、保険者と被保険者との間の情報の非対称性というより、
実は被保険者と他の被保険者との間の情報の非対称性のことなのです。
「モラル・ハザード」に関しては、インターネット上にたくさん解説記事がありますので、そちらを読んでいただければと思います。
「モラル・ハザード」のキーワードは「情報の非対称性」ということになるかと思います。
「モラル・ハザード」に関する一般的な説明としては、保険会社と保険契約者間の情報の非対称性だ、となるわけですが、
私がふと思ったのは、確かに「保険会社と保険契約者間の情報の非対称性」も「モラル・ハザード」の1つだと思いますが、
実は「被保険者と他の被保険者との間の情報の非対称性」も「モラル・ハザード」だ、ということです。
というのは、保険金が支払われる原資というのは保険会社の財産だけだからです。
他の言い方をすると、概念的には、被保険者と他の被保険者とは、保険金をめぐって保険会社の財産の奪い合いをしているわけです。
ある被保険者に保険金を支払った結果、保険会社が倒産したと考えてみましょう。
この場合、他の被保険者はその後は一切保険金を受け取れなくなる(会社との保険契約自体が消滅する)わけです。
被保険者が受け取った巨額の保険金は、元はと言えば、他の被保険者がそれまで支払ってきた保険料であるわけです。
こうなりますと、被保険者は、他の被保険者の普段の行動が自身の利益に影響を及ぼすことになるわけですが、
被保険者は他の被保険者の行動を知ることはできません。
これは紛れもなく「情報の非対称性」ではないでしょうか。
また、保険会社には、ある被保険者と保険契約を締結しないという選択肢がある(危険だと判断すれば断ればよい)わけですが、
他の被保険者には、その被保険者と保険契約を締結しないで欲しいと保険会社に依頼する権利はないわけです。
被保険者には他の被保険者に一切影響を及ぼすことができないだけに、「保険会社と保険契約者間の情報の非対称性」よりも
「被保険者と他の被保険者との間の情報の非対称性」の方が問題は深刻だと思います。
相互扶助(mutual
aid)というと聞こえはいいのですが、法理的には相互闘争(mutual conflict)の状態になると思います。
【コメント】
記事には、
>例えば、タイやメキシコでは国内工場で原材料を製品に加工し輸出する場合、原材料の輸入費用を控除して計算する必要がある。
と書かれています。
前後の文脈から推測すると、現地の税制の話のようですが。
この記事だけでは正確なところは分かりませんので、日本国内の企業に置き換えて考えてみましょう。
日本国内で、工場で原材料を製品に加工し国内で販売する場合、原材料の購入費用を控除して計算する必要があるだろうか、と。
これだと答えは簡単であり、販売製品の原材料費は税法上控除できる、というだけかと思います。
原材料をたとえ海外から輸入したのだとしても、誰から(どこから)買ったかは税法上は無関係かと思います。
ただ、製品の製造のために原材料を購入した(原材料取得のため現金を支出した)というだけですと、
その購入費用(現金支出)は税法上は損金算入はされないかと思います。
その購入費用(現金支出)は税法上損金算入されるのは、製造製品の販売時(販売実現時)、ということかと思います。
この製造製品についての損金算入の基本的考え方は、日本でもタイでもメキシコでも同じなのではないかと思います。
それで、以上の議論を基に記事の記述について推測してみますと、あくまで私個人の推測になりますが、
記事が言っているのは、ひょっとしたら、
タイやメキシコでは輸出を行った(発送した)時点で販売が実現したものと見なし、
販売製品の原材料の購入費用は税法上損金算入できる、ということではないだろうか、と思いました。
輸出となりますと、製品が相手方に届くまでに時間がかかるわけです。
元祖会計理論の想定のように、相手方に直接目的物を引き渡す(そしてその場で代金を受け取る)ということができないわけです。
そうしますと、一体いつ販売が実現したと言えるのかという収益認識基準が問題になるわけです。
ここで、仮に出荷基準を採用するとしても、取引の相手方は海外ですから、日本法に基づいた債権債務関係が生じない、
ということになるのではないか、と思いました。
日本法に基づいた債権債務関係が生じないということは、出荷基準を採用し出荷を行ったとしても売上債権が生じない、
ということになると思います(同じ日本法に基づいて売買契約を締結するから債権債務関係が発生する)。
他の言い方他をすると、海外にいる取引の相手方は(少なくとも日本法の適用を受ける)債務者ではないわけです。
逆から言うと、取引の相手方が日本国内にいない場合は出荷基準は採用できない、という見方になると思います。
元祖会計理論ではありませんが、取引の相手方が日本国内にいない場合は商品代金(現金)の受け取りを持って売り上げが実現する、
という収益認識しかできない(相手方が債務者になれないから=日本企業は債権者になれないから)、ということになると思います。
海外にいる取引先に商品を出荷し、無事商品代金が支払われれば何の問題もない話ではありますが、
仮に商品代金は支払われないままとなりますと、この場合日本企業は日本法においても海外法においても実は債権者ではない、
という見方になると思います。
記事の内容からは少しズレた推測や議論になってしまったかもしれませんが、
理詰めで考えていくと、実は国際間の取引というのは法理的には観念できないものなのかもしれないな、と思いました。
2014年4月23日(水)日本経済新聞
クラリオン上方修正 純利益2.4倍の33億円 前期
(記事)
2014年4月22日
クラリオン株式会社
資本金、資本準備金及び利益準備金の額の減少並びに剰余金の処分に関するお知らせ
ttp://www.clarion.com/jp/ja/pdf/140422-03.pdf
資本金、資本準備金及び利益準備金の額の減少の方法
(2/2ページ)
【コメント】
1年半以上前の記事になりますが、クラリオン株式会社が減資を実施する、という記事になります。
これまでも何回も書きましたように、会計理論上は減資などはありません。
その理由を端的に言えば、「株式は減少させられないから」です。
資本金は数値で表現されています。
そして、同じ純資産の部の内部で勘定科目の金額を振り替える仕訳を何となく考え付くことができてしまいます。
ですから、減資ということができるかのように思ってしまうだけなのです。
資本金は、会社に払い込まれた金額を表すと同時に株主の株式取得価額を表すわけです。
証券である株式に「減少する」という考え方はないでしょう。
そして、敢えて株式が減少すると考えたとしても、株主の株式取得価額が減少すると考えることは絶対にできないわけです。
資本金も株式も、増加するということは観念できます。
しかし、資本金も株式も、減少するということは観念できないのです。
The increase of a capital doesn't have any effects on existing shares which
existing shareholders own,
but the decrease of a capital has some effects on
existing shares which existing shareholders own.
A capital is a conceptual
thing, and it is expressed in a numerical value.
So some people think that a
capital seems to be able to be decreased.
But a share is a security, and each
share is independent of each other.
This characteristic of a share prevents a
share from having the concept "decrease" in it.
Therefore, a share is not
able to be decreased.
The fact that a share is not able to be decreased means
that a capital is also not able to be decreased.
For a share represents a
capital.
That's why "the decrease of a capital" is not able to be
conceived.
資本金の額が増加することは、既存株主が所有する既存株式に何らの影響も与えません。
しかし、資本金の額が減少することは、既存株主が所有する既存株式に大なり小なりの影響も与えます。
資本金は概念的なものです。それも、数値で表現されています。
ですから、資本金は減少させることができるのではないだろうかと思ってしまうだけなのです。
しかし、株式というのは証券なのです。そして、各株式はお互いに独立しているのです。
株式が持つこの特徴のために、株式には「減少する」という概念がないのです。
それゆえに、株式は減少させることができないのです。
株式は減少させることはできないということは、資本金もまた減少させることはできない、という意味です。
なぜなら、株式は資本金を表象するものだからです。
そういうわけで、「資本金の額の減少」は観念できないのです。
確かに、現代会計では株主資本の全額が株式に帰属しています。
しかし、株式というのは、第一義的には、株式を通じて会社に払い込まれた現金の金額を表しているのです。
株式の取得価額は資本金の増加額に等しいわけです。
この点において、株式というのは資本金と同じものなのです。
その金額の現金が会社に払い込まれたという事実が変わるでしょうか。
I wanna know everything about a capital reduction and everything about what
the reduction of the number of shares means,
otherwise I'll go crazy, because
I love accounting.
Why don't you study accounting?
私は、減資についての全てを、そして、会社の株式数を減らすことの意味についての全てを知りたいと思います。
そうでなければ、私は少しおかしくなってしまうかもしれません。
なぜなら私は、会計が好きだからです。
会計を学んでみないか。
先ほど、現代会計では株主資本の全額が株式に帰属しています、と書きました。
もちろんその考え方は正しいわけです。
では、以下の図のような株式所有関係になっている場合は、
子会社の当期純利益は親会社株式にいくら帰属していると言えるでしょうか。
当期純利益は親会社株式にいくら帰属しているのか?
How much does a net profit belong to a parent
company's share?
「図」
実はこの図は、2014年5月31日の深夜に、ふと思って描いた図になります。
1年と4ヶ月も経ってコメントを書いていることには特に深い意味はありません。
以前から書こうとは思っていたのですが、今日、減資と関連させて考えることができるかもしれない、と思って書いているだけです。
それで、受取配当金は損益計算書に計上されますから、親会社の当期純利益には子会社からの受取配当金が含まれますし、
子会社の当期純利益には親会社からの受取配当金が含まれる、ということで、
株式の持ち合いをしていると利益がぐるぐると回ってしまうな、と思ってこの図を描いてみたわけです。
1年と4ヶ月経って自分で改めて考えてみますと、「利益の計算期間」という切り口で考えれば答えは簡単に出たように思います。
結局、親会社は親会社で期首日から期末日までの間にいくら子会社から配当金を受け取ったかのみで考えればよく、
そして、子会社は子会社で期首日から期末日までの間にいくら親会社から配当金を受け取ったかのみで考えればよい、
というだけのことであるわけです。
簡単に言えば、「利益の計算」は各期各期で切れるわけです。
株式に帰属している利益の金額は、期末日のみの株主資本(の特に利益剰余金)の金額を見ればよいだけだ、と分かりました。
親会社がそして子会社が株主に配当を支払えば、確かに親子会社間で利益がぐるぐる回っている状態にはなります。
しかし、それがどうしたというのでしょうか。
次期に親会社がそして子会社が株主に配当を支払えば、それぞれの次期の損益計算書に受取配当金が計上される、
というだけのことではないでしょうか。
株式に帰属している利益というものを期をまたいで長い目で見てしまうから、答えが出ないわけです。
株式に帰属している利益も、各期各期で切れるのです。
株式に帰属している利益は、前期末はいくら、当期末はいくら、次期末はいくら、というふうに、各期各期で切れるわけです。
前期末に株式に帰属している利益と、当期末に株式に帰属している利益と、次期末に株式に帰属している利益とは、
全て互いに全く関係がないわけです。
「利益の計算期間を区切る」という観点から見ると、株式に帰属している利益の金額はその時々で異なるわけですし、
株式に帰属している利益の金額に連続性はない、と言えるわけです。
もちろん、
「前期末の利益剰余金−支払配当金+当期の当期純利益=当期末の利益剰余金」
という関係式・価額の連続性はあるわけですが、前期と当期は異なる計算期間であるわけですから、
前期の利益額と当期の利益額との間に関連性や連続性は全くないわけです。
その意味において、前期末に株式に帰属している利益額と当期末に株式に帰属している利益額との間に、
関連性や連続性は全くないわけです。
やや不正確かもしれませんがやや乱暴な言い方をすれば、株式も各期各期で切れていると言えるわけです。
もちろん同一法人が発行している株式ですから、連続性のある同一の株式に決まっているわけですが、
「利益の計算期間」という観点から見ると、株式も各期各期で切れていると言えるのではないでしょうか。
株式も各期各期で切れているということは、株主も各期各期で切れている、と言えると思います。
「利益の計算期間」という切り口で株式を見ると、第1期の株主と第2期の株主とは異なる、
株式の譲渡は一切行われていなくても、第1期の株主と第2期の株主は異なる株主だ、
という捉え方ができると思います。
この捉え方の本質は、「利益には計算期間が定められており、利益は各計算期間毎に算出・確定する。」という点だと思います。
貸借対照表の株主資本を頭に思い浮かべてしまいますと、利益が親子会社間でぐるぐる回ってしまうように感じるわけです。
そうではなく、損益計算書は各期各期で明確に区切られる・各期各期で期末日に会計帳簿は締め切られる、
という観点からこの図を見ますと、株主に帰属している利益額は、ただ単に各期各期の末日時点で見ればよい、と分かるわけです。
経営的な観点から会社を見ますと、貸借対照表が非常に重要だという観点から見てしまうわけですが、
特に税務の観点から会社を見ますと、損益計算書(特に「利益の計算期間」という概念)が重要だという見方になるように思います。
税法上・税務会計上は、相対的にはあまり貸借対照表という捉え方をしない、という言い方をしてもいいのだと思います。