2015年4月15日(水)


2015年4月15日(水)日本経済新聞
売出価格等の決定に関するお知らせ
株式会社アールテック・ウエノ
(記事)



2015年4月6日
株式会社アールテック・ウエノ
株式の売出し並びに親会社以外の支配株主及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ
ttp://www.rtechueno.com/investor/press/150406b_pr.pdf

 

2015年4月14日
株式会社アールテック・ウエノ
売出価格等の決定に関するお知らせ
ttp://www.rtechueno.com/investor/press/150414a_pr.pdf

 

2015年4月14日
株式会社アールテック・ウエノ
売出価格等の決定に関するお知らせ(金融商品取引法第15条第5項に基づく公表文)
ttp://www.rtechueno.com/investor/press/150414b_pr.pdf

 


株式会社アールテック・ウエノの株式の売出しについてはコメントはありません。
株式会社アールテック・ウエノには以下のようなプレスリリースがありましたので↓、
株式の「共同保有」について一言だけ書きたいと思います。

 


2015年4月6日
株式会社アールテック・ウエノ
(訂正)「支配株主等に関する事項について」等の一部訂正について
ttp://www.rtechueno.com/investor/press/150406a_pr.pdf

 

2014年6月25日
株式会社アールテック・ウエノ
支配株主等に関する事項について
ttp://www.rtechueno.com/investor/press/140625a_pr.pdf

 


(参考資料)

2013年3月11日
株式会社大和総研
いまさら人には聞けない大量保有報告(5%ルール)のQ&A
ttp://www.dir.co.jp/research/report/law-research/securities/20130311_006922.pdf

 


【コメント】
いわゆる「間接保有」や「合算対象分」という考え方についてですが。
上場株式の議決権所有割合の計算に際しては、保有者だけではなく、
保有者と一定の関係にある共同保有者が保有する株式等も所有議決権に加算して考えることになります。
議決権保有割合に合算される「共同保有者」の範囲は、
一言で言えば「共同して株券等の取得・譲渡、議決権行使などを合意している者」、となります。
さらに、明確な合意がなくても、保有者との間で、一定の人的関係(配偶者)や資本関係(議決権の50%超)などにある者については、
原則、共同保有者とみなされます。
しかし、基本的には「共同保有者」という考え方は間違いだと思います。
その理由は、法理上は、「共同して株券等の取得・譲渡、議決権行使などについて他者と合意をする」ということ自体がないからだ、
と言わねばならないと思います。
端的に言えば、「他者と何かについて合意をする」という時には、その合意内容が予め明確でなければなりません。
「株券の取得・譲渡、議決権行使について」というだけですと、合意と言うにはあまりにも範囲が広過ぎるわけです。
株券の取得・譲渡・継続保有についてだけならまだ意味は分かる気もしますが、
例えば「議決権行使」に関してですと、まだ議案内容については分からないわけです。
議案内容が分からないのであれば、合意も何もないのではないでしょうか。
「私と同じ議決権行使を行うことにしましょう。」などと言われても、意味が分からないわけです。
例えば、次回の株主総会において、送付されてきた招集通知を見て、
「この議案には一緒に反対しようじゃないか。」と言って、共同戦線を張るイメージで、
議案に反対票を投じることに互いに合意をするということはあると思います。
上場企業であれば、議決権行使書に議案に反対の意思表示をしてすぐ一緒に郵送する、ということは自由だと思います。
しかし、議案内容が分からないのであれば、賛成も反対もないわけです。
議案すらない時点では、合意のしようがない、とすら言っていいと思います。
この論点は結局のところ、議決権行使だけではなく、株券の取得・譲渡・継続保有についても当てはまる問題点だと思います。
投資方針は投資家毎に全て異なります。
資金繰りに困り、株式を売却せざるを得ない場面もあるでしょう。
AさんとBさんは違う人なのですから。

 


以上の論点をより一般化して言えば、「将来の意思決定について他者と合意をする」という考え方自体がない、と言っていいと思います。
人は、今現在の事柄に関してなら意思決定をできますし、また、他者と意思決定について合意をすることもできますが、
将来の事柄に関しては意思決定をすることはできませんし、また、他者と意思決定について合意をすることもできません。
将来のことに関しては、自分自身1人ですら意思決定はできないわけです。
将来のことに関して他者と合意をすることなど、あり得ないことであるわけです。


A person is not able to make a decision on the event which he has not encountered yet.

人はまだ出会ったこともない出来事に関して意思決定をすることはできません。


It is not until the event has come that a person gets able to make a decision on a certain event.

そのことが起こって初めて、人はある事柄について意思決定をすることができるようになるのです。


一方で、「議決権50%超を所有する支配株主等と被支配会社の関係」であれば、「意思決定を共にする間柄」と言っていいでしょう。
なぜなら、将来において支配株主がある事柄に関してある意思決定を行う際、
被支配会社は支配株主の意思に常に従うことができるからです。
これは合意と呼ばれる行為と言うより、支配株主は意思決定機関を支配していることから
そもそも被支配会社の意思は支配株主の意思である、という論理のつながりから来ています。
極端に言えば、「議決権50%超を所有する支配株主等と被支配会社の関係」の場合、意思決定の所在が1つだ、と言っていいわけです。
AさんとBさんは違う人です(意思決定の所在は当然AさんとBさんに分かれている)。
しかし、支配株主と被支配会社は、意思決定という点に関しては同一の存在なのです。
したがって、「議決権50%超を所有する支配株主等と被支配会社の関係」であれば、いわゆる共同保有者に該当すると言っていいでしょう。

 


判断が難しいのが、「夫婦の関係」になるかと思います。
現行民法や実務上の取り扱いに関しては分かりません。
基本的には夫婦の財産というのは、共有の財産(その共有に属するもの)ということなのだろうかと思うのですが、
私には説明し切れませんので、現行民法の考え方に関して、婚姻における財産上の効力について、教科書の記述を引用したいと思います。

>夫婦の共同生活を営み始めると、婚姻前にそれぞれが有していた財産、婚姻中に取得した財産の扱いや、
>共同生活にかかる費用の発生などについていろいろな問題が発生します。
>これについて民法は、夫婦財産制という制度を設けています。
>夫婦財産制とは、夫婦の財産関係を決定するための基準です。
>民法は、夫婦の婚姻中の財産関係について、婚姻の届出前に、夫婦間で夫婦財産契約を締結している場合は、この契約に従うとしています。
>夫婦財産契約がない場合には、民法が定める基準に従い、夫婦間の財産関係が処理されます。
>これを法定財産制といいます。

教科書の記述を要約すれば、非常に大まかに言えば、現行民法では基本的には「夫婦別財産制」となっている。ということだと思います。
「夫婦別財産制」とは、夫婦の一方が婚姻前から有する財産や婚姻中に自己の名で得た財産はその者の特有財産とされる、ということです。
”夫婦のいずれに属するか明らかでない財産”というのは、そもそもないのではないかと思います。
「婚姻費用の分担」についても、分担すると言っているということは、それぞれが負担する、ということでしょうから、
財産は夫婦で分かれていることが前提ということなのだと思います。
財産は夫婦で共有なのであれば、分担という言い方・考え方はしないでしょう。

 



それで、ここからが本題なのですが、教科書の記述の通り「夫婦別財産制」なのであれば、
夫が所有している株式と妻が所有している株式とは別の株式と言いますか、
夫と妻とは独立した別の株主だということになろうかと思います。
この場合、夫と妻とは、「共同して株券等の取得・譲渡、議決権行使などを合意している者」ではない、ということになります。
その理由は、夫と妻とは別の人だからです(夫の意思決定と妻の意思決定とは完全に独立している)。
たとえ夫と妻という関係であっても、「将来の意思決定について他者と合意をする」ということはできないわけです。
夫の所有物は夫の所有物、妻の所有物は妻の所有物、意思決定の所在も分かれている、という考え方になるわけです。
では逆に、ですが。
仮定の話として、夫婦の財産は”夫婦共有財産制”(夫婦の財産は共有の財産)だとしましょう。
”夫婦共有財産制”(夫婦の財産は共有の財産)の場合、そのままではある矛盾したことが起こるでしょう。
それは、”共有財産”という考え方をしますと、その財産は誰の所有物かが明確ではなくなる、
すなわち、所有権の所在(所有権者、所有者)が明確ではなくなる、という問題が生じるわけです。
物というのは全て、「誰かの物」であるわけです。
それはイコール、その物に関する意思決定(取得や譲渡)を行う者が明確ではなくなる、という問題が発生するということです。
究極的なことを言えば、法理的には、”夫婦共有の財産”というのは、夫か妻かのどちらかの所有物でなければならないわけです。
そして、所有権者に所有物について意思決定を行う権利が専属的にある、と考えねばならないわけです。
例えば、妻が妻の所有物を譲渡するのは自由ですが、夫の所有物を妻が勝手に譲渡する、というようなことがあっては困るわけです。
”夫婦共有財産制”(夫婦の財産は共有の財産)の場合、財産の所有権も共有であるかのような話になってしまいますから、
所有権と意思決定の所在とに矛盾が生じるわけです(財産はたとえ共有でも人としては夫と妻はやはり別の自然人)。
夫の所有権を妻が行使できる、というのは法理的には矛盾(所有権を共有するという概念はない)と言っていいのではないでしょうか。

 


何が言いたいかと言うと、”夫婦共有財産制”(夫婦の財産は共有の財産)を実現させるためには、
財産の所有権(意思決定の所在)を一本化しなければならない、ということです。
”一本化”と”共有”とは確かに法理上は矛盾します。
そうであるならば、考え方は1つしかないように思います。
すなわち、夫婦の財産は夫のみが専属的に所有する、だと思います。
婚姻に伴い妻所有の財産は夫の所有物になる、と考えるというのも何かおかしな感じがするのも確かです。
ですので、婚姻以前に、そもそもの話として、「女性は財産を所有できない。」が1つの答えではないかと思います。
「女性は財産を所有できない。」ということであれば、婚姻後、夫婦の財産が問題になることは決してないわけです。
夫婦は概念的・社会観念的には1つ(1組・1カップル)であるわけですから、意思決定の所在が複数発生することを避けるため、
法律上、妻は権利義務の主体にはなれない、というふうに定めないと、夫婦の財産や権利を守れない、ということになると思います。
これは決して女性蔑視ではありません。
夫婦の財産と権利を守るため、意思決定の所在を一本化する必要がある、ということです。
それがひいては、概念的・実質的な”夫婦共有財産制”(夫婦の財産は共有の財産)につながっていくわけです。
簡単にまとめるならば、以下のように整理ができると思います。

夫婦共有財産制 → 財産の所有権は夫のみが有し、なおかつ、妻は権利義務の主体にはなれない。
夫婦別財産制 → 夫の財産は夫の財産、妻の財産は妻の財産。妻は権利義務の主体になれる。

夫婦共有財産制においては、夫と妻とは「共同して株券等の取得・譲渡、議決権行使などを合意している者」か否かというより、
そもそも妻が株式を所有する自体ことがない、ということになると思います。
仮に、夫婦共有財産制なのに、妻の財産は妻の財産であり妻は権利義務の主体になれる、ということですと、
そのこと自体が制度設計上の矛盾ということなのだと思います。
法人であれば、被支配会社の所有権(財産)は概念的には支配株主の所有権(財産)、でよいと思いますが、
夫の所有権(財産)は妻の所有権(財産)、では夫婦の財産と権利は守られないわけです。
男女平等に重きを置くなら、夫婦共有財産制の場合、
財産の所有権は名目上夫のみが有するが財産に関する意思決定は夫と妻2人の同意に基づいて行う、
と定めるという考え方もあるかもしれません。
夫婦や家族に関しての法律というのは、法理から導き出される形で定められているというより、
どういった社会を実現したいか、という目的に沿って定められている、という側面が強いと思います。
定めが法理から一意に決まっているというわけではない部分が多く、いい悪いは別として「人間」を踏まえた定めが多いのだと思います。
今日のまとめというほどのこともありませんが、法理上は、「共同して株券等の取得・譲渡、議決権行使などを合意している者」は、
法人であればあり得るが、自然人であればあり得ない、ということになります。
法人は結局のところ「他の誰か(法人以外の誰か)が意思決定をしなければならない」のに対し、
自然人は自然人その人が意思決定を行うからです。
他の言い方をすれば、法人には究極的には法人固有の意思などはありませんが、自然人には自然人固有の意思があるからです。
そして、自然人はその都度、今現在の事柄について意思決定をするのであって、将来の事柄については意思決定はできないのです。
また、法人は自分では意思決定はできない、これは法人と呼ばれる権利義務の主体の限界の1つを端的に表しているのだろうと思います。
意思決定ができる、だから、権利義務の主体になれる、という法理のつながりが、法律の根源部分にあるようにも思います。