2015年6月3日(水)
預金を無償で譲り受けた場合と国債を無償で譲り受けた場合の仕訳について考えてみましょう。
まず、現代会計(現代の税務上の考え方)における会計処理方法です。
現代の税務上の考え方では、基本的には、預金も国債も現金と同じだ、と見なして会計処理することが求められると思います。
そうしますと、預金を無償で譲り受けた場合と国債を無償で譲り受けた場合も、
預金の場合はその金額、国債の場合はその額面金額の寄附を受けたものと考えて会計処理することになるわけです。
それぞれを無償で譲り受けた場合の仕訳を書くと以下のようになるかと思います。
(預金) xxx / (受取寄附金) xxx
(国債) xxx / (受取寄附金) xxx
では次に、元祖会計理論(元来の税務上の考え方)における会計処理方法です。
元来の税務上の考え方では、現代の税務上の考え方とは異なり、
預金は現金と同じと考えますが、国債はやはり有価証券と見なす、ということになると思います。
正確に言うと、国債は有価証券ではなく、価額がない証券、という捉え方になると思います。
つまり、元祖会計理論上は、国債には額面金額などない(あっても少なくとも度外視する)、という捉え方になるのだと思います。
そうしますと、預金を無償で譲り受けた場合は、現代と同じ様にその金額の寄附を受けたものと考えて会計処理することになりますが、
国債を無償で譲り受けた場合は、現代とは異なり、何らの寄付も受けていないと考えて会計処理することになるわけです。
それぞれを無償で譲り受けた場合の仕訳を書くと以下のようになるかと思います。
(預金) xxx / (受取寄附金) xxx
(国債) 0円 / (受取寄附金) 0円
それぞれを無償で譲り受けた場合の仕訳としては、実はこれで終わりなのだと思います。
ただ、預金の場合は、預金をそのまま現金として使うことができますが、
国債の場合は、国債をそのまま現金として使うことができません。
国債は、改めて他人に譲渡するか、満期まで待つかしなければ、現金としては使えないのです。
これが国債を無償で譲り受けた場合には元祖会計理論上は課税されない理由だと言っていいでしょう。
国債を他人に譲渡した時の仕訳
(現金) xxx / (有価証券譲渡益) xxx
国債が満期を迎えた時の仕訳
(現金) xxx / (受取寄附金) xxx
元祖会計理論上、国債が満期を迎えたことをどう表現すればよいのかは分かりませんが、
元祖会計理論上はある紙切れを持っていたらある人からお金ももらった、という取り扱いになると思います。
ですから、ここでは受取寄附金勘定を用いました。
満期が到来したことは国債を譲渡したこととは異なるでしょうから、少なくとも譲渡益ではありません。
また、これは少なくとも損益取引であることは間違いないと思います。
元祖会計理論上は、国債は譲り受けた時ではなく、現金となった時に益金が認識される、という考え方になると思います。
以上が元祖会計理論における、預金と国債の違い、すなわち、現金と証券の違いです。
元祖会計理論上は、国債とは、「何月何日にいくらあなたに現金を差し上げます。」という内容が記されたただの紙切れだ、
という捉え方になるだけだと思います。
そこには証券を額面金額で捉えるという発想はないわけです。
元祖会計理論上は、どこまで行っても、資産について、
All that exist in this world are cash and the others. (この世には現金と現金以外しかありません。)
という捉え方をしているのです。
以上が預金と国債の違いです。
特に「お金」が関連している場面においては、物事(取引)の本質を捉える際には、常に仕訳で考えることが大切です。
なぜなら、仕訳が「その取引とは何か?」を表現しているからです。
A government bond is different from cash, but a deposit is equivalent
to cash.
国債は現金とは異なります。しかし、預金は現金と同じです。