2015年4月11日(土)
2015年4月11日(土)日本経済新聞 公告
投資主総会開催及び及び基準日設定公告
MIDリート投資法人
(記事)
【コメント】
以下、株式会社を例に書きます。
法理的に言えば、基準日という考え方自体がないのだろうと思います。
手続きや下準備や打ち合わせなどは法理上は全く関係がない・意味をなさない、と考えるのだと思います。
したがって、法理的なことだけを言えば、会社に基準日という日付も招集という行為もない、ということになると思います。
法理上あるのは、意思決定と意思決定を行った日だけなのだと思います。
他の言い方をすれば、法理上あるのは、意思決定を行なったか行っていないかしかない、ということになると思います。
基準日や招集という考え方は、実務上のことを考慮しての定めなのだろうと思います。
条文の定義とは異なりますが(ある意味正反対の定義になってしまいますが)、
基準日の株主が株主総会で議決権を行使できるのではなく、株主総会で議決権を行使した株主が基準日の株主なのだ、
という言い方ができるのだと思います。
「基準日」は英語で「record
date」と表現するようですが、
基準日とは、株主総会で議決権を行使できる株主を決定するために設定する日、
すなわち、その日の株主だけが株主総会で議決権を行使できる、という意味であるわけですから、
仮に私が「基準日」を英訳するとしたら、「fix
date」と訳します。
「fiv」は名詞では、 〔船舶・飛行機などの〕位置(の決定)、という意味です。
「get a fix
on〜」で、「(レーダーなどで)(船・飛行機など)の位置を決める」、という意味です。
例文を書けば、以下のようになります。
The company got a fix on shareholders who could exercise their voting rights
at the next meeting of shareholders on that
day.
(会社はその日、次回の株主総会で議決権を行使できる株主を定めた。)
私の英訳では、「基準日株主」のことは英語で「shareholders as of the fix
date」となります。
結局のところ、株式の譲渡を前提にしている場合は、すなわち、株主は変わるということを前提にしている場合は、
会社としては基準日というものを定めざるを得ないのだと思います。
なぜなら、基準日というものを定めないと、いつの株主が議決権を行使できるのかが明確ではないからです。
では、会社が基準日を定めるとして、一体いつを基準日として定めるべきなのか。
法理上は基準日も招集もないように、仮に会社が基準日を定めるとしたら、基準日は「今日です。」(まさに今この瞬間です。)、
と定めることが一番恣意性がないように思います。
株式の「基準日」に関しては、以下のような公告とプレスリリースがありました↓。
2015年3月13日(金)日本経済新聞 公告
株式分割に関する基準日設定公告
伊藤忠テクノソリューションズ株式会社
(記事)
2015年3月13日(金)日本経済新聞 公告
株式分割に関する基準日設定公告
株式会社まんだらけ
(記事)
2015年2月26日
伊藤忠テクノソリューションズ株式会社
株式分割に関するお知らせ
ttp://ctcir.ctc-g.co.jp/rose/pdf/2014/bunkatsu_20150226.pdf
2015年1月30日
株式会社まんだらけ
株式の分割及び定款の一部変更並びに配当予想の修正に関するお知らせ
ttp://mandarake.co.jp/company/ir/pdf/news_150130-1.pdf
参考までに、2015年2月26日に伊藤忠テクノソリューションズ株式会社が発表したプレスリリースを見てみましょう。
「株式分割に関するお知らせ」
2. 株式分割の概要
3. 分割の日程
(ご参考)
(1/ページ)
「株主総会の基準日」という文脈では、「株主を定める」という意味合いが強いわけですが、
「株式分割の基準日」という文脈では、「株式を定める」という意味合いが強い、と言えます。
なぜなら、株式分割では誰が株主かに関わらず、全ての株式が分割されるからです。
確かに、株式分割を実施すると株主が所有している株式数が増加するわけですから、
「株式分割の基準日」時点で誰が株主かという観点も重要ではあるわけですが、
株式分割においては、その時誰が株式を所有しているか(誰が株主か)は株主総会の基準日に比べれば相対的には重要ではないのです。
「株主総会の基準日」の場合は「誰か株主か」が、会社にとっても株主にとっても直接的に極めて大きな影響を及ぼすわけです。
もちろん、株式(数)というのは、会社が意識的・明示的に増加させない限り、自然に増加するということはないわけですが、
誰が株主かを決めなければならない背景というのは株式の譲渡が前提だからだ(株主の変動は株式譲渡の結果である)、と言えるのに対し、
株式分割を実施することは株式の譲渡とは全く関係ないわけです。
仮に、株式会社制度において株式の譲渡は認められていないとしましょう。
この時、会社は「株主総会の基準日」を定める必要は全くないわけです。
なぜなら、株主総会で議決権を行使できる株主は最初から決まっているからです。
しかし、株式会社制度において株式の譲渡は認められていなくても、
株式分割を実施するとなると、株式分割の基準日を設定する必要はあるでしょう。
なぜなら、いつを基準に株式分割をすればいいか分からないからです。
他の言い方をすれば、分割を実施する株式を明確に定める必要がある、という言い方になるでしょうか。
会社は株式分割の効力を発生させたいわけですが、そのためには基準日を設定する必要がある、と言えばいいでしょうか。
効力発生のために基準日が必要だ、と言えばいいでしょうか。
それに対し、株主総会の場合は、株式の譲渡が認められていない株式会社制度においては、
基準日を定めなくても株主総会は有効に開催され議決権は正しく行使される、ということになるわけです。
同じ基準日の設定でも、基準日の意味が株主総会の場合と株式分割の場合とでは大きく異なるように思います。
先ほどの英訳と関連付けて言えば、
「株主総会の基準日」と「株式分割の基準日」とでは、基準日によって何を「fix」するのかが異なるわけです。
「株主総会の基準日」では、株主を「fix」します。
しかし、「株式分割の基準日」では、株式を「fix」するのです。
>この株式の分割により株式の割当てを受ける権利の基準日を平成27年3月31日(金曜日)と定めましたので、公告いたします。
と書かれています。
株式分割では、株主は株式の割当てを受ける、と考えると、どことなく株式分割の基準日の設定では株主を定める、
というニュアンスが出てくるようにも感じました。
ただ、株式分割では会社自身が所有している自己株式も分割されます(自分で自分に株式を割当てると考えるのはおかしい)。
有体物ではあり得ない考え方にはなりますが、株式分割では株式の数が機械的に増加する、と考えるしかないのかもしれません。
ところで、2015年2月26日に伊藤忠テクノソリューションズ株式会社が発表したプレスリリースには、
このたびの株式分割に際しては、発行可能株式総数の変更はありません、と書かれています。
株式会社まんだらけのプレスリリースにも記載がありますように、株式分割を実施するに際しては、
会社は定款変更を行い、株式分割と同時に発行可能株式総数を増加させる、ということを通常行います。
その理由は、2つあります。
1つ目は、発行可能株式総数を増加させないと株式分割そのものを実施できないからです。
株式分割により発行済株式総数が現行の発行可能株式総数を超えることになる場合は、株式分割が実施できません。
したがって、問題なく株式分割を実施できるように発行可能株式総数を増加させるわけです。
2つ目は、株式分割は、経営的な視点から見れば、煎じ詰めれば新株式の発行とは言えないからです。
株式分割は、株式数だけを機械的に増加させているだけに過ぎないという側面が強いわけです。
株式分割を実施しても、貸借対照表に変化は一切ない(仕訳は一切切らない)わけです。
株式会社が授権資本枠という形で発行済株式総数を超える株式数として発行可能株式総数を事前に設けている理由は、
率直に言えば、新株式発行による資金調達を容易にするためなのです。
ところが、株式分割では、資金調達は1円も行っていないわけです。
これでは、授権資本枠を無駄に消費してしまったことになるわけです。
したがって、株式分割の実施による授権資本枠減少の影響を度外視できるように、
株式分割の結果増加した株式数分、発行可能株式総数も増加させる、ということを行うわけです。
その意味では、資金調達の結果授権資本枠が減少したので発行可能株式総数を増加させるというのは、理論的には少しおかしいわけです。
経営的な視点から見れば、株式分割を実施する際には発行可能株式総数も同時に増加させなければならない、と言っていいと思います。
授権資本枠は株式分割のためにあるのではありません。
迅速・柔軟・機動的な新株式発行による資金調達のためにあるのですから。
2005年11月10日
ソフトバンク株式会社
株式の分割(無償交付)に関するお知らせ
ttp://www.softbank.jp/corp/news/press/sb/2005/20051110_01/
伊藤忠テクノソリューションズ株式会社の公告同様、株式の無償交付という表現をされますと、
株式分割では基準日により株主を定める、というニュアンスが出てくるようにも感じます。
ただ、このプレスリリースには「ご参考」として、以下のようなことが書かれています。
>1.株式の分割により増加する株式数を具体的に明記していないのは、本取締役会決議日から分割基準日(平成18年1月4日)までの間に、
>新株引受権および新株予約権の行使ならびに転換社債型新株予約権付社債の転換により、
>新株式発行の可能性があり、分割基準日当日にならなければ同日現在の発行済株式総数が確定しないためであります。
今後新株式発行の可能性があるため、基準日当日にならなければ基準日現在の発行済株式総数が確定しない、と書かれています。
プレスリリースのこの記載を読んで、株式分割の基準日の設定では、やはり、株式を定める、という考え方になるように思いました。
基準日により分割する株式を定めれば、後は株主が誰かは全く関係なく、機械的に全株式を分割すればよいだけであるわけです。
極端に言えば、株式分割では株主を定める必要は全くない、と言えるわけです。
株式は無差別(区別はない)からこそ、株式分割では株主が誰かは全く問題にならないわけです。
しかるに、株主総会の基準日の設定では、株主は個々に異なる(全株主は全て異なる)わけです。
したがって、株主総会の基準日の設定では、基準日により株主を定める(誰がその時の株主かを明確にする)必要があるのです。
それから、配当金の支払いに関してですが、これもやや語弊がある極端な言い方になるかもしれませんが、
会社が配当金を支払う際にも、株主を定める必要は全くない、という言い方をしてもいいのだと思います。
なぜなら、全く差別することなく全株式に同じ金額を支払うからです。
配当金の受け取りに関して、株主間で意見が分かれる・利害が対立するということは決して起こりません。
なぜなら、全株主が全く同じ金額の1株当たり配当金を受け取るからです。
Aという株主とBという株主が受け取る配当金は全く同じです(株式分割同様、全株式に対して機械的に配当金を支払ってしまってよい)。
しかるに、議決権の行使の場合は、株主間で意見が分かれる・利害が対立するわけです。
Aという株主が行使する議決権(議案への賛否)とBという株主が行使する議決権(議案への賛否)は異なります。
したがって、株主総会においては、基準日により「株主」を定める必要があるのです。
2015年3月13日(金)日本経済新聞 大機小機
企業統治指針、万事よし?
(記事)
2015年3月9日(月)日本経済新聞 法務
企業の情報開示改革、議論大詰め 有報と事業報告 統合案 縦割り行政の突破課題
(記事)
会社法には、「株主の権利」について、以下のように定められています(第105条第1項)。
(株主の権利)
第百五条 株主は、その有する株式につき次に掲げる権利その他この法律の規定により認められた権利を有する。
一
剰余金の配当を受ける権利
二 残余財産の分配を受ける権利
三 株主総会における議決権
ここで、会社法のテキストには、「株主の権利」について以下のように書かれています。
>株式会社における株主の有する権利は、大きく自益権と共益権とに分けることができます。
>株主は、一般に、自分が投資した会社から経済的利益の分配を受けることができます。
>株主が出資者として会社から経済的利益を受けることを目的とする権利を自益権といいます。
>また、株主は、会社がより効率的に事業活動をするように、経営の基本となる重要事項を決める権利も持っています。
>株主が会社の管理運営に参加することを目的とする権利を共益権と言います。
簡単にまとめると以下のようになるわけです。
自益権・・・剰余金の配当を受ける権利、残余財産の分配を受ける権利
共益権・・・株主総会における議決権
株式の原理的に言って、株主の権利というのは一体的なものと言いますか、分かれて存在するものではありませんので、
実は私自身、株主の権利を自益権と共益権とに分けて考えるのは全く本質的ではないと今まで思っていました。
悪く言えば、法学上・教科書上、表面上そのように無理やり名前を付けて分類しているだけだ、と思っていました。
しかし、今日、同じ「基準日」でも、株式が対象となる場合と株主が対象となる場合の2種類がある、という点について考えていますと、
実はこの分類は意外と間違いではないのかもしれないな、と思うようになりました。
今日の議論を踏まえて簡単にまとめると以下のようになるわけです。
自益権・・・株式が対象
共益権・・・株主が対象
他の言い方をすれば、
剰余金の配当を受ける権利や残余財産の分配を受ける権利は、株式だけが相手、
株主総会における議決権は、人が相手、
と表現できると思います。
自益権や共益権という呼び名はただのラベルだけの話ですからどうでもいいのですが、
やはり、「剰余金の配当を受ける権利、残余財産の分配を受ける権利」と「株主総会における議決権」とには
本質的に違う部分があるのは確かなのだと思います。
やや言葉遊びの部分もあるかもしれませんが、
「各権利はあくまで株式に帰属している。株式を所有しているとその権利を有することができる。」
と表現できるのではないでしょうか。
「あくまで株式が会社に対する権利を表象している。」
「株式が主、株主は言わば従。」
そう表現してもよいのだと思います。
2015年4月1日(水)日本経済新聞 公告
インベスコ・ファンズ、SICAVのサブ・ファンドであるインベスコ・グローバル・ストラクチャード・エクイティ・ファンドの
クラスC株式(年次分配型)(LU0267985157)の無記名株式(「当該無記名株式」)を保有する投資者に対する通知
インベスコ・ファンズ、SICAV
(記事)
2015年3月23日(月)日本経済新聞 公告
定款変更につき通知公告
アイエヌジー投信株式会社
(記事)
上場企業の「株券」は私は漫画やテレビや映画でしか見たことがありませんが、物に関する一般論も含めここでは概念的な話をしますと、
「譲渡を前提としているもの」というのは、基本的には無記名なのではないだろうかと思います。
逆から言えば、「譲渡は前提とはしていないもの」は、記名される(ことが多い)ということであるように思います。
この理由は極めて単純であり、記名をするということは「これは私の物である。」と主張していることに等しいからです。
鉛筆を例に考えてみると、鉛筆に記名されていると、それはその持ち主が最後まで使うという意味でしょう。
仮に鉛筆を他の誰かに譲渡するつもりなら、少なくとも記名はしないでしょう。
譲渡ではなく貸借になりますが、図書館の本はどうでしょうか。
図書館の本は、どこの図書館所蔵の本かの刻印(シールなど)はあるものの、
今現在誰が本を借りているかについては、その本そのものには借主の名前を書き入れるということはせずに、
タイムカードのような図書カードを本の裏表紙の部分に袋を付けて挟み込んで把握をするでしょう。
また、図書館の司書さんも、貸し出し台帳に借主の名前を記入するなど、図書館の側でも別途本とその借主を把握するでしょう。
そして、図書館の本には書き込みは一切禁止されているでしょう。
つまり、譲渡であれ貸借であれ、他の人も手にするという物に関しては、記名は行われない、と言っていいと思います。
株式は譲渡が前提とされていますが、譲渡が前提であるならば、株券に記名をするということは行われない、と考えるべきでしょう。
株式の今現在の所有者は誰かは、別の手段、例えば出資に関する契約書や株主名簿という手段によって管理するべきなのでしょう。
漫画やテレビや映画に出てくるような札束のような株券に記名をすることで株主であることを明らかにするのは間違いなのだと思います。
また、譲渡が前提であろうが前提でなかろうが、そして記名があろうが記名がなかろうが、
誰の物か分からない物を拾ったら自分の物になる、という考え方は基本的にはないのだと思います。
譲渡というのは、所有者と取得希望者との合意によってのみ実現するものであって、
所有者との合意なしには所有権は移転しないと考えなければなりません。
記名がないから所有権がないわけでもありません。
記名がないものを拾うと自分のものになる、というわけではないのです。
現金に無記名硬貨や無記名紙幣などというものはないように、無記名株式というのもないのだと思います。
In the context of a stock split, a "fix date" determines shares as of the concerned event.
株式分割という文脈においては、「基準日」により株式分割実施時の株式を定めるのです。
Documents and statements based on one law are able to be referred to by ones based on another law.
ある法律に基づいた書類や報告書は、別の法律に基づいた書類や報告書から参照されるに足りるのです。
A company should be governed not by directors but by shareholders.
会社は取締役によってではなく株主によって統治されるべきなのです。
Even if a name were not written in a bill of something,
the obligor of the
bill and the obligee of the bill would be both distinguishable or
recognizable.
たとえ何かの証書に名前が記入されていないということがあろうとも、
その証書の債権者とその証書の債務者はどちらも識別することがすなわち認識することができるのです。
I used to consider myself as timid, but at my age, it has turned out to be a little wrong.
私はかつて、自分のことを臆病な人間だと思っていました。
しかし、この年になって分かったのですが、それは少しだけ違っていたようです。
The reason why I was scared was not the result of my timidity but the result of my right judgement.
怖かったのは臆病の結果ではありませんでした。
正しい判断の結果だったのです。