2015年8月31日(月)
2015年8月31日(月)日本経済新聞
スズキ、VWと提携解消 国際仲裁決着 全株買い戻し 5000億円規模
(記事)
2015年8月31日(月)日本経済新聞
スズキ、再編の台風の目に VWと提携解消 世界の燃費規制 対応課題
「自立」前提に考える
会長
(記事)
2015年8月31日(月)日本経済新聞
きょうのことば 国際仲裁裁判所
国際条約に基づく強制力
(記事)
2015年8月30日
スズキ株式会社
仲裁判断に関するお知らせ
ttp://www.suzuki.co.jp/release/d/2015/0830/index.html
ttp://www.suzuki.co.jp/release/d/2015/0830/pdf/0830.pdf
2015-08-30
Wolfsburg AG
Ruling in arbitration proceedings: Cooperation
between Volkswagen and Suzuki deemed
terminated
ttp://www.volkswagenag.com/content/vwcorp/info_center/en/news/2015/08/Suzuki.html
国際商業会議所 日本委員会
T.ICCの概要
ttp://www.iccjapan.org/icc/gaiyou.htm
国際商業会議所
日本委員会
仲裁手続に関するQ&A
ttp://www.iccjapan.org/icc-japan/Q&A.htm
>【質問1.2】 ICC仲裁は、ICC仲裁裁判所が行なうのでしょうか?
>
>【回答1.2】 ICC仲裁裁判所(Court
of
Arbitration)自身は仲裁を行ないません。
>ICC仲裁裁判所は、ICC仲裁裁判所事務局(Secretariat)の助力を得ながら、
>ICC仲裁を管理するために、ICC仲裁規則にて定められた機能を果たします。
>ICC仲裁の申立ては、ICC仲裁裁判所事務局に対して行われますが、実際に仲裁手続を主宰し、仲裁判断を行なうのは、
>仲裁人又は複数の仲裁人によって都度構成される仲裁廷(Arbitration
Tribunal)です。
>国際仲裁裁判所は実際には裁判所ではなく、
>裁判によらない紛争解決手続き(ADR:Alternative Dispute
Resolution)を進める機関の一つである
と書かれていますが、「国際商業会議所」という国際的なネットワーク(各国における同等機関の集合体)が、
各国連携の下、国際的な紛争解決手続きを進めている、ということではないかと思います。
特段の「国際仲裁裁判所」という機関があるわけではないと思います。
まあ、それが機関なのか機関ではないのかの区別は、特に公の組織の場合は実際にはあいまいな部分があるかとは思いますが。
この場合、法人の場合は逆に、機関か機関ではないのか(独立した法人(一機関)なのかそれとも同一法人内の一部局なのか)
の区分・区別はかえって明確かと思います。
法人の場合は組織の線引きが明確な気がします。
最後は「機関」の定義の問題かもしれませんが。
例えば、「伊藤忠商事株式会社には瀬島機関がある。」という場合、その「瀬島機関」というのは、
伊藤忠商事株式会社(法人)からは独立した法人を指すのではなく、伊藤忠商事株式会社(法人)内の専門チームを指すわけです。
何々委員会と呼んだりタスクフォースと呼んだりする場合もあるかと思いますが、
それら委員会やタスクフォースや専門チームのことも、「機関」と呼んだりするわけです。
何が言いたいかと言うと、公の組織に関して「国際仲裁裁判所という機関がある。」という場合は、
何か特段に独立した組織体がある、というふうに思ってしまうわけですが、
「国際仲裁裁判所」というのは、「国際商業会議所」の一部局に過ぎない(窓口が国際商業会議所の事務局になっている)、
という見方が正しいのではないかと思います。
上の方で紹介・引用しています「仲裁手続に関するQ&A」によりますと、国際仲裁裁判所自身は仲裁を行わないとのことです。
実際に仲裁手続を主宰し、仲裁判断を行なうのは、仲裁人又は複数の仲裁人によって都度構成される仲裁廷(仲裁人の合議体)、
とのことで、裁判所といっても極めて概念的な捉え方しかできない組織体に過ぎないといいますか、
「仲裁活動を行っていること」を裁判所と呼んでいるかのような印象を受けます。
「何らかの行為行動を取っているのは誰か」という場合、法人もしくは自然人の場合はその主体が明確であるわけです。
他の言い方をすれば、「行為の主体」が、法人・自然人の場合は明確であるのに対し、
公の組織の場合はある意味明確ではないわけです。
公の組織の場合、「行為の主体」は最後は漠然と「国」というような言い方になってしまうわけです。
「行為の主体」は何省だ、「行為の主体」は何庁だ、「行為の主体」は何県だ、という場合もありますが、何と言いますか、
「行為の主体」という観点から見ると、公の組織の場合は実は説明が付かないように思います。
国際仲裁裁判所が行っている仲裁という行為も、「行為の主体」は実は法理的には説明は付けられない部分があるなと思いました。
極端な言い方をすると、「国」は法律上の人ではないため、法理的には実は法律行為は行えない、ということではないでしょうか。
「国」という人(自然人や法人)がいる・あるわけではないのです。
法律行為を行うのは、あくまで人なのです。
その意味において、「国」は法律行為の主体になれないのです。
「行為の主体」という点において、自然人や法人は概念的なものではないと私は思います。
しかし、省や庁や都道府県や国は、やはり最後はどこか概念的なもの・概念的にしか捉えられないものであると私は感じます。
国際仲裁裁判所と同じように。
スズキ株式会社とフォルクスワーゲンAGについても一言だけ書きます。
このたびの仲裁をもって両社間の協業は終結することとなったわけです。
それで、スズキ株式会社はフォルクスワーゲンAGが保有しているスズキ株式を買い取ることになったわけです。
スズキ株式会社は市場株価でスズキ株式を買い取るわけですが、記事によりますと、スズキの買取額は約4600億円となるようです。
一方、フォルクスワーゲンは約2200億円でスズキ株式を取得していたわけです。
単純計算で、フォルクスワーゲンには2400億円の株式売却益が計上されるわけです。
ここで、経営陣は、他社と業務提携を行う義務を負っているのではなく、会社の利益を最大化させる義務を負っています。
スズキ株式会社と協業を行ったことでフォルクスワーゲンAGがどれだけの利益を得てきたのかは分かりませんが、
協業を続けたところで果たして合計2400億円もの利益を得ることなどできたでしょうか。
フォルクスワーゲンAGにとって一番利益になることは、実はスズキ株式をできるだけ高い価格で売却することだったのかもしれません。
繰り返しますが、経営陣は会社の利益を最大化させる義務を負っているのです。
連結ベースの利益や売上高を最大化させる義務を負っているのではありません。
なぜなら、株主と子会社とは関係がないからです。
子会社がいくら利益を計上しても、親会社には計上されません。
子会社が親会社に配当金を支払ってはじめて親会社には利益が計上されます。
フォルクスワーゲンAGがスズキ株式会社からこれまで毎年どれくらいの配当金を受け取っていたのかは分かりませんが、
2400億円もの株式売却益を得て資本提携を終えることができたというのは、
少なくとも株式投資として見た場合は大成功だ、という言い方ができるのではないかと思います。
マイナスから見ると、ゼロでもプラスに見えるのです。
I have never behaved once in thinking that I don't care about her even if I do anything to a woman in front of me.
この女には何をしても構わないと考えて行動を取ったことはいまだかつて一度もありません。
Monogamy presupposes that a woman has euality with a man in their life.
一夫一妻制は、女性は男性と対等の地位にあるということを前提にしています。
Why do you want to marry a virgin even though you are not a virgin?
It
means that you must be a virgin until you marry if you want to marry a
virgine.
That is the true meaning of a woman's having euality with a man in
their life.
自分は童貞ではないのに処女と結婚したいと言うのですか。
つまり、処女と結婚したいなら結婚するまで童貞でいなければならないということです。
それが、女性は男性と対等の地位にあるということの本当の意味です。
To be frank with you, a marriage is the fact that you marry a person whom you
have never seen before.
What on earth do you know about your partner?
So,
the only bond of husband and wife is their "virginity."
あからさまに言えば、結婚というのは今まで一度も会ったこともない人と結婚することなのです。
結婚相手の一体何を知っているというのでしょう。
ですから、夫婦の唯一の絆というのは「今まで誰ともセックスをしたことがない」ということしかないのです。