2015年9月6日(日)



2015年9月6日(日)日本経済新聞
海外メディアから
グーグル持ち株会社の意味
(記事)






【コメント】
グーグルは持株会社制に移行するわけですが、その持株会社の社名が「Alphabet」である理由について、記事には、

>では、アルファベットとはどんな意味だろう。
>英誌エコノミスト(15日号)は「アルファにベットする」と冗談めかしたグーグル首脳の話を披露する。
>アルファは株式市場の用語で「市場全体の動きと連動しない投資で得られる利益」のこと。
>ベットは「賭ける」。
>つまり、今後もグーグルは経営者の力量と判断力で大きな成長を目指す、という意味込みなのだそうだ。

と書かれています。
「Alphabet」という社名についてグーグル首脳がどのような話をしたのか気になりましたので、
インターネットで検索して該当する記事を探してみました。
私からはコメントはありませんが、「Alphabet」という社名について触れてある部分を引用して訳してみます。

 


Google
Spelling it out
The internet giant’s new corporate structure will provide more clarity for investors
(The Economist Aug 15th 2015)
ttp://www.economist.com/news/business/
21660984-internet-giants-new-corporate-structure-will-provide-more-clarity-investors-spelling-it


>Mr Page quipped that one reason they chose the name Alphabet was because they strive to make the group an “alpha bet”,
>that is, one that will outperform the market.
>For now, outperformance looks likely.
>Google’s internet operation has successfully anticipated shifts in consumer demand,
>such as the rise of mobile devices and the growing popularity of online video.
>Few firms can claim such a lucrative core business:
>Google’s advertising operation probably has profit margins of more than 60%, reckons RBC Capital, an investment bank,
>and it gets more than 70% of all worldwide online-search revenues.

 


【参謀訳】
グーグル
詳細に説明すると
インターネット界の巨人の新しい組織構造は投資家により透明さをもたらすだろう

ページ氏は、自分達が Alphabet という名前を選んだ理由の1つは、グーグル・グループが”alpha に bet する”会社になれるよう、
すなわち、株式市場を上回る業績を達成できるよう、自分達は努力しているからだ、と上手い言い回しを交えながら語った。
今のところは、株式市場を上回る業績を達成するように見える。
グーグルのインターネット・ビジネスはこれまで、モバイル・デバイスの飛躍やオンライン・ビデオ人気の拡大といった、
消費者需要の変遷を的確に予測してきていた。
それほどまでに儲かる中核事業を手にできた会社はほとんどない:
グーグルの広告事業は利益率がおそらく60%を超えているだろう、と投資銀行であるRBCキャピタルは推計する。
また、世界中のオンライン検索による全収益額の70%超を、グーグル1社だけで稼ぎ出している。



 


2015年9月6日(日)日本経済新聞
代表取締役2人体制に リソー教育
(記事)

 

 



【コメント】
リソー教育社は代表取締役を1人追任し、合計2人の代表取締役を設置する、とのことです。
代表取締役の選任は取締役会決議のみで事足りますから、2015年9月5日開催の取締役会でその旨決議をとったということなのでしょう。
「株式会社リソー教育」のサイトを先ほど見てみましたが、該当するIR関連ニュースやプレスリリースは発表されていないようです。
代表取締役が複数であることについて、法理的な観点から考えてみましょう。
代表取締役という会社機関は、会社を代表すると同時に業務を執行する機関であるわけです。
ここで、法改正に興味深い変遷があります。
旧商法では、会社の業務を執行するのは「代表取締役」だけある、と定められていました。
代表権のない「取締役」は、代表取締役が執行する業務を監督する、という位置付けであったわけです。
代表権のない「取締役」には、会社の業務を執行する法的資格は旧商法では実はなかったのです。
少なくとも条文上はそうでした。
ただ同時に、「取締役」に対しては、善管注意義務・忠実義務・競業避止義務・利益相反取引規制・会社に対する損害賠償責任
などが旧商法上定められていました。
このことは、旧商法上も「取締役」は会社の業務を執行するということをどこか前提としていた、ということなのだと思います。
旧商法では、「取締役」は会社の業務を執行する機関なのか、それとも、会社の業務は執行しない機関(監督のみを行う機関)なのか、
判然としない部分があったと思います。
また、旧商法では、取締役会の決議によって会社の業務執行の意思決定を行う、と定められていました。
取締役会で決議された事柄(業務内容)を代表取締役が執行する、という位置付けであったわけですが、
業務を執行する法的資格がない「取締役」に、業務執行に関する意思決定を行う法的資格があるのか、という疑問がありました。
業務を執行する法的資格があるのは「代表取締役」だけであるのなら、
業務執行に関する意思決定を行う法的資格があるのも「代表取締役」だけである、ということにならないでしょうか。
旧商法における「代表取締役」と「取締役」の定義から考えると、
業務執行に関する意思決定を行うのは「代表取締役」であり、そして現に業務を執行するのも「代表取締役」である、
となるわけです。
そして、「取締役」は、その「代表取締役」が行う業務執行に関する意思決定及び実際の業務執行を監督する、
というふうに会社機関を整理しないといけないように思うわけです。
このように整理しますと、監査役という会社機関が不要ということになるかと思いますが、
「代表取締役」という会社機関の名称を「代表役」などに改称すれば、
会社側の会社機関は、「代表役」(業務執行を行う)と「取締役」(業務執行の監督を行う)の2機関に整理できるわけです。
結局のところ、旧商法では、「取締役」という会社機関は、会社の業務を執行する機関なのか、それとも、
会社の業務は執行しない機関(監督のみを行う機関)なのか、どちらなのかがとにかく不明であったと思います。

 



これならいっそ、条文上も(法律上の定義として)「取締役は会社の業務を執行する」と定義した方がまだ整理できるのではないか、
と思っていたのですが、2006年改正の現会社法では「取締役は会社の業務を執行する」と定義が改正されました。
これはこれで正しい方向へ改正されたとは思いますが、そうすると、
今度は「『代表取締役』と『取締役』の違いは何か」という新たな疑問が生じてきます。
「代表権だ」と言われれば確かに条文上はそうかもしれません。
しかし、例えば会社の契約書に署名をするといった法律行為を行うことを「代表する」と呼ぶのなら、
それはまさに会社の業務執行ではないのか、という気がするわけです。
要するに、「代表する」と「業務を執行する」とは、煎じ詰めれば極めて類似した概念であるように思うわけです。
日常の業務を執行することは代表するとは異なると思われるかもしれませんが、
毎日の商品の仕入れや販売も売買契約に基づいて行うわけですし、商品代金の支払いや受け取りも売買契約に基づいて行われます。
日常の業務とは言っても、それは何かしらの形で社外に対し行為を行うことであるわけです。
業務の執行は有形無形の形で当然に代表を意味しないでしょうか。
社外に対し何らかの行為(営業等)を行う時、その行為の主体が問題になるでしょう。
ある主体として行為を行うこと、それもまた代表を意味するように思うわけです。
代表権はないので契約書に署名はしてはいけないが契約書に基づいた業務は執行してよい、というのはおかしいのではないでしょうか。
「代表権の有無」は「社長か社長ではないか」といった表面的な話では決してないわけですが、
現会社法の定義では、「代表取締役」と「取締役」の違いは肩書きが社長か社長ではないかの違いしかない、
ということになるわけです。
法理(特に民法理)的には、契約書に署名をした人がその契約内容を履行(契約に基づいた業務を執行)しなければならないわけです。
契約書に署名をしたのは私ですが、履行するのは他の人です、というのはおかしいわけです。
結局、上の方で書きましたが、現会社法においても、会社側の会社機関を、
「代表役」(業務執行を行う)と「取締役」(業務執行の監督を行う)の2機関に整理すればよいのではないかと思います。
業務執行に関する意思決定は”代表役会”の決議によって行う、と考えるわけです。
”代表役会”の構成員は、全員が業務を執行する法的資格を有します。
”代表役会”はもちろん私の造語ですが。
業務執行に関する意思決定は、業務を執行する法的資格がある者だけが行うことができる、すなわち、

Without capacity, no constituent. (資格なくんば構成せず)

ということになるわけです。
業務執行に関する意思決定を行う合議体(”代表役会”)は、英語で”the board of representatives”となるわけです。

 


それで、ここからが本題になるわけですが、
明治三十二年商法の会社でも、私が先ほど書きました”代表役会”のような形で会社の業務を執行していけばいいのではないか、
と思われるかもしれません。
全出資者には会社の業務を執行する法的資格が当然にありますし、出資者全員で業務執行に関する意思決定を行い、
出資者全員で業務を執行すればいいのではないか、と思われるかもしれません。
ただ、商品を仕入れたり販売する(商品を引き渡す等)という法律行為を実際に行うのは1人だけであるわけです。
そうしますと、出資者は全員業務執行に関する意思決定には参加するものの、
業務執行は実際には行わない出資者というのが必然的に生じてしまうわけです。
そうすると何が問題であると私が感じているかと言えば、「利益の分配」なのです。
出資者は出資額に応じて利益の分配を受けるわけですが、私の実務経験から言うと、
やはり業務を執行した人物が多くの利益を受け取るべきだ、というふうに感じるわけです。
明治三十二年商法では、その部分に関しては度外視しているということなのではないか、と感じます。
例えば、「この出資者が商品を仕入れ販売する」と出資者全員の同意により決めた(当然本人も同意している)わけだから、
出資額のみによる利益の分配は平等だ、
また、業務執行に関する意思決定を行うことも業務執行の1つだ、だから、業務執行を行っていない出資者はいない、
といった論理が法律の背景にあるということなのだろう、と思っています。
仕入先と売買契約を締結したりお客さんに商品を引き渡したり、という業務を現に行うのと、
意思決定に参加するだけとでは、現実には行った労務に大きな差が生じるわけです。
出資額一本で利益の分配額を決定しているということは、
明治三十二年商法では、その部分に関しては度外視しているということなのではないか、と感じます。
そこで、明治三十二年商法をベースとした(実務経験を踏まえた)私の案としてはですが、
「Without capacity, no constituent. (資格なくんば構成せず)」の言葉とはやや矛盾する部分も出てくるのですが、
いっそのこと、「出資者は業務を執行しない」という会社制度も考えられるのではないかと思います。
業務執行に関する意思決定は出資者全員で行う、しかし、実際に業務を執行するのは会社の”代表役”のみだ、
という会社制度です。
会社の”代表役”は、出資者全員の同意により選任します。
会社の”代表役”への利益の分配(業務執行に対する報酬)は、利益の何割という具合に委任する際に事前に定めるわけです。
もしくは、”代表役”への利益の分配(業務執行に対する報酬)は、利益の四割とする、等と商法で定めてもよいと思います。
利益の残りの6割を出資者全員で出資額に応じて分配するわけです。
この場合、業務を執行するのは”代表役”のみですので、出資額のみで利益の分配額を決めても出資者間に不平等はないわけです。
会社の”代表役”は意思決定は一切行わず、会社の”代表役”は出資者が行った意思決定に従うのみ、であるわけです。
私の案では、委任ということを行いますので、責任の所在等、委任という行為をどう捉えるのかについては
意見が分かれるかと思いますが、「出資者は業務を執行しない」ということを前提に考えますと、
どうしても委任ということを行わざるを得ないかと思います。
出資者が複数の場合、そして、業務を執行する人物が複数の場合、現実の会社運営としては説明が付けづらい部分が出てくるわけです。
明治三十二年商法は、概念論と論理のつながりだけで法を構築しているということなのだと思いますが、
概念としては正しいものの、実務や現実のことを踏まえた改善点とその解決策いうのはやはりあるのだろうと思います。